チテイジンの徒然日記

 ☆ ミーハー目線で いろいろ書いてます ☆

☆ 京都観光 と Blues Live ☆

2011-09-14 18:38:52 | Weblog
9月9日は、カーネル・サンダースの誕生日。
9月10日は、チテイジンとけんつくさんの誕生日でした。
(テレビで、綾瀬はるかさんが言っていました)

いつもは、自宅でゆっくり誕生日は過ごすんですが、
10月10日のはずが、1ヶ月計算違いで大阪から友人YOPPYさんがやって来てくれました。

メインの目的は、ライブハウス 拾得 でのライブです。

最初、京都駅ビルを見たいという希望があったんですが、
追加で、拾得の近くで、二条城と御金神社に行ってきました。
        



とりあえず、京都駅で友人とめでたく会えて、京都タワーを見に行きました。
(見に行っただけで、上っていません。 京都人のクセして未だ京都タワー未体験です)
        



JR京都駅ビルの中はというと、大階段のところはハワイアンのイベントをやっていました。
12時スタートで17時まで、やってる方も見てる方も疲れそうですよね。



お昼は、10Fのラーメン街へ、魚介系スープの横浜ラーメンを食べました。
関東では魚介系スープは、定番的なんですが関西ではまだ少ないですよね。


食べ終わって、空中経路へ。
お互い年甲斐もなく、ピースサインで写真をとりました。




以前からあったのでしょうか、こんなところに鐘がありました。
※注 無断でのご使用はご遠慮くださいとのことですが、無断で何に使うんでしょうか?




大階段の反対側、東側からです。
JR京都駅ビルの良いところは、なんといってもこの空間の広さですね。




京都駅をから地下鉄烏丸線で烏丸御池へ、東西線に乗り換えて二条城にやってきました。
日常的に、通っている堀川通に面しているんですが、以前入ったのは何年前か記憶にないくらいです。
        



大手門を入ってすぐ裏側にある石組みです。 隙間もうめて、ほんと綺麗に組まれていますね。




二の丸御殿へ。
こちらは、靴を脱いで中へ入れるんですが、
申し訳ございません。 撮影禁止のため写真なしです。



二条城ができたのは、1603年。
関が原の合戦のすぐあとですね。 徳川家康が、京都の屋敷として作ったものです。
二の丸御殿の中には、家康をはじめ各将軍が諸国の大名と謁見した間や。

家康が豊臣秀頼に、徳川家に服従するよう推し進めた間もありました。(お江では、あと2、3週間後でしょうか)
そして、15代将軍 慶喜が、大政奉還の相談を行った間もありました。
すべて、天井・襖は品良く、すばらしく豪華でした。


テレビで、よく紹介されるのはこの辺でしょうか。




本丸へ。
鉄の扉になっていました。




こちらの石組みも、特殊な石組みの仕方がしてありました。




本丸を西の橋から出ます。
どことなく、大阪城にもこのような景色があったような気がします。




北の方に廻っていって、清流園・香雲亭です。
こちらでは、当時何をやっていたのでしょうね。 何か風流なことをしていたのでしょうか。




大手門まで戻ってきました。
4時30分閉門なので、すでに閉まっていました。 頑丈そうな錠がかかっていました。




そして、表側に出ると。
またまた、いえ今回はピースサインをしていない友人がいました。




そして、御金神社に。
今回、御金神社のことは考えず、京都駅でロト6を買おうかなやんですが、
ここに来て、大変悔やまれました。 でも、他にいろいろお願いしました。内緒ですが。




この辺で、だいぶんバテバテだったんですが、
ココ壱でカレーを食べて、また復活しました。


そして、本日のメイン。
ゴトウゆうぞうSHOW のある 拾得 にやってきました。




いよいよ、19:00 LIVE スタートです。



ずっと、音楽を聴いていましたので、写真はこれ1枚だけです。

ゴトウゆうぞうSHOW 、このかた本来はどろどろコテコテのBLUES なんですが、
ハイセンスなシティブルース・ギターとホーンセクションの追加で、
本格的なシティブルースに出来上がっていました。

前半の1時間は、とってもBLUESを感じさせていただいたんですが、
後半の1時間は、サンバあり、沖縄音楽あり、河内音頭ありで・・・・、
うーン、でも楽しませてもらったので、ヨシとしておきます。


ところで、BLUES ってこんなんですよ。

アメリカ南部の綿花のプランテーションでの黒人奴隷時代、
つらい奴隷労働の合間に、労働歌として歌ったのが、はじまりです。
やがて、労働歌からラブソング的なものへと発展していきますが、

曲の構成としての基本的なコード展開は、(キーがEの場合)
♪ E A E A E B A E ♪ となっていて
12小節 で、リフレイン(繰り返し)になっています。
そして、ビートは当然4ビートです。

南部のBLUESは、より泥臭いデルタ・ブルースといわれるものでしたが、
工業化にともなって、北部のシカゴなどの都市に黒人たちも移っていき、
そこで、うまれてきたのが『シカゴ・ブルース』 = シティ・ブルースです。
楽器もアコースティックなものから、エレクトリックなものに変わっていき、
曲自体も、より都会的なものに変わっていきます。

そして、かつて我々をBLUESの世界に導いていただき、先日お亡くなりになった
中村とうようさんのご冥福をここにお祈りします。