時の江戸幕府に対し、開国を(強制的に)求めて黒船でやってきた『マシューペリー』。 下田港に上陸した『ペリー』は、300人の部下を引き連れて、「了仙寺」まで行進したといいます。
今、平滑(ひらなめ)川沿いの路は、「ペリーロード」の愛称で、観光客の人気を集めていますが・・当時の日本人にとってペリーとはどんな存在だったのかを考えると、過去を根に持たない日本人らしさと言うべきか(笑)
川風にゆれる柳の並木に誘われるように、ゆっくりと歩いていけば、そこかしこに顔を覗かせる洒落た風景。
明治時代に遊郭だった建物は、窓にステンドグラスが埋め込まれた、何とも艶めかしい佇まい。
一階の屋根の上からこちらを睨んでいる「鍾馗」は、さしづめ、「骨董店:風待」の用心棒かな。
赤い欄干の「柳橋」のたもとにあるのは、安政元年(1854)に建てられた廻船問屋「土佐屋」。二階の腰壁一面に貼られた白と黒の「なまこ壁」が、ひときわ存在感を主張。
こんな町並みには、やっぱりガス灯のオレンジ色が良く似合う。
逢坂橋のたもとにある美しい佇まいの古民家と、伊豆石造りの蔵は大正3年(1914)の建造。 現在はギャラリーアンドカフェ「草画房(そうがぼう)」として、街ゆく人の憩いの場になっています。
伊豆石造りの蔵は、書家の『竹澤尚生(たけざわひさお)氏』のアトリエ。(伊豆石は「室岩洞」に代表される、伊豆の山から切り出された石材の総称。)
蔵と隣接して建つ、緑の窓枠が可愛い石造りの洋館は、築150年のイタリアン・レストラン。 この画像では石造りの蔵のほうが存在を主張して、レストランは半分しか写っていませんでした(^^;)
ペリーロードを歩いていると、石畳の道にとてもユニークなデザインのタイル。洋服の男性は黒船の乗組員のようで、商人から樽に満たされた酒のようなものを買い求めています。
明治・大正の浪漫漂うペリーロードも、この「1829年製30ポンド:カロネード砲」が設置された場所で終わり。 ここから開国記念碑まではそんなに遠くなかったらしいのですが、うっかり見逃してしまったようです(笑)
ガス燈の向こう、なまこ壁と伊豆石が美しいお屋敷は、1918年に建築された「旧澤村邸」。なまこ壁の建物って、本当に歴史を思わせる町並みにはぴったりの佇まいですね。
訪問日:2011年11月10日