車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

岩国城 in 山口県岩国市横山

2024年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

標高約200mの城山にその美しい姿を見せる「岩国城」。初代岩国領主『吉川広家(きっかわひろいえ)』によって慶長13年(1608)に作られた山城。

吉香公園から城山山頂までは、全長412mのケーブルに架かった30人乗りのゴンドラ「岩国城ロープウエー」で約3分。たかが3分・・・されど3分・・と逡巡する私には目もくれず、とっとと往復券を購入して不敵に笑うご亭主殿💦

そんなこんなで(笑)、ぴったりと後ろに張り付き、やって来たゴンドラに嫌も応もなく乗り込まされ😭

ゴンドラからの素晴らしい眺め(ご亭主どの撮影)なんぞ、目に入る余裕もなく・・🙏

無時たどり着いた山上駅、乗り合わせた方との記念写真の写しあい。ひきつった笑顔で、折れそうなほど柵を握り締める私、不敵な優越感で笑うご亭主殿😅

ご亭主殿の「やった!!」顔の、まぁ、小憎らしい事(笑)

でも大地に足を付けて、自分の目で見る春霞の岩国城下の美しさは、また格別の趣なのですよ。

山頂駅から岩国城までは、徒歩で約10分。舗装された道路の右手に、慶長13年(1608)の要害築城時に造られた「大釣井 (おおつるい)」を発見。この付近は「水の手」とよばれ、城の水場として重要な場所と位置付けられていました。

1995年に発掘、修復、復元された「旧天守閣跡の石垣」

程なく、昭和37年(1962)に再建された「岩国城模擬天守」が見えてきました。

築城当初は3層4階の桃山風南蛮造りだった岩国城は、完成からわずか7年後の元和元年(1615)、幕府の一国一城令により破却され廃城に。模擬天守は、錦帯橋付近からの景観を考え、旧天守台から南に50mの所に、古図面をもとに再建。

たとえ模擬天守とは言え、城は城😊 館内には武具や、往時を偲ばせる鯱なども展示されており(しかも撮影OK)、岩国の歴史の一端に触れる事が出来ました。

天守閣最上階物見から見下ろす城下の眺め。眼下には錦帯橋、右手に見えるのは錦城橋。

お天気が良ければ、はるかに瀬戸内海の島々や四国が見渡せると言う・・ああ、きっとあの辺りが瀬戸内海に違いない。

床面に描かれた古地図と見比べながら、今いる場所を再確認するご亭主殿。

模擬天守を後に山上駅へ・・またあの恐怖の数十分が・・(いや!!僅か3分です)

「古式穴太積(こしきあのうづみ)」を丁寧に説明してくれるご亭主殿😊。でもこうやって見ると石垣に悪戯をしているみたいですよ💦

山上駅の近くにあった「からくり時計」。毎時15・35・55分に作動して、鵜飼の人形とテーマ音楽が流れるそうですが、一度も遭遇できませんでした。

山上駅の近くからご亭主殿が写してくれた写真。左手前の鳥居は「白山比咩神社」、道路を隔てて岩国山麓駅と岩国美術館の建物。高所からの画像は、ある意味貴重(笑)なので「有難うね😊」

改めて見上げる「岩国城ロープウエー」。どうでも良い情報ですが、現在のゴンドラは2010年12月25日、約24年ぶりに新車に交換されたもので、開業以来3代目の車両だそうです。

訪問日:2013年4月20日

 


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6 コメント

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Unknown (necydalis_major)
2024-07-17 20:53:04
だんちょう

こんばんは!
実は僕もゴンドラもかリフト苦手で、
常に落っこちるんではなからうかと
考えてしまい怖くてなかなか乗れないタイプなんです(笑)
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だんちょうさん (tibineko)
2024-07-17 22:58:25
なんと!!
まさか同志にお目にかかれるとは!!(笑)

私の周り、なぜか皆さんお好きなんですよ
で、大概押し切られるんです
( ノД`)シクシク…
返信する
吉川広家といえば (まっち)
2024-07-18 01:53:11
錦帯橋など優美な印象の強い岩国ですが、初代藩主広家についてはどうしても裏切り者の汚名が付きまといますね~。
それが影響してか、本家である毛利家との関係もぎくしゃく、幕末まで紆余曲折の歴史でした。
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まっちさん (tibineko)
2024-07-18 11:09:38
吉川氏と毛利氏
関ヶ原の戦いにおいての、東軍との密約
合戦の後の毛利氏への沙汰に対して
助藩の嘆願を成したと伝えられていますが・・
当時の情勢からみれば、間違いなく裏切り者と見なされても致し方なかったと思いますね。
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3分間のケーブル (onecat01)
2024-07-20 22:24:58
 tibinekoさん。

 たかが3分間のケーブル、されど3分間ものケーブル・・久しぶりに笑わせて頂きました。

 「ひきつった笑顔で、折れそうなほど柵を握り締める私、不敵な優越感で笑うご亭主殿」

 「でもこうやって見ると石垣に悪戯をしているみたいですよ💦」

 「高所からの画像は、ある意味貴重(笑)なので「有難うね😊」」

 貴方のブログが、私のふさいだ気持ちを明るくしてくれました。最高のプレゼントでした。感謝いたします。
返信する
onecat様 (tibineko)
2024-07-21 09:58:47
情けないくらいに高所は苦手

まだロープウェイだから耐えられましたが
リフトなんて、絶対に無理
ゆえにスキーに行きたいとか、思った事もありません(笑)

綺麗な湖も、遠景も、幼児用かと言われるくらいの立ち位置で
美しい灯台も、下から見上げるだけで満足
タワーと名の付く物も、実際に上ったことがあるのは極わずか
それも中央の壁にへばりついて、向こうの景色を見るだけ
一体どんな前世があったのかと真剣に考えたことも(-_-;)

なのに・・たまにあり得ない行動をとって、tononekoさんに不思議がられます。
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