信州安曇野の道祖神巡り、記念すべき最初の出会いは、安曇野市豊科南穂高「細萱洲波神社」境内入り口の「細萱双体道祖神」。裏面に「天保十二(1841)辛丑歳春睦月吉旦 細萱町中」の刻。「細萱型」の由縁となった「道祖神」です。
6度目の信州車泊旅ではこの双体道祖神に逢える事がとても楽しみだったので、感動もひとしお。170年前に作られたものとは思えない、想像以上に美しい姿であった事にも驚かされました。
互いに寄り添いそっと手を取り合う姿は、私たちが常にこうでありたいと思わせる、極上の優しさに満ちた姿。この先に出会える筈の道祖神への期待を更に膨らませてくれた記念すべき一枚です。
撮影日:2010年10月16日
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安曇野市豊科成相、長野銀行豊科支店の一角に「握手双体道祖神」。「ながぎん 1992年11月」の刻。衣装とかお顔がまだ初々しくて新婚さんか、それともまだ恋人同士かな?
こちらはどこで見かけたのか忘れてしまった「握手・抱擁双体道祖神」。さしづめ熟年ご夫婦バージョン。
道祖神マップにも情報が無く、いつの年代なのかわかりませんが、一見したところ新しい時代の作成に見えます。
安曇野市豊科重柳、開道記念「酒器・祝言双体道祖神」「寄贈 (有)山本組 渡辺部建設 渡辺工務店 昭和六十三年三月吉日」の刻
十二単の裾を広げて座る女神はまだ幼さの残る顔、そんな女神を優しい眼差しで見る男神。瑞雲の上で繰り広げられる平安絵巻の祝言の様子に頬が緩みます。
安曇野市豊科高家中曽根、「酒器・祝言双体道祖神」「安政五午年(1858)正月吉祥日 下中曽根 連中 帯代金二十両」の刻。他、「念仏供養塔」・「二十三夜供養塔」。
大きな瓢を持つ女神と盃を手にする男神。長く連れ添った夫婦は顔立ちが似てくると言いますが、祝言の時からこんなに似ている夫婦なら将来も安心ですね😊
安曇野市豊科南穂高重柳 、「酒器祝言双体道祖神」・「庚申塔」他一基。お日様をまっすぐに受けた「双体道祖神」は白く輝き、中区が無ければ気づかない程。
「天保十一庚子年(1840)正月吉日 等々力村新町中」の刻。覆い屋の無い双体道祖神はどうしても石の摩耗が進み、表情やしぐさの判別が困難になります。
安曇野市豊科南穂高細萱、「握手双体道祖神」・「庚申仏塔」二基・「大黒天」一基、他「文字碑」四基。
「文政五壬午二月吉日 新屋中」の刻。摩耗が進み表情の判別はつけがたいのですが印象としてはとてもおだやかなお顔をされておいでです。
「庚申仏塔」二基
「大黒天像」。石のシミの加減で目が怖い・・😱
安曇野市豊科南穂高細萱、田屋集会所前に「握手双体道祖神」。「享和元酉天(1802)十一月日 」の刻。何から何まで瓜二つ、まるで鏡の前の二人ですね。
安曇野市豊科南穂高細萱、殿村公民館近くに「握手双体道祖神」・「文字道祖神」・「二十三夜塔」各一基。
「天保十二丑年(1839)正月日 松下中 帯代八両」の刻。俯き加減の女神の仕草が何ともいじらしく、それを見守る男神の大人の雰囲気がまた良い感じ。
すでに表情を無くしかけた道祖神さま、時代に沿って新しく誕生した道祖神様。路傍の神である道祖神は何時の時代にも「そこ」に存在し、静に人々の営みを見続けているのです。豊科地区の道祖神、更に明日へ続きます。
撮影日:2016年4月19日
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『道祖神(さえのかみ)=道俣神(ちまたのかみ)=岐の神』、伊邪那美命の死後の姿に恐れ、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命が禊祓をした折、脱いだ袴から生まれた。道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神。旅人の安全を守護する神。
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