車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

松江城 in 島根県松江市

2018年06月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

入母屋破風の屋根が羽根を広げたように見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれる「松江城」。 現存天守は2015年に国宝に指定されており、同じように国宝に指定された天守を有する五城(犬山城、松本城、彦根城、姫路城)のうちの一つです。

松江城の歴史は、慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いで戦功のあった「堀尾忠氏」が、隠岐出雲24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立したことに始まります。しかし月山富田城は中世山城であり、近世城下町形成には不利であった為、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補としました。慶長12年、亀田山に築城を開始し四年の歳月を経て、慶長16年に落成。やがて明治の廃城令が出るまで、この城は松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となりました。

廃城令により、城内の建物は国から買い戻された天守を除いて、全て払い下げられ、撤去されました。天守も180円で売却される事となりましたが、出雲郡の豪農『勝部本右衛門』と、元藩士『高木権八』が、同額の金を国に納めるかたちで買い戻され、保存される事となりました。
彼らの働きがなければ、目の前にそびえるのは、観光地によく見られるコンクリート製の天守もどきだったでしょう。

標高29メートルの亀田山の頂上。山陰地方に現存する唯一の天守からは宍道湖が眺望できます。「堀尾家三代、京極家一代、」その後、寛永15年に『松平直政』が入府した後は、明治維新まで松平家の統治が続きました。
この日は思いの他足の痛みがひどく、本物の天守に登るには無理があると言う事で外観のみ (>_< )

穏やかな日差しの中、美しい天守を見ながら散策していると、不思議に満ち足りたような気分になります。 復元された本丸一ノ門や南多聞に囲まれて、城は美しさだけでなく雄雄しさを取り戻しました。 二の丸南櫓、中櫓、太鼓櫓と・・・本物の天守の存在は、復元された建物にも威厳を備えさせるようです。

何時間いても見飽きない景色ですが、旅の途中の二人には些か時間をとり過ぎ(^^;) まだまだ城跡には城の鎮守の社や、登録文化財の洋館など、見たいものが一杯残っています。そろそろ下城せねば。

天守部分を除く城跡は昭和初期に松江城山公園として整備され、多くの人がゆったりと時間を過ごしています。 その一角に真っ白な花を咲かせた枝を広げる「なんじゃもんじゃ」の木。本当は「ヒトツバタゴ」が正式な名称ですが、私はこの素敵に楽しい呼び名が気に入っています。

濃い松の緑が覆いかぶさるようにお堀の周りを囲み、通り抜ける風はとても心地よく流れてゆきます。 何世紀が過ぎ去ったとしても変わらないものがあるとするなら、それは木々を揺らす風、流れすぎていく水の色。

お堀の向こうに見えるのは、石垣と太鼓櫓と・・お堀に逆さまに見えるのは石垣と太鼓櫓・・・

県庁前の広場南側には、真っ直ぐ天守を見守るように『松平直政公』の馬上像。 富国・安民・質素・節財等の大綱を示し、藩政の基礎を固めたと伝え「名君」とされた松平直政。今、彼の目に映るのはどんな景色でしょう。

突然ですが(笑)、脱力しそうな風船人形は、松江開府400年祭マスコットキャラクター『あっぱれくん』。モデルは『松平直政公』だと思うのですが、本当にこれで良いんですか?直政さん・・(笑)

訪問日:2011年5月19日


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