2月15日、雨上がりの朝、横浜中区の旧建物巡りを行った。
昨夜の嵐が去り、横浜の港町は路面もビルも街路樹も朝日を浴び
て、キラキラと輝いていた。すがすがしい気持ちで街巡りとあい
なった。
まずはみなとみらい線の終点・元町中華街駅で下車。地上に上
がると、以前中華街巡りで訪れたところであり、頭の中で地理が
蘇ってきた。
元町通りの道端に「横浜天主堂跡」の看板を発見。文久元年
(1862)、横浜居留地80番地(現在の山下町80番地)に、開
国後初のカトリック教会の聖堂献堂式が行われた。名称は「聖心
聖堂」といわれるが、建物に「天主堂」の文字が記されたので
横浜天主堂とも呼ばれた。
フランス代理公使の通訳として来日したジラール神父が、この
地の借地権を取得し、ムクニ神父と共に建設に従事して天主堂が
完成した。その後、天主堂は1906年に山手44番地へ移転。震
災後再建されたのが現在のカトリック山手教会だ。
1962年に天主堂創建100年を記念して碑が設置された。
(横浜市中区山下町80)
昨夜の嵐が去り、横浜の港町は路面もビルも街路樹も朝日を浴び
て、キラキラと輝いていた。すがすがしい気持ちで街巡りとあい
なった。
まずはみなとみらい線の終点・元町中華街駅で下車。地上に上
がると、以前中華街巡りで訪れたところであり、頭の中で地理が
蘇ってきた。
元町通りの道端に「横浜天主堂跡」の看板を発見。文久元年
(1862)、横浜居留地80番地(現在の山下町80番地)に、開
国後初のカトリック教会の聖堂献堂式が行われた。名称は「聖心
聖堂」といわれるが、建物に「天主堂」の文字が記されたので
横浜天主堂とも呼ばれた。
フランス代理公使の通訳として来日したジラール神父が、この
地の借地権を取得し、ムクニ神父と共に建設に従事して天主堂が
完成した。その後、天主堂は1906年に山手44番地へ移転。震
災後再建されたのが現在のカトリック山手教会だ。
1962年に天主堂創建100年を記念して碑が設置された。
(横浜市中区山下町80)