島根から六月に入る。炎天寺(えんてんじ)に寄ってみた。
こちらの寺は、源義家が奥州征伐の際、この地で野武士と戦い
苦戦の末に勝利したので、天喜4年(1056)八幡神社と寺を
建立。その戦いが6月の猛暑の中で行われたことにちなみ、村
の名を六月村、寺の名を炎天寺と名付けられたといわれる。
江戸の後期になると、俳人・小林一茶(1763~1828)が
この辺りをよく散歩しており、有名な一句を残している。
蝉なくや 六月村の 炎天寺
やせ蛙 まけるな一茶 是にあり
境内にあった句碑は文化13年(1816)に造られている。
この日、寺の本殿は修理中であった。
(足立区六月3-13-20)
蛙の石造 小林一茶像
こちらの寺は、源義家が奥州征伐の際、この地で野武士と戦い
苦戦の末に勝利したので、天喜4年(1056)八幡神社と寺を
建立。その戦いが6月の猛暑の中で行われたことにちなみ、村
の名を六月村、寺の名を炎天寺と名付けられたといわれる。
江戸の後期になると、俳人・小林一茶(1763~1828)が
この辺りをよく散歩しており、有名な一句を残している。
蝉なくや 六月村の 炎天寺
やせ蛙 まけるな一茶 是にあり
境内にあった句碑は文化13年(1816)に造られている。
この日、寺の本殿は修理中であった。
(足立区六月3-13-20)
蛙の石造 小林一茶像