Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

今年の出会い

2008年12月10日 | Weblog
今年も、あと残すところ、
わずかになった。

昨年の年末から今年の初めに
かけて、占いをみたら、
どれも同じことがかかれてあった。

「出会い」がある、というのだ。
それも、「運命の出会い」などと
かかれてあるのもあった。

なにか、私がこれから生きていくのに、
影響を与えるという。

若い小娘じゃあるまいし、
まるまる、信じるわけでないが、
あまりにも、どれもこれも
そうかかれてあるし、
おまけに、占い師にみてもらったら、
やはり、同じことをいわれた。

1月から、私は、気をつけはじめた。
初めて会った人には、
「この人なんだろうか?」と、静かに
五感にきいてみたりした。
こんなところで出会いたくない!
というときには、
「人と会いたくないオーラー」をだして、
そばにいる人と心の中で、壁を作った。

お陰でそんなに、悪い人とは、出会わなかったような
気がする。

憧れる人との出会いもあった。
ちょっと、困った人との出会いもあった。

私は、どんな出会いにも
心をこめた。
しかし、「情」をこめるのを
たまに間違えた。

心をこめても、情をこめなければ、
その人との関係が、不愉快な思いを
したとしても、大きな傷にはならないのだ。

でも、私は、情をこめてしまうことも
あった。

そのあと、ひどく、疲れるものだ。
まず、怒りがくる。
落胆、失望がくる。
そのあと、寂しさや悲しみがくる。

感情にも
マイナスとプラス。
動と静があると思う。

マイナスの感情はつらいものだ。
怒りが「動」なら、失望や悲しみは
「静」である。

はじめに、「動」がきて、次に「静」がくる。
それも、全部、うけとめなければならない。
その時期が、つらい。

私は、これまでにも、
たくさんの傷をおってきた。
人より、傷がつきやすい、やわな心だと
占い師も、みんないうから、そうなのだろう・・。

マイナスの「静」の感情を受け止める。

今年は、たくさんの出会いが、確かにあった。
そのたびに、
「この人と出会うということは、
なにか、意味があるのかしら?」と思うこともあった。
ふと、気になって立ち止まる人だけである。

意味がわかるまでに、時間がかかることもある。

さてさて、一年のこの時期になって、
ふりかえってみる。

「たいした意味など、なかったのだ」
と思っていいのかな?
まだ、わからないか・・・。

先にかいたように
心をこめるのは、全員だが、情をこめるのは
限られた人にである。

深情けの私は、自己嫌悪に陥ることも
多かったかもしれない一年であった。

私は思う。
「出会わなければ良かった」と思う人は
いるものだ。

そんな人に出会ってしまったら、
早く、忘れたいし、
浄化したい。



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