車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

金刀比羅詣り~其の一 in 香川県琴平町

2021年03月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

名勝:象頭山中腹に鎮座される「金刀比羅宮」。御祭神は『大物主命』。
明治以前は金毘羅大権現と呼ばれ、全国に約600社ある金刀比羅神社・金比羅神社・琴平神社の総本宮、海上交通の守り神として漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めています。

由緒は二説あり、「一説に、大物主命」が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするもの。また、もともと象頭山にあった松尾寺に金毘羅が守護神として祀られており、これが金毘羅大権現になったとする。」

ご亭主殿と二人の金刀比羅参り、公式HPの案内を真似てレッツ!スタート。表参道から始まった石段のぼり、113段を数えたところで、トップ画像の「一之坂鳥居」。鳥居の両脇より神域を守護されるのは重要有形民族文化財指定、天保15年(1844)建立の備前焼獅子狛犬さん一対。

鳥居から先は一ノ坂、石段は段々と急になっていき、168段を数えたところで、左側に注目👀。安政5年(1853)船の下梁を利用して建てられた、重要有形民俗文化財「灯明堂」があります。

更に120段をのぼり288段を数えた所で、右手の境内一画に建立されているのは「元金比羅宮宮司:琴陸宥常(ことおかひろつね)像」。明治中期に「日本水難救済舎」を設立した人物です。

石段の数は351段、一の坂の終点の境内左手には「鼓楼及清塚」と題された案内板。「平安朝 に令名を馳せた作家清少納言 は老後四回に渡り当宮にも参り終り此の地におわると言い伝し二百六十年程前宝永七年この鼓楼建築にあたり、その塚石をみいだしました。のち天保十五年今から百三十年程この碑を建つ鼓楼は朝夕時刻をしらせる時太鼓を備えた高閣である」悔しい事に、鼓楼の横にある清塚の碑は雨の為にボケボケ😩

参道の右手、金刀比羅本教総本部前に建立されている重要有形民族文化財の「青銅大燈籠」。案内に寄れば「山形県酒田」よりの奉納で、同型のものが山形県の山寺に一基、宮城県金華山の黄金山神社に一対奉納されています。

365段を数えた所で大門到着。本宮までは785段なので、約半分近く登ってきた事になります。「高松藩主:松平頼重」により寄進された二層入母屋造瓦葺の大門。その門前より神域を守護されるのは、享和元年(1801)建立の典型的な浪速狛犬さん一対。

境内の一画で商われる、こんぴら名物「加美代飴」。これは金刀比羅宮境内大門内にある5軒の飴屋のみが販売を許されており、この5軒の飴屋の通称を「五人百姓」と言います。この呼び名は、御宮の神事における役目であり、先祖による御祭神の供奉を行っていた功労が称えられ、特別に境内での営業を許された5軒の称号なのだそうです。

石段のぼりで疲れた足をゆっくり休めて、良い景色でも眺めたい所ですが、生憎の雨なのに、雨宿りの場所もありません。でも雨にも負けず、この桜馬場の玉垣内を守護されるのは、青銅の狛犬さん一対。吽形さんの頭の宝珠の重たそうな事・・。

このころから次第に雨脚が強くなり、安易にデジカメを向けることも出来なくなりました。少しピッチを上げなければ・・可愛らしくお座りの犬は「こんぴら狗」。首にかけた「こんぴら参り」の袋に、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などを入れ、旅人や街道筋の人の世話を受けながら、飼い主に代わってこんぴら参りの代参をします。それと知ってお世話をする人・・古きよき時代の話に心がほっこり。

・・・の後は、なんでやねん?と突っ込みたくなる「アフリカ象の像」。これってもしかして「象頭山」に引っ掛けての奉納?

広大な神域を持つ金比羅宮・・まだまだ先は長い・・と言う事で続きは明日のブログで

参拝日:2011年6月18日


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