先週、お香のお稽古のとき
先生に
「夏の着物をもっていないのですが
浴衣では、いけないでしょうねぇ・・・。?」とうかがうと
「かまいませんよ。」とあっさりいわれた。
そのあと、
「私は、はだけると困りますから、きませんけれども」とも。
だったら、襦袢を着ればいいことじゃないか?
と思った。
このことから、ネットで、麻の襦袢をさがしていたら
思わぬ知識が見つかった。
浴衣は、もともと、「湯帷子」といって
お風呂のあとにきるものだから
外出着ではなく、肌に直接きるものだが
関西、特に京都では
襦袢をあわせて昼間から、外出着にしてきたという。
それで、合点した。
私は、関西人で、着付けの最初の師匠は
京都着物の先生だった。
お稽古の中で、「浴衣で外出するときは
襦袢をちゃんときる」と教えられたとおもう。
だから、そのあと、結婚して、関東にきて
夫の会社の盆おどりにいくのに、襦袢をきて
浴衣をきたものだから、灼熱地獄だったが
それは、私なりの「外出の心得」だった。
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昨年、友人と花火大会にいくとき
私は、浴衣をきた。
普段から、着付けやお茶を習っている友人は
洋服である。
「浴衣をきないの?」ときいたら
「ううん・・。
着るときは、ちゃんとした着物。
麻とか・・・・。」と口を濁したように感じた。
つまり、関東の着物流儀だと、大人の女性であるから
浴衣で、外出はいやだったのだろう。それは
彼女の着物なれした人としてのプライドなのだろう。
着物がすきな人は、そういう決まりごとにうるさく
プライドが高いようにおもう。
私だって、そういう部分はあるので、
ちょっとけなされたようで、覚えている。
女は、そういう気配に敏感だ。
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私の着物は、関西で習い始め、関東でもならったので
決まりごとがまじっている。
手結びは、関東風である。
心得は、関西風である。
浴衣は、着物らしい色合いで
夏の襦袢、足袋をきちんときて
車で移動してお稽古場にいけば
そんなに、恥ずかしいことでも
失礼にでもならないのでないか?
という結論に、今のところ達した。
しかし、夏の襦袢がないので
無知のふりをして、浴衣でいくことも
アリなのかもしれない。
今年は、花火大会がなくなったので
浴衣をきて、電車にのることはないだろう。
浴衣は、春先から愛用している。
文字通り、湯上りにきて、そのまますごす夜が
多い。
体を覆ってくれるので、ちょっと肌寒い日にも
重宝している。
こんなに、家できていると、この浴衣は、寝巻きと同じだから
外には、きていけなくなったな・・・。
と感じる。
中学のとき、お祭りにきていった浴衣は、表にでないが
私の肌になじんだ、一生ものになったのである。
宝物の一つである。
毎日をせわしなく過ごしていると
そういう和の瞬間がとても大切に思え
ほっとできるし、自分が日本人だなって思えるのです。
残念ながら、若いころ少しだけ
着物を着たりしていたのに、結婚して完全に
遠ざかってしまいました。
せめて、夏に浴衣くらい着たいと思うのですが
持ってきた浴衣(中学校の頃に作ったもの)は
そでが短くなり(私が成長した?)
外ではもう着れません。
家で着るのも時間的余裕と、暑さで
ついいつも気楽な格好です。
だけどなんとか、着付けならって
自分の好きな時に着れるようになりたいと思っています。
末っ子の卒業式にきたくらいから
少しずつ、家できるようになりました。
今の日本の夏は暑いので
今ぐらいに浴衣がちょうどいいような気がします。
家だと、腰紐と伊達巻をつかうくらいで
その上に割烹着をきてしまうとみえませんし
料理もできます。
あまり動きたくなくなりますが・・。(笑)
私も、横に成長し(!?)昔の着物は
着にくいです。
浴衣の袖は短いくらいが、涼しく、動きやすいですね。
もう、ちゃんとした着付けはできないのではないか?と思うくらい、自分を甘やかした着方をしていますが、和服にしろ、洋服にしろ
自分が快く身につけるのが衣服であって
それに、自分が着られるのは、違うと思います。
フォーマルなら仕方ありませんが
普段は、好きなものを好きなように着られたらよいと思います。
きちんとしたえり合わせをするようになったのは
戦後からだそうです。
昔は、もっと、らく~に着付けていたのらしいです。
そうそう、十二単は、着るのは、時間がかかりますが一本の紐で着付けていて
脱ぐのは、一瞬だと講演でしったことがあります。
光源氏君がきたとき、ゆるゆるだったわけです。
親の世代は、着物になじんでいたのですから
きっと私たちは、着物離れしていないとおもいます。
シャオランさんも、今年は、気軽に和を楽しめるといいですね。