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「勿忘草の咲く町で」

2024年04月19日 | 
「勿忘草の咲く町で」 夏川草介著 角川文庫

作者夏川草介は信州大学医学部卒業の現役医師である。

若い研修医と老練な指導医、勤務3年目の優秀な看護師の目を通して
現在の医療を展開していく。
「30分に5人の予約で延々と続く外来患者。
山のように押し寄せてくる高齢心不全患者たちを相手に黙々と対応する。
この国はもう、かつての夢のような医療大国ではない。
山のような高齢者の重みに耐えかねて悲鳴を上げている。
倒壊寸前の陋屋です。倒れないためには、限られた医療資源を
的確に効率よく配分しなければいけない。
そのためには切り捨てなければいけない領域がある。」と
指導医の言葉は現場に携わる人なので、確かな言葉として響く。
      忘れな草  netより

信州の美しい景色の中、患者と関わりながら、人の死を見つめる。
大量の高齢患者を如何に生かすではなくて、
如何に看取るか?と言う問題であるという。
本人も家族も納得した死を受け入れるのを助けるのが医師のあり方で
やみくもに延命治療をしてはいけないと。
死というものに対して、無知である人間の何と多いことか、
その人たちに医師はどう接するべきか、若い医師はおおいに悩めばよいと。
これからの医師は生死の哲学をもつべきである。(指導医)
しかし、研修医師は「どんなことがあっても救える命なら
患者が望まなくても救うのが当然ではないか?」と疑問を呈す。
老練な指導医と若い研修医との葛藤の中で
生かすか、看取るかを決断しなければならない。
多くの高齢者を担当してきた研修医は
指導医の冷静な判断に傾倒していく。



実家が花屋である研修医はカタクリの花を例える。
カタクリは根を地中深く張る。しかし、
その大事な根が切れてしまうと、
すぐ枯れてしまう。

 カタクリの花  ネットより

人間もこの世界に張る根が切れていなければ生きるべきだ。
例え96才の老婆であってもだ。そうでない人は看取るべきだと。
指導医の言う言葉は切実だ。

私は、あくまでも本人の意思を大切にしたい。
遺漏然り、延命装置然りである。
生きたいと望みながら死んでいく人、死にたいと思っても死ねない人。
その時どきの状態によって柔軟に対処すべきか。

新しい命の芽吹きを感じるとき、
自分の命のことを真剣に考える。

一輪の花が静かに土に帰って行くように旅立ちたいものだ。



折しも今日の朝刊に京都府立医科大学院に、新コースが開設とあった。
高齢化の進む地域に現場で直面する課題に向き合うことで、
先進的な研究を世界に発信するのが目的とか。
若手医師の地域医療に焦点を当てるとあった。

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