鎌倉時代に
阿仏尼という尼さんが
齢、60歳にして、
わが子のために、京から
鎌倉まで、訴訟の旅に
出かけた。
その紀行文が「十六夜日記」である。
さて、私は、昨日、バカ息子に
激昂し、傷心のまま
このつらい気持ちと体をなんとか
しなくては・・。
と家をでた。
整体にいくことも考えたが、予約が取れなかったので
時々いく、スーパー銭湯に泣きながら、いった・・・・・。
平日の夜なので、割りとすいていた。
壷湯という、大きな甕の露天風呂にはいって、
ふと、空を見上げると、満月か!
十三夜から数えると、十六夜ではないか!
十五夜は、雨で、見られなかったが、
私は、十六夜を露天風呂で
堪能した。
そのおふろ屋さんは、鎌倉街道に面していて
鎌倉まで、一直線だ。
平成の十六夜の母は、息子のためを思うところまでは
阿仏尼と同じであるが、
鎌倉に行く途中で、センチメンタル・バスと
しゃれこんでいたのであった・・・。
南無釈迦爾仏・・・・。
阿仏尼という尼さんが
齢、60歳にして、
わが子のために、京から
鎌倉まで、訴訟の旅に
出かけた。
その紀行文が「十六夜日記」である。
さて、私は、昨日、バカ息子に
激昂し、傷心のまま
このつらい気持ちと体をなんとか
しなくては・・。
と家をでた。
整体にいくことも考えたが、予約が取れなかったので
時々いく、スーパー銭湯に泣きながら、いった・・・・・。
平日の夜なので、割りとすいていた。
壷湯という、大きな甕の露天風呂にはいって、
ふと、空を見上げると、満月か!
十三夜から数えると、十六夜ではないか!
十五夜は、雨で、見られなかったが、
私は、十六夜を露天風呂で
堪能した。
そのおふろ屋さんは、鎌倉街道に面していて
鎌倉まで、一直線だ。
平成の十六夜の母は、息子のためを思うところまでは
阿仏尼と同じであるが、
鎌倉に行く途中で、センチメンタル・バスと
しゃれこんでいたのであった・・・。
南無釈迦爾仏・・・・。
と言っても、見たのは「有明の月」としてですが・・
お邪魔しまします。
月は月齢だけで呼ばれているのでなく
いろいろあるよね。
満月は、「十五夜」
東の空から・・
いざようように姿を見せる「十六夜の月」
立って待っているうちに出てくる「立待ちの月」
しばらく居ないと出て来ない「居待ちの月」
遅くならないと顔を見せない「寝待ちの月」
・・と続きます。
たしかに、十五夜をすぎての月は、
周辺に漂うロマンを感じずにはおれません。
しかし・・・・ (←何か変!)
このネーミング。 (←いやな予感!)
『実におもしろい!』
『実に興味深い!』
『全ての現象には、必ず理由がある!』(←きーたーっ!)
では、これらの月が東の空に顔を出す時刻が
どのくらい変化するかを検証してみよう!
月の出は毎日約50分ずつ遅れ、
このため月の出と次の月の出の間隔は、
だいたい24時間と50分となる。
この間隔からすると、
30日間で29回の月の出がある計算になる。
「寝待の月」で、満月から
50分×4日=約3時間あまり遅い月の出ということになる。(←「実に味気ない!」)
古のひとは、この時間を寝て待つほどに
待ちどおしく思ったのでしょうか?
そうしてまでも見る月の美しさに
ひかれたというのでしょうか?
もし月が50分でなく、
もっともっと長い間、出てこなければ、
どのような思いなのでしょう。
さらに・・
いつ出るかもわからないくらい長ければ・・・
『日記: 「非論理的なガリレオ」 から』
See you soon ! Shangri-La
ロマンティックな科学者なのですね。
さて、今夜は、何時に
月が出るのでしょう?
ここでは、
東の小さな山の端から、月がでます。(^.^)