Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

浴衣

2011年05月28日 | Weblog
先週、お香のお稽古のとき
先生に
「夏の着物をもっていないのですが
浴衣では、いけないでしょうねぇ・・・。?」とうかがうと
「かまいませんよ。」とあっさりいわれた。
 
そのあと、
「私は、はだけると困りますから、きませんけれども」とも。
 
だったら、襦袢を着ればいいことじゃないか?
と思った。
 
このことから、ネットで、麻の襦袢をさがしていたら
思わぬ知識が見つかった。
 
浴衣は、もともと、「湯帷子」といって
お風呂のあとにきるものだから
外出着ではなく、肌に直接きるものだが
関西、特に京都では
襦袢をあわせて昼間から、外出着にしてきたという。
 
それで、合点した。
 
私は、関西人で、着付けの最初の師匠は
京都着物の先生だった。
お稽古の中で、「浴衣で外出するときは
襦袢をちゃんときる」と教えられたとおもう。
だから、そのあと、結婚して、関東にきて
夫の会社の盆おどりにいくのに、襦袢をきて
浴衣をきたものだから、灼熱地獄だったが
それは、私なりの「外出の心得」だった。
 
****
 
昨年、友人と花火大会にいくとき
私は、浴衣をきた。
普段から、着付けやお茶を習っている友人は
洋服である。
「浴衣をきないの?」ときいたら
「ううん・・。
着るときは、ちゃんとした着物。
麻とか・・・・。」と口を濁したように感じた。
 
つまり、関東の着物流儀だと、大人の女性であるから
浴衣で、外出はいやだったのだろう。それは
彼女の着物なれした人としてのプライドなのだろう。
 
着物がすきな人は、そういう決まりごとにうるさく
プライドが高いようにおもう。
 
私だって、そういう部分はあるので、
ちょっとけなされたようで、覚えている。
女は、そういう気配に敏感だ。
 
****
 
私の着物は、関西で習い始め、関東でもならったので
決まりごとがまじっている。
手結びは、関東風である。
心得は、関西風である。
 
浴衣は、着物らしい色合いで
夏の襦袢、足袋をきちんときて
車で移動してお稽古場にいけば
そんなに、恥ずかしいことでも
失礼にでもならないのでないか?
という結論に、今のところ達した。
 
しかし、夏の襦袢がないので
無知のふりをして、浴衣でいくことも
アリなのかもしれない。
 
今年は、花火大会がなくなったので
浴衣をきて、電車にのることはないだろう。
 
浴衣は、春先から愛用している。
文字通り、湯上りにきて、そのまますごす夜が
多い。
体を覆ってくれるので、ちょっと肌寒い日にも
重宝している。
こんなに、家できていると、この浴衣は、寝巻きと同じだから
外には、きていけなくなったな・・・。
と感じる。
中学のとき、お祭りにきていった浴衣は、表にでないが
私の肌になじんだ、一生ものになったのである。
宝物の一つである。
 

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2 コメント

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Unknown (シャオラン)
2011-05-29 07:08:00
着物が日常にある生活にあこがれます。
毎日をせわしなく過ごしていると
そういう和の瞬間がとても大切に思え
ほっとできるし、自分が日本人だなって思えるのです。

残念ながら、若いころ少しだけ
着物を着たりしていたのに、結婚して完全に
遠ざかってしまいました。
せめて、夏に浴衣くらい着たいと思うのですが
持ってきた浴衣(中学校の頃に作ったもの)は
そでが短くなり(私が成長した?)
外ではもう着れません。

家で着るのも時間的余裕と、暑さで
ついいつも気楽な格好です。
だけどなんとか、着付けならって
自分の好きな時に着れるようになりたいと思っています。
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シャオランさんへ (Ponco)
2011-05-30 00:54:53
私も、長い間、着物から遠ざかっていました。
末っ子の卒業式にきたくらいから
少しずつ、家できるようになりました。

今の日本の夏は暑いので
今ぐらいに浴衣がちょうどいいような気がします。
家だと、腰紐と伊達巻をつかうくらいで
その上に割烹着をきてしまうとみえませんし
料理もできます。
あまり動きたくなくなりますが・・。(笑)
私も、横に成長し(!?)昔の着物は
着にくいです。
浴衣の袖は短いくらいが、涼しく、動きやすいですね。
もう、ちゃんとした着付けはできないのではないか?と思うくらい、自分を甘やかした着方をしていますが、和服にしろ、洋服にしろ
自分が快く身につけるのが衣服であって
それに、自分が着られるのは、違うと思います。
フォーマルなら仕方ありませんが
普段は、好きなものを好きなように着られたらよいと思います。
きちんとしたえり合わせをするようになったのは
戦後からだそうです。
昔は、もっと、らく~に着付けていたのらしいです。
そうそう、十二単は、着るのは、時間がかかりますが一本の紐で着付けていて
脱ぐのは、一瞬だと講演でしったことがあります。
光源氏君がきたとき、ゆるゆるだったわけです。
親の世代は、着物になじんでいたのですから
きっと私たちは、着物離れしていないとおもいます。


シャオランさんも、今年は、気軽に和を楽しめるといいですね。
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