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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

街を巡る 東京の名水_2 賀茂真淵の墓

2009-12-11 06:29:57 | 街巡り_09
 東海寺大山墓地の東側に進んでみると、大きな囲いのある墓が目
についた。ここは「賀茂真淵の墓」だ。賀茂真淵(1697~1769)
といえば江戸時代の国学者で、駿河・浜松の神官の家に生まれ、京
都・賀茂神社の末流の出だ。
 真淵は、万葉集などの古典を基に古代和人の精神を研究し、荷田
春満、本居宣長、平田篤胤とともに“国学の四大人”と呼ばれた方
である。
(品川区北品川4-11-8)
真淵の石標

街を巡る 東京の名水_2 沢庵和尚の墓

2009-12-10 06:19:52 | 街巡り_09
 品川神社を後に山手通りを西側に進む。JR東海道本線と新幹
線や在来線の間に挟まれた三角をなす一角に東海寺の墓所があ
り、その東海寺大山墓地に有名な御仁の墓があった。
 その一人が「澤庵宗彭」(たくあんそうほう)、そう沢庵和
尚の墓である。沢庵(1573~1646)は江戸の頃、臨済宗の
名僧で但馬国出石の生まれ。紫衣事件(1627)で出羽国へ流
罪されるが、その後特赦され徳川家光の恩恵を受け、江戸に萬
松山東海寺を創建され、その住職となる。
 沢庵和尚といえば大根の沢庵漬けで有名だが、京や大坂で広
まっていたタクワンを和尚が江戸で広めたという説と、家光が
東海寺を訪れた時、“貯え漬け”を供したところ大いに気に入
り、“沢庵漬け”と命名したと伝わっているが、どちらも定か
ではない。
(品川区北品川4-11-8)
沢庵和尚墓_石標

街を巡る 東京の名水_2 板垣退助の墓

2009-12-09 06:23:09 | 街巡り_09
 品川神社の境内にて「一粒萬倍の泉」の在処を探している最中、
本殿の裏側に回って発見。まさかこんなところに「板垣退助の墓」
があるとは。なんと、昔はこの場所は東海寺の境内だったところ
でそのため、板垣家の墓だけ隔離されたようにひっそりと囲われ
ていた。
 板垣(1837~1919)は土佐高知藩の藩士から幕末を生き抜
き、明治の新政府においては西郷隆盛、木戸孝允、大隈重信とと
もに“薩長土肥”の4参与として就任。
 1882年、板垣は岐阜で遊説中、突如暴漢に襲われた時発した
「吾死するとも自由は死せん」と有名な言葉は、その後“吾”を
“板垣”と直した名言として歴史の教科書で学んできた。その
石碑が佐藤栄作の書により墓の右側に設置されていた。
(品川区北品川3-7-15)
板垣の名言碑

街を巡る 東京の名水_2 一粒萬倍の泉

2009-12-08 06:22:43 | 街巡り_09
 続いては、京浜線の新馬場駅で降りて品川神社へ。
 こちらの社は、文治3年(1187)、源頼朝が海上交通の安全と
祈願成就の守護神として、安房国・洲崎明神の天比理乃命を勧誘し
て品川大明神とした。
 こちらの鳥居の柱には登り龍の彫刻が施されており非常に珍しい。
長い急な石段を上がると広い境内には、至る所に石標や石板など由
緒あるものが設置されており、時間があれば一つ一つ眺めていきた
い。が、本日は名水を巡っているので、注目の「一粒萬倍の泉」は
境内右奥の「阿那稲荷社」の社内にあった。
 龍の口からは湧き水がチョロチョロと流れ出しており、この霊水
を印鑑やお金にそそいだり、また家に持ち帰って入口や四隅にそそ
ぐと、商売が繁盛し清き明るい心をもって暮らしていける霊験があ
るという。
 少し口に含んでみると、その湧き水は甘味を含んだたおやかな味
がした。
(品川区北品川3-7-15)
品川神社

街を巡る 東京の名水_2 御田八幡の湧き水

2009-12-07 06:30:08 | 街巡り_09
 続いて第1京浜を三田方面に進み、見当をつけて左側の路地を進
む。高台へ続く完成後間近の木製階段を登ると右側に「御田八幡神
社」があった。この社は、和銅2年(709)、現在の白金に東国鎮
護の神として祀られた。寛永5年(1628)に現在の社地に移転し、
1874年に三田八幡神社と改められ、1897年には今の名称になっ
ている。
 境内を探せども湧き水らしきところがない。地元の方がお参りに
来られたので伺うと、階段の下にあることを教えていただいた。そ
こはよほど物好きでないと見過ごすような暗がりの中にあった。
 岩ブロックで囲まれた一角が水場となり、正面の側面に龍の口が
取り付けられ、勢いよく水がほとばしっていた。水口までは行けな
いので含むことは叶わず。もう少し手入れをすると、この湧き水も
報われるのだが・・・。
(港区三田3-7-16)
御田八幡神社

街を巡る 東京の名水_2 道往寺の井

2009-12-06 03:43:13 | 街巡り_09
 元麻布から高輪に移動する。第一京浜から路地を少し北側に入っ
たところに高台があり、その上に「来迎山 道往寺」がある。この
寺は、江戸三十三箇所(観音札所)の二十七番目に当たるところ。
廻りは区画整理が進行中で、この寺廻りのみ昔のまま。寛文年間
(1661~73)の創建。
 猫が飛び跳ねていく階段を上がると、フェンスがあり開いて境内
の中へ。石畳の先に石枠に囲まれた井戸が見える。竹簾の上に竹筒
の水道があるが、水は流れていない。既に枯渇しているようだ。残
念。
(港区高輪2-16-13)
道往寺

街を巡る 東京の名水_2 柳の井

2009-12-05 03:56:21 | 街巡り_09
 麻布山善福寺の参道沿いには7寺院が連なり、その間に「柳の井」
がある。空海が鹿島大明神に祈願して柳の下に錫杖を突き立てたと
ころ、清水が湧き出したと伝えられている。また、もう一つの説は、
聖人が柳の小枝で地面を祓ったところ湧き出してきたともいわれて
いる。
 葉がほとんど無い柳の木の元に石組みがあり、その平らな石の中
央から湧き水が流れ出ていた。柳の井は通称で正しくは「揚柳水」
という。
(港区元麻布1-6-21)
石標

街を巡る 東京の水_2 善福寺の井戸

2009-12-04 06:10:38 | 街巡り_09
 11月2日、休みを利用し東京の名水_2として港区と品川区を巡
ってみた。
 まずは元麻布にある善福寺を訊ねる。この寺は参道が判らず、細
い路地裏を進むといきなり参道に出た。山門から境内に入ると左側
に井戸があった。この井戸水は墓参者の水汲み場になっており、手
押しポンプを押すと勢いよく水が出てきた。
 天長元年(824)、空海の創建と伝えられている。寺は1945年
の東京大空襲で焼失し、現在の本堂は大阪・八尾の寺院にあった京
都東本願寺の建物を移築されており、300年の歴史を持つ。見上
げると本堂裏には巨大な変形高層マンションが建っており、和洋の
景観となった。
 また、境内には安政の仮条約調印後、明治初年までアメリカ公使
館がおかれタウンゼント・ハリスが居住していた。それに、都内最
大の銀杏「逆さ銀杏」(樹齢750年)があった。
(港区元麻布1-6-21)
善福寺  逆さ銀杏

街を巡る 川崎2_鶴見 キリン横浜ビアビレッジ

2009-12-03 06:23:44 | 街巡り_09
 総持寺を後に、再び京急電車で生麦駅へ。第1京浜を横断すると
「キリン横浜ビアビレッジ」の建物が見えてくる。ここではブルワ
リーツアーに参加でき、最後は出来立て生ビールの試飲ができる。
数日前に予約を入れておいたので、開園の15分前に受付に行くと
すんなり受理され、見学用シールと試飲券が手渡された。よく見る
とお代わり券もついている。楽しみだ。
 中年層の団体の皆さんと一緒に工場内を見て回ったが、当日は日
曜日とあってコンベヤーラインは停止。それでも麦酒の製造工程を
一通り学べ、麦酒の見識を改めて見直した。
 40分ほどの見学の後は歩き疲れたところで、生ビールのスタウ
トと一番搾りを試飲させていただき、渇いた喉を潤せ大満足。
(横浜市鶴見区生麦1-17-1)

街を巡る 川崎2_鶴見 裕次郎さんの墓

2009-12-02 06:21:57 | 街巡り_09
 この碑の建つところの裏手には麒麟麦酒工場「キリンビアヴィレ
ッジ」がある。こちらは工場見学が出来るので、事前に予約してあ
るが、開園時間がもっと後なので、京急で鶴見駅まで戻り総持寺へ
伺った。この寺は広大な敷地の中に雄大な寺院が幾つも建っている。
 墓所に入りお目当てのところに向かう。あった、万成石五輪塔が
出迎えてくれた。石原裕次郎さん(1934~87)のお墓だ。毎日、
生花が備えられているようで、伺った時も初老のご婦人が新しい花
を生けておられた。
 墓碑を確認すると、次のような言葉が綴られていた。
「美しき者に微笑みを、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、
全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く」
(横浜市鶴見区鶴見2-1-1)
総持寺山門