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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

街を巡る 川崎2_鶴見 生麦事件碑

2009-12-01 06:22:13 | 街巡り_09
 生麦と言えば歴史の授業で習った「生麦事件」がある。文久2年
(1862)8月21日、この付近で薩摩藩・島津久光の行列に乱入
した騎馬のイギリス人を藩士が殺傷した事件だ。
 刀で切られたのはイギリス人商社マン、C・R・リチャードソンで、
最初の一太刀を浴びせたのは奈良原喜左衛門。生麦村本宮町(現在
の生麦4丁目)に当時住んでいた豆腐屋の勘左衛門が、この一部始
終を目の当たりにしたところに発生現場の説明板が設置されていた。
 通りを西に600mほど進んだところに「生麦事件の碑」がある。
これは、明治16年、鶴見の黒川荘三がリチャードソンの死を悼み、
また事件の風化を防ぐためにと建立。この場で薩摩藩士の海江田信
義にとどめを刺されたという。そのリチャードソンの墓は横浜外人
墓地にある。
(横浜市鶴見区生麦1-17-1)
生麦事件発生現場跡

街を巡る 川崎2_鶴見 原の神明社

2009-11-30 06:30:16 | 街巡り_09
 当時の「蛇も蚊も」祭で使用する萱の大蛇は、道念稲荷社で雄を、
原の神明社で雌をそれぞれ造られており、現在は稲荷社で3体、神
明社で2体造られている。町内を練り歩いた大蛇は、神明社の境内
で焼かれてフィニッシュとなり、1992年にこの祭は横浜市指定の
無形文化財になっている。
 原の神明社の本社は、保土ヶ谷区神戸町にある神明社の末社(38
社ある)のひとつ。こちらの社の境内は公園にもなっており、その
一角に「蛇も蚊も」祭をモチーフにした大蛇の造形物があった。実
際に本祭を観てみたいなあ。
(横浜市鶴見区生麦3-13)
石碑  蛇も蚊もの造形物

街を巡る 番外編 神宮外苑銀杏並木11_29

2009-11-29 09:49:35 | 街巡り_09
 11月も残りわずか、この時季気になるのが「神宮外苑の銀杏並
木」の紅葉具合。少し早起きをして神宮外苑へ向かうところ、途
中下車して高田馬場の麺処「末廣ラーメン本舗・高田馬場店」へ。
店頭に到着すると、店は閉められており24時間営業ではなくなっ
ていた。
 では、東京メトロ副都心線で新宿へ。「どうとんぼり神座」こ
こなら24時間営業で無休。途中、呼び込み屋に声をかけられるが、
こちらも“ごくろうさま”と返しておいた。
 神座の新宿店はグランドオープン時に伺ったきりだから再訪問。
美味しいラーメン700円は当時は衝撃的な味だったが、今回はす
き焼き風の香りがきつく少しガックリ。
 さて、夜が明けた6時30分過ぎに神宮外苑に到着、すでに数多
くの紅葉ファンがあちこちに。雨でも降れば人も少なく、思い通
りのカットが撮れるのだが、ここは我慢。
 来週末、再度伺おう。
美味しいラーメン  銀杏の落ち葉

街を巡る 川崎2_鶴見 道念稲荷社

2009-11-29 04:11:56 | 街巡り_09
 旧東海道を西に進んでいると、赤い鳥居が整然と並ぶ光景が目に
飛び込んできた。ここが「道念稲荷社」。昔、道念和尚が旅の途中
で立ち寄った際に建てられたという社だ。
 幾重にもつづら折れて重なる赤い鳥居、その参道入り口は、なぜ
か閉ざされており脇から眺めるだけ。一番手前の大きな鳥居の頂点
横木だけが黒く塗られているのは、何かの呪いであろうか。
 こちらの大祭は、毎年6月の第1日曜日に開催される「蛇も蚊も」
だ。今から300年ほど前の江戸時代、この辺りで流行った疫病に多
くの人が苦しめられた。そこで、村人は氏神であるスサノウノミコ
トにちなんで大蛇によって疫病を退散させようと考えた。当時の祭
は5月5日の端午の節句に行われていた。
 生麦あたりの河港には萱が生い茂り、その萱で長さ8間、胴回り
2尺の大蛇が作られ「蛇も蚊もでたけい、でたけい、でたけい、日
より雨けい、雨けい、雨けい」と囃し立てながら村中を練り歩いた
という。そして最後は、悪病を封じ込めた大蛇を海に流すと、その
疫病が治まったと伝承されている奇祭である。
(横浜市鶴見区生麦4-27)
石標  蛇も蚊も発祥地しるべ

街を巡る 川崎2_鶴見 水神宮

2009-11-28 05:05:05 | 街巡り_09
 生麦魚河岸とくれば漁師、その氏神さんが路地奥にあった。
「生麦水神宮」は、以前は正泉寺の境内にあったそうで、1927年
に現在の地に移転。正月2日には豊漁と安全を祈願して船を出す
“乗り初め”神事が行われていたが、それも昔の話。調べてみると、
その神事は一時中断していたが、1981年に復活し1994年まで続
いていたという。
 こちらの社の境内左奥に、富士講とわかる富士浅間神社が祀って
あった。
(横浜市鶴見区生麦4-31)
水神宮_狛犬

街を巡る 川崎2_鶴見 古地蔵と亀供養墓

2009-11-27 04:23:18 | 街巡り_09
 魚河岸通りを西に進むと左側に南海山 瑠璃光院「正泉寺」(しょ
うせんじ)がある。寛永元年(1624)開創、ご本尊は海中より出
現した薬師如来坐像。
 この寺の短い参道に鶴見区で一番古いと言われる「地蔵尊」があ
った。南西向きに安置されている地蔵は、慶安5年(1652)に供
養造立したとある。門主に伺うと、この地蔵は違うお寺に祀られる
ため運ばれている途中、こちらの参道で休息のため一時置かれたが、
再び動かそうとしたところ、持ち上げることが出来なかったと言う
伝承が残されているという。
 山門をくぐり本殿前に来ると小さな舎の中に「亀供養墓」があっ
た。これは、この地で地引き網を行っていた時、網の中に大きなウ
ミガメが一匹架かっていて、漁師たちが竜宮の使いとして酒を飲ま
せた。その後、1912年に亀の死を哀れんで供養墓が建てられたと
いう。
(横浜市鶴見区生麦4-31-4)
亀供養塔  正泉寺

街を巡る 川崎2_鶴見 生麦魚河岸通り

2009-11-26 06:25:59 | 街巡り_09
 国道駅のガード下から生麦魚河岸通りに出る。この通りは江戸の
頃から続く旧東海道にあたり、街道に沿い400mほどに約80軒の
店が並び、寿司屋もネタを買いにくるプロ御用達の魚河岸で、一般
の小売りもしてくれる。
 少し歩いたところで、まずいことに気がつく。歩いた時間が朝早
すぎたし、日曜日だった。この時間、この曜日は通りの左右のお店
はほとんどシャッターが降ろされ、味も素っ気もないただの通りに
すぎない。それでも、店先に掲げられた看板で鮮魚類を扱う魚屋で
あることが判る。次に伺う時は商売が始まる時間(ピークは7時か
ら9時)としよう。
(横浜市鶴見区生麦5丁目辺り)

街を巡る 川崎2_鶴見 JR国道駅

2009-11-25 06:20:29 | 街巡り_09
 川崎を後に、浜川崎駅からJR鶴見線に乗り国道駅で下車。
 第一京浜国道と鶴見川に挟まれたこの駅は、高架駅でホームから
階段を伝って下りていくと、ガード下通りのその光景が、まるで時
間を巻き戻したように昭和初期の面影を残している。しいて現在を
挙げるなら、改札口に設置された無人用簡易Suica改札機だろう、
がこれが真新しくて、このシーンには似合わない。
 1930年(昭和5年)開業とあり、レトロな駅の雰囲気はこれま
でに映画やTVドラマのロケで使用されてきている。しかし、このヒ
ンヤリとした空気、日中はいいが、夜一人で歩くにはいささか勇気
がいるだろう。
(横浜市鶴見区生麦5-12-14)
JR国道駅_2  国道駅_3

街を巡る 川崎2_鶴見 大島劇場

2009-11-24 06:28:15 | 街巡り_09
 今度は大島3丁目に進んでみて、ある建物を確認したかった。そ
れは、「大島劇場」。この劇場は、浅草の木馬館大衆劇場、十条の
篠原演芸場、立川の立川大衆劇場と東京大衆演劇劇場協会に所属す
る4館のうちの一つ。開館は1950年、かつては川崎市内に18軒も
の演劇場があったといわれる。
 大衆演劇の良さは、観客席が舞台に立つ役者との距離感が限りな
くゼロに近く、その演劇中の一体感が魅力の一つでもある。この劇
場は、かつては下町の玉三郎こと梅沢富美雄も公演したところ。
 大島劇場11月の1ヵ月公演は、「風美涼太郎劇団」が旗揚げをし
ていた。
(川崎市川崎区大島2-16-1)
11月公演

街を巡る 川崎2_鶴見 大島八幡神社

2009-11-23 04:24:00 | 街巡り_09
 桜川公園を後に大島3丁目の「大島八幡神社」を目指す。この
社は、八幡太郎と名乗っていた源義家が前九年・後三年(1051
~87年)に勝利した際、大島村の農民が義家に兵糧を提供し、
そのお礼に創建されたという。ただし創建年は不明。
 この社には一風変わった狛犬が設置されている。狛犬が砲弾を
踏みつけているのである。これは、日露戦争の凱旋記念として奉
納された狛犬で、台座には明治39年(1906)10月、11代目飯
島吉六の作だという。
(川崎市川崎区大島2-16-1)
大島八幡神社