車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

最上稲荷山妙教寺~其の一 in 岡山県岡山市北区

2021年08月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

「妙法(みょうほう)」とは、仏教において深遠微妙なる法、教え、特に「法華経」を指す。  特定の宗派を持たない私には、経典の教えは正直なところ・・よくわかりません。

岡山市北区にある日蓮宗寺院「最上稲荷山妙教寺」。所在地が岡山市の高松地区であることから「高松稲荷」とも称されます。 そして何故か、高松地区というと真っ先に思い出すのが「高松稲荷」と「備中高松城の水攻め」😣

わき道に逸れかけましたが、本尊は『久遠実成本師釈迦牟尼仏』、祈祷本尊は『最上位経王大菩薩(稲荷大明神)』。脇神として『八大龍王尊』『三面大黒尊天』が共に本殿に祀られており最上三神』と呼ばれています。

「天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。 以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。」公式HPより

『最上位経王大菩薩』は、右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をされ、稲荷神の本地とされる『荼枳尼天』と同じ像容を備えています。

昭和47年に建立された大鳥居は、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。ここから最上稲荷までは2700m。

参道入り口の二の鳥居を潜るといよいよ最上稲荷の参道口。境内でもある広場は私設の駐車場が幾つも設けられており、ここから徒歩で参拝。

アーケード参道の中は門前町が形成されており、その左右には隙間なく土産屋が軒を連ね、呼び込みの掛け声が参拝者の足を止めさせます。

門前町の参道を抜けると中興350年記念事業として昭和33年(1958)に再建された仁王門が出迎えてくれます。インドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しく、2009年に登録有形文化財に指定されました。

参道側の仁王門内には阿吽の「金色仁王尊像」が、境内側には白狐像がそれぞれに神域を守護されています。

石段参道を登りきった先に、開山千二百年記念事業として昭和54年に完成した「霊光殿」が見えてきました。

石段参道の上、両脇より仏域を守護されるのは、文政12年(1829)11月建立の出雲構えの狛犬さん一対。吽形さんの傍らには楽しそうに参拝者を見る子狛の姿も有ります。

岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の被害を逃れた所といわれ、日蓮宗系「神仏習合」の祭祀形態を今も残す「最上稲荷」。本殿と呼ばれる建物の前には、長さ約 12m、総重量1.5tの大注連縄がかけられています。

更に本殿の向かって右手には、御神紋「抱き稲に焔(ほむら)宝珠」の腹掛けをつけた神馬が一頭。

本殿からさほど遠く無い位置には「旧本殿跡霊地」と刻まれた石坐が安置。旧本殿はここからあの坂道を上って・・その様子を想像するだけで、ため息に似た吐息がこぼれる・・罰当たり😅。

本殿から旧本殿へむかう途中に建つ、木造・入母屋造本瓦葺の鐘楼。亀甲基壇の上に設置された鐘楼の・・屋根の飾瓦が、とても魅力的なのです。

鬼の下から顔を突出しているのは龍かな?鼻先にあるのは、もう散ってしまった梅?それとも何か美味しい実のなる木??

参道に面した屋根の上では、さして変わった事も無い毎日にすっかり慣れてしまった風の、鬼と龍。はてさて、どっちが良かったんでしょう😊

公式HPでは文化財ゾーンとして紹介されている旧本殿は明日の「最上稲荷山妙教寺~其の二」で。

参拝日:2010年3月3日&2015年4月25日


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