山下公園通りの北側にひらけた広場がある。ここが「日米和親条
約締結の地」である。安政元年(1854)に日米の代表が横浜のこ
の地で会見し、和親条約を結んだ。この条約は神奈川条約とも呼ば
れ、日本の開国を促すと共に、横浜市誕生の遠因となった。その、
歴史的舞台となった応接所は、今の神奈川県庁辺りである。
この広場の中に「時計塔」レプリカがあった。この時計塔は1891
年頃、大桟橋付近に設置されていたもので、暴風雨の際に旗を揚げ
て船に信号を送っていたといわれる、そのミニチュアだ。
また、「旧居留地90番地の大砲」もあった。これはスイスの商社
の輸入品の一つで武器も扱っていて、同社跡地から発見され横浜市
に寄贈されたもの。全長282.5cm、口径11.5cm、重量1,480kg
の大砲はみごと。
(横浜市中区日本大通・開港広場内)
時計塔 旧居留地90番地の大砲
約締結の地」である。安政元年(1854)に日米の代表が横浜のこ
の地で会見し、和親条約を結んだ。この条約は神奈川条約とも呼ば
れ、日本の開国を促すと共に、横浜市誕生の遠因となった。その、
歴史的舞台となった応接所は、今の神奈川県庁辺りである。
この広場の中に「時計塔」レプリカがあった。この時計塔は1891
年頃、大桟橋付近に設置されていたもので、暴風雨の際に旗を揚げ
て船に信号を送っていたといわれる、そのミニチュアだ。
また、「旧居留地90番地の大砲」もあった。これはスイスの商社
の輸入品の一つで武器も扱っていて、同社跡地から発見され横浜市
に寄贈されたもの。全長282.5cm、口径11.5cm、重量1,480kg
の大砲はみごと。
(横浜市中区日本大通・開港広場内)
時計塔 旧居留地90番地の大砲