慈眼寺衆生 2018-03-17 | 14.赤根祥道 慈眼寺衆生 (じげんじしゅじょう) 大きな慈悲の心をいただく 人は、ものを見るとき、自分の損得のレンズを通して判断する。そこに働く分別心に気づき、自分でも何てあさましいと思ってしまう。
身心一如 2018-03-17 | 14.赤根祥道 身心一如 (しんじんいちにょ) 心と身体を一つにして 心と身体を一体と考える。茶を飲むことで、心の安定をうながし、身体の調子を正常にするところがあった。
紅炉上一点の雪 2018-03-16 | 14.赤根祥道 紅炉上一点の雪 (こうろじょういってんのゆき) 何1つ自分に残さず 自分がやったと誇大に宣伝して、大物に見せようとする。大物に見せようとする人は、自分がきわめて小物であることを自覚していることになる。 自分の存在した跡さえ残さないで、悠々と消え去っていく。
花を弄すれば香衣に満つ 2018-03-15 | 14.赤根祥道 花を弄すれば香衣に満つ (はなをろうすればかおりえにみつ) 自分と他者を区別せず 小さな谷川の水をすくいあげると、その中に月が皓々(こうこう)と映り、水が自己だとすると自己が月そのものを皓して一体になる。
無為無事の人 2018-03-09 | 14.赤根祥道 無為無事の人 (むいぶじのひと) 何ものにもしばられずこだわりなく生きる。 人は、少し議論をすると、いくらこだわらないと言っても、つまらないことにこだわって、心が晴れ晴れとしないものだ。 つまらないことで、優越感にひたっている、その水準にいる人に人生の真実は見えてこない。
4.現実の生きざまを学ぶ 2018-03-07 | 14.赤根祥道 禅は知と行を一致させている。血を吐く思いで刻んだ知行合一の現実生活から生まれている。 ※知行合一(ちぎょうごういつ、ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。