笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

昨日は、長ーい一日でした。

2021-03-08 11:38:11 | 日記
昨日3月7日は、長ーい一日でした。
(俳句では、「日永」は春の季語です)

来月の笛の発表会で行う「江戸囃子」の下ざらいのため、所沢の大先生宅にうかがって稽古をしたことと深夜に及ぶテレビの視聴をしたことです。

同行の同じ千葉市在住のnさんが起きた時刻には、私は家を出てしまい、iさん・nさんとの待ち合わせの西武線の池袋駅には予定の2時間も前に着きました。

発車時刻まで時間を過ごすため喫茶店を覗くと、長い列が出来ています。

「密を避ける」ため、喫茶店でなくデパート屋上カフェに行くと、しばらくしたら北風が吹いて来て寒くてならなくなったので、その後は西武線の駅のベンチで過ごしました。

(街中もデパートもすごい人ごみでした。私は、まるで、お上りさん状態です)

到着駅でオシッコをし、そこからは、前に行った時に目についた桜淵のお地蔵さま、カラオケ店、茶畑を目印に大先生宅を目指しました。

(同行のiさん、nさんは何も言ってくれませんでしたが、我ながら、記憶力が確かなのを一人感心しました。ーー年寄りは、どうで良い記憶はしっかりしている)

大先生宅の玄関では、「家内の躾」通りに、白い靴下に履き替えました。

nさんに「腰当は持って来た?」と訊くと、予想通り、忘れていましたので、お貸ししました。
私が二つ持って行って正解でした。

土曜日にT先生から、「最初に、「忍吹杖」を見て頂く」と言われていたので、私は、自主的に一本調子の音出しをしました。
(当たり前のことだが、「自分を褒めたい」)

T先生の到着を待って、太鼓の撥の使い方を習いました。
ゴルフのクラブは、中指・薬指・小指(特に小指)でしっかり握るのに、太鼓の撥は親指・人差し指でしっかり握り、あとの3本指には力を入れないように言われました。
どうしても、ゴルフクラブの癖が出ます。
本物の撥と本物の太鼓には、大変感動しました。

稽古の前に、並んで正座して、大先生に正式のご挨拶をしました。

T先生が、「正座が無理なので、当日は「忍吹杖」を椅子に座って吹かせたい」とお願いしてくれましたが、大先生から「身体的事情や暗譜が出来ていない人以外は、椅子を使わないことにしている」とのお話で、立って吹くことになりました。

家でも座って吹いているので少し不安がありましたが、「息をゆっくりと深くして吹こう」と決めて吹きました。

途中で、自分に「頑張れ!」と言いきかせ、後半では「高名の木登りの話」を思い出して、最後まで注意して吹ききれました。

大先生から、「良かったよ」と言われ、感動しました。2カ所についてご指導を受けました。

お囃子については、「太鼓が前列・笛が後ろでやりたい」と言うT先生に対し、大先生からは「それだと笛より太鼓が目立つ。笛の発表会だから、太鼓は脇の方が良いのでは?」との話がありました。

息を潜めて成り行きを見守っていましたが、「四人のグループの努力を見せたい」と言うT先生の意向が通りました。

私は、正座して叩いてみたら、直ぐに足が痛くて太鼓どころではなくなりました。

鯉沼先生から、「胡座でも良い」と言われたので、ほっとして胡座にしました。

(長時間の胡座は、仙骨が痛くなる危険性がありますが、当日は15分位なので大丈夫です)

まず、「お囃子の通し」をやりましたが、何とiさんには珍しく「屋台」の高音が抜けてしまい、「あれあれ」となりましたが、最後までやりぬきました。

鎌倉では、私の大太鼓が何時もと同じところでA、Bの入れ違いになりました。

大先生から、「全部Aで良いんだよ。Bは空白が有るから難しい」と言われたので、それ以降はAで押し通しました。
本番ではどうするか、T先生と相談しなくてはなりません。

鎌倉から正伝、正伝から神田丸、神田丸から鞨鼓、鞨鼓から四丁目、四丁目から上がり屋台への「切り替えの仕方が良くない」と言うことで、繰り返しやり直しになりました。

中でも、四丁目から上がり屋台への切り替えは大きく変更がありました。

(2度目の、テンテンテンテンテンテケテンの後、直ぐに中之切に行くことになりましたので、私のドンドンドドドン・ドドドンドドドンは1回だけになりました)

大先生の大太鼓を見ていて、私の屋台の「ツドドドン」のテンポが少し遅い(「ツー・ド・ドドン」となっている)のも分かりました。

1時間半もの間、笛を吹き続けで、しかも、大先生からの指導があちこちへと飛ぶのに、iさんは水を一滴も飲まずにやり通しました。
凄いなと思いました。

練習の後、大先生がお茶とお菓子を入れて下さり、大変美味しく頂きました。

大先生は、「良ければ、空いている時に来て、太鼓を使って練習していいよ」と言って下さいました。

帰りは、T先生は別ルートと言うことで、大先生のお宅のそばで別れました

(家に帰って地図を見たら、何と駅まで3キロ近く歩くようでした。お疲れさまです。)

私は再び下山口駅でオシッコをしました。

(iさんは、行きも帰りもしませんので、「膀胱が丈夫で羨ましいな」と思いました)

有楽町線で帰るiさんとは練馬で、総武線各駅停車で帰るnさんとは池袋でお別れしました。

東京駅はガラガラで、成田行きの快速もガラガラでした。

家に帰ってからは、テレビで、日本(渋沢栄一)、中国(秦の始皇帝の母)、韓国(遊び人の王子)のドラマを次々と見て、12時過ぎに風呂に入って寝ました。

頭も身体も大変疲れましたが、心は充実した一日でした。


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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。

http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
コメント (2)
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