先日、2日続けて、都内の著名な場所を訪ねた。
5月31日には、鶯谷駅近くの子規庵と駒込駅近くの六義園に、6月1日には、上野駅近くの旧岩崎邸跡と飯田橋駅近くの後楽園公園に行った。
前者は、当日午後3時から秋葉原駅近くで、所用があったので、一人で朝早く出掛けた。
後者は、俳句仲間と吟行の下見で出掛けた。
子規庵は、俳人にとっては「聖地」ともされていて、本来なら全国から沢山のひとが来るところだが、狭い場所のため感染拡大防止のため、休館が続いており、残念だった。
それにしても、すぐ近くまでラブホテルが伸びて来ており、異様な光景だった。
それに比べ、六義園は広々とした大名庭園(五代将軍・綱吉の側用人だった柳沢吉保の別邸)のかなりの部分が残されているので、沢山の人出で、賑わっていた。
数十年ぶりだったが、以前より木々が繁っているように感じた。
旧岩崎邸跡は、不忍池のすぐ近くの高台にあり、さすが三菱の創設者一族のゲストハウスという、贅の限りを尽くした木造洋館だった。
戦災でも焼かれず、米軍に接収されて当日は、居住部分の広大な和館もあったそうだが、返還後に、その部分を壊して、司法研修所にしたという。(和館エリアの庭には、それはそれは巨大な石が使われているが、六義園のような情緒は無かった。)
そのため、今も、似つかわしくない安物のコンクリート建ての4階の官庁風建物が敷地に飛び出しており、無様である。
(芝生の広場も、司法研修所のグラウンドにされていたそうで、傷みが残っていた)
後楽園公園は、水戸徳川家の上屋敷跡である。
上屋敷の半分以上が後楽園球場や遊園地になっているので、かなり狭くはなっているが、それでも広大なものである。
手入れも六義園よりしっかりしていた。
都心の大きなホテルなども、大名屋敷跡が多い。
短期的視点の経済合理性だけで無く、是非とも大事に残して欲しい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます