“新型コロナウイルスの影響で中断していた、私が勤務した職場のOB会が五月半ば、三年ぶりに開かれました。11人が集まり昼食を口にしてのひとときを楽しみました。このOB会は十年ほど前に始まりました。わが社会人生活を振り返っても、四十年ほど前に属したこの職場ほど皆が一致団結した部署はありませんでした。大きなプロジェクトが無事終了して、特別表彰をもらったこともありました。メンバーそれぞれが自分の役割を自覚して責任を果たし、そのチームワークを高く評価してもらえたのがとにかくうれしかったです。
久々の会では今回も思い出話や現況報告で盛り上がり、八十代となった上司が勉強やスポーツに励む姿に大いに刺激を受けました。”(6月19日付け中日新聞)
名古屋市の高井さん(男・69)の投稿文です。職場のOB会もこのコロナ禍で中止になった例は多かろう。高井さんは3年ぶりのOB会に出席され、楽しい思いをされた。OB会ができるのは当然いい職場であったろう。しかし、こうした集まりも少なくなる時代である。今の人はいつでも職場に関わることを嫌う傾向がある。用がなくなれば終わりである。これを寂しく思う年代は我々までか。
ボクも今年4月に、3年ぶりに元職場の集まりがあった。昭和53年からほぼ毎年1回集まってきた。もう40年以上である。今年は16名の参加があった。96歳の所長、92歳の課長も出席された。こんなに長く続く会は、世の中広しといえども、珍しいのではなかろうか。この会の結束の強さの理由は当然にあるが、ここで書いて理解してもらうのは少し難しいと思うので省くかせてもらう。この年、本当に奇跡のようなことが起きたのである。世の中いろいろ、人生いろいろ、いろいろ体験できたことは幸運というものである。
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