青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

絶滅危惧種のゾウを保護しに

2020年06月19日 17時00分00秒 | 相模鉄道

(もう残り30を切ったそうです@ドムドムバーガー某店)

いつだって「あの頃の僕たち」を探してお送りしているこのブログですが(ホントかよ)、今週、仕事の出先で合間にちょっと時間があって、そして小腹が空いて、なおかつ近くにいたという理由でこんな「あの頃の僕たち」を味わってきました。ドムドムバーガー。そう、みんなの街にも「ダイエー」とか「マルエツ」なんて大型スーパーがありましたでしょう。そんなお店のスナックコーナー(決してフードコートではない)に必ず入っていたハンバーガーショップ、それがドムドムバーガーでした。今でこそハンバーガーと言えばマクドナルドの独壇場ですが、マクドナルドがそこまでメジャーではなかった時代を生きた昭和40年代50年代キッズは、ハンバーガーと言えばロッテリアだったりモスバーガーだったりファーストキッチンだったり、その他にも森永ラブやらサンテ・オレやら色んなハンバーガーショップがあったんですよね。このドムドムバーガーは、前述の通りダイエー系列のハンバーガーショップだったんで、買い物のついで親と一緒にハンバーガーを頬張ったなんて思い出のある人も多いのではないでしょうか。

令和2年のドムドムのお品書き。ちなみに、個人的にはハンバーガーってーと「ロッテリアのエビバーガー」がとにかく大好きでした。あの発泡スチロールに入ったエビバーガーほど美味いものはないとそう信じていましたので、ドムドムと言ってもそこまでの思い入れがある訳でもないのですが、向ケ丘遊園のダイエーの前にあったドムドムバーガーはよく使っておりましたねえ。今はコメダ珈琲になってるんだっけか。それこそキッズ時代の向ケ丘遊園駅前と言えば中和ビル、ぱちんこ遊園、割烹よしざわ、第一勧銀、ダイエーの前のドムドムバーガーと中のスガキヤ、ピッグチョコパフェのシャノアール、そして頭上を轟音を立てて走り去る向ヶ丘遊園モノレール・・・おお、ほっとんどなくなってるじゃねーか!(笑)。そう言えば登戸駅の南武線ホーム(立川行きホーム)にもドムドムあったの覚えてる人います?改札入って右側。立って食う場所しかなかった狭いドムドムだったけど。

駆け巡る走馬灯のようなドムドムの記憶を頭の中の引き出しから引っ張り出しつつメニューを眺める。時節柄、現状全てがテイクアウトのみという事なので、定番メニューの「ビッグドム」をお持ち帰りで注文して暫し待つ。店頭にて強烈に推されている「テイクアウト限定・おうちでドムドムセット」は、バーガー3種とポテト3つ、そしてチキンナゲット・チーズポテトがそれぞれ10ピースで合計2,487円が1,500円。約4割引きという破格の値段。おいお前らマックなんか行ってねーで今すぐドムドム来いよ!と言いたい。

テイクアウトはしたものの、家まで持って帰って食べる訳にも行かないので、某駅前広場のベンチでビッグドムにかぶりつく。贅沢にパティは2枚、バンズに付いたゴマがプチプチと香ばしい。野菜はレタスとタマネギ、そしてピクルスにマヨネーズソースとケチャップ。王道の中の王道と言うべきスタンダードな味わいであるが、マックのバーガーなんかと比べると野菜が多めなのでさっぱりと軽く食べられるような気がする。

ドムドムバーガーは、「流通の雄」と言われた親会社であるダイエーの落日と、産業再生機構介入からのイオン傘下入りという一連の流れの中でその数を大いに減らし、今や全国で30店舗を切って風前の灯火。このお店も「イオンフードスタイル」の中に入っているのだけど、どこまで営業が続くのかなと言う感じがする。業界のガリバーであるマクドナルドがほぼこのジャンルを統一してしまった以上(今やモスですら厳しいんだってねえ)、ドムドムが生き残って行く世界線が見えるのか・・・と問われたら厳しいのかもしれない。が、世の中を豊かにするのは多様性。絶滅危惧種のゾウを保護しに、また食べに来るとするよ。

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陽炎の向こう側

2020年06月17日 17時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(スイッチバック点描@上大平台信号場)

80パーミルを下り込んで、緑爽やかな風吹く上大平台信号場へ進入する108-109編成。望遠レンズで圧縮すると、急勾配に名古屋城の金のシャチホコのように車体が反り返って見えます。現在、ほぼ毎日実施されている箱根登山鉄道の試運転ですが、この日の上大平台には私以外にもちらほらと同業者の姿がありました。何となく暗黙の了解でそれぞれ距離を取って構えましたが、撮影の際にもお互いにソーシャルディスタンスを確認しなければいけないのが令和の時代の撮り鉄です。

試運転でも、スイッチバックによる乗務員の交代は、指差喚呼を伴いながら本番と変わりなくキビキビと。湯本から強羅までスイッチバックは計3回あるのですが、暑い日も寒い日も、晴れの日も雨の日も、乗務員は何度も何度も前後を入れ替えながら箱根の山を上り下りしています。

発電ブレーキの断続的な使用による屋根上の抵抗器からの発熱で、旧型車の屋根から立ち昇る陽炎。どのくらいの温度になっているのだろうか。メラメラと空気中に熱が放散して行くその様、陽炎の向こうでパンタグラフの造形もぐにゃりと曲がる。もう何度となく撮影した上大平台のスイッチバックですが、いつ見ても天下の嶮の勾配の厳しさを物語るようなワンシーンです。

復旧を 目指して続く 試運転 指差す先に 繋がるレール。
上大平台の、スイッチバック点描です。

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甘美江に願いを込めて

2020年06月15日 17時00分00秒 | 江ノ電

(馴染みのお店へ・・・@龍口寺前「扇屋」さん)

緊急事態宣言が解除され、仕事も通常モードに戻りつつあります。子供達も先週から学校に行き始め、徐々にではありますが以前の日常が戻って来ました。学校が休みだとは言え、子供は3ヶ月特にどこも連れて行けずに退屈な週末を過ごさせてしまったので、週末は雨の止み間を縫って江ノ島までちょっとドライブ。久々に龍口寺前交差点の「和菓子司・扇屋」さんへ立ち寄りました。言わずと知れた藤沢銘菓「江ノ電もなか」の名店で、子供たちと片瀬の東浜や七里ヶ浜で波遊びをしては、ここへ立ち寄っておやつ代わりにもなかや饅頭を一つ、と言うのがこの界隈の愉しみ。

子供と外出するのが何だか久しぶり、そしてここで江ノ電もなかを口にするのも久し振り。扇屋の店先で食べる出来立ての江ノ電もなかの皮はパリリと香ばしく、滑らかな抹茶の餡が柔らかい求肥を包んでいる。ここのもなかは最近の風潮である「あんまり甘くないですね」的な味とは一線を画した力強く満足感のある甘さ。味わいの余韻が長く舌に残るのが嬉しい。いつも子供に優しくしていただく女将さんに話を伺うと、「いつもは朝晩くらいしか2両で走らない江ノ電が、昼間でも2両で走ったんですよ。電車を見ていると、昼間は2両でもお客さんがドアの間に1人か2人いるのがやっとくらいの状態で・・・」との由。湘南海岸沿いは一時期「コロナ疲れ」の逃避場所として自粛を我慢出来ない人たちの格好の出歩き場所となっていたようですが、看板商品が「江ノ電もなか」のお店だけに、やっぱり電車に乗る人が戻らないと商売としてはなかなか厳しいものがあったのでは・・・と拝察。

「6月になったら電車も4両になったし、ぼちぼちお客さんも乗ってますけど、それでもまだ全然少ないですよ」「でも、美味しいもの食べて、しっかり寝て、手洗いしてれば、大丈夫だと思うんですけどね!」と明るく話す女将さんの笑顔に元気をいただく。店先に飾られた「アマビえのん」の呪符。なるほど、「甘」くて/「美」味な/「江」ノ電もなかこそ、江ノ電のアマビエ。疫病退散の願いを込めて。

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荏原、青葉の小径

2020年06月13日 17時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(TRIAL RUN!@荏原踏切)

大平台隧道東口から少し下って荏原踏切へ。この時期の荏原踏切周辺は、線路沿いを走る小径に沿って目にも鮮やかな青紅葉のトンネルが続きます。マルハチマルキューのコンビと同じ日に試運転に駆り出されていた、ベルニナ号1000形のB1(1001-2201-1002)編成。  旧型車の【試】の丸看も良いのですが、ベルニナが掲げる「TRIAL RUN」のLED表示がカッコいいですね。試運転に臨む乗務員たちもマスク着用の防護態勢。これからの時代常にこうであろうなという気がしますが、熱気のこもりやすい乗務員室、冷房はあると言えどもこれから夏は大変でしょうねえ・・・

上大平台信号場への進入を後追いで。1001側には普段使われない補助パンタが乗っているのですが、架線の錆び取り的な意味合いもあるのか、朝一番の試運転列車では全パン上昇で運行しているシーンもあるようです。登山線の試運転は結構早くて平日は朝8時前から運行を開始しているようなので、ひょっとしたら早起きは三文の徳的な場面が見られたりするのかもしれませんね。

旧型車や最新型のアレグラの陰に隠れた形にはなっていますが、1000形が新製投入された際は登山鉄道50年ぶりの新車、ということでだいぶ持て囃されたのも懐かしい話。既にデビューから40年弱が経過していて、大手私鉄であればとっくに置き換えの対象になってもおかしくない車齢なんですけど、登山電車は1両ごとの価格が高いですからね。アレグラで1両3億とか聞きましたけど、車内設備もともかくブレーキ関係のシステムが複雑かつ高価なため、車両メーカーでも一品モノの特注品みたいな部品が多くて、そうおいそれとは置き換えが出来ないシロモノではあるらしい・・・

青紅葉が日の光に透けている荏原踏切。夏を思わせる日差しに、地面から立ち上がるモワっとした空気の中で折り返しの試運転を待ちます。遠くから輪音が聞こえて大平台、踏切が鳴って姫之湯、フランジ音が止まって上大平台・・・音で列車の位置を聞き分けるのも箱根登山鉄道の愉しみ。やや抑えめなモーター音と掠れるようなフランジ音を響かせて、荏原踏切を行くB1編成。ファインダーの中で、新緑と深紅の見事なコントラストを描きました。

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復旧へ、道を固めて

2020年06月11日 16時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(大紅葉の下で@大平台隧道東口踏切)

大平台の温泉街の一番上、大平台隧道の東口で折り返してくる108-109を待ちます。現在の試運転は、公式発表だと「宮ノ下の駅の手前」まで行われているそうです。何で宮ノ下の駅まで行かないのかはよく分かりませんが、まだ工事が終わっていないのかな。宮ノ下の手前にはレベル区間に仙人台信号場という交換用の信号場があるので、おそらくその辺りで折り返しを行っているものと思われます。上大平台の信号場からトンネルにかけては紫陽花の花よりも秋の紅葉がキレイな場所ですが、この時期の青紅葉も見事なものです。

マスコンを左に押し込み、大平台隧道を電制を効かせて降りて来る108号。大平台隧道は、強羅側の出口のすぐのところにある沢筋(大沢)が昨秋の台風で大きく崩れ、土砂が登山線の線路に大量に流れ込んで路盤流出が発生しました。国道1号線から見たところ、現場までは重機を投入する取り付け道路が作られ、土砂の撤去とレールの敷き直しが行われたようです。鬱蒼とした森の中を走っていた登山線の線路ですが、今回の災害復旧によって各所で工事用の大規模な伐採や斜面の開削などが行われており、撮影ポイントなどにも変化が起こる可能性がありそうに思います。

120年の歴史を誇る箱根登山鉄道の中でも、昨年10月の台風19号による被害は歴史的な規模となりました。ここまで長期間の運休を余儀なくされた災害というものは、1923年(大正12年)9月の関東大震災による被害以来なんだそうで。関東大震災の折は、小田原の車庫焼失による車両喪失、湯本での山体崩落による駅舎埋没、箱根山内での無数の軌道・隧道の崩壊と全線に亘り甚大な被害を生じ、復旧には1年3ヶ月を要しました。今回は予定通りに工事が進捗すれば9ヶ月での復旧となりますが、それでも長かったよね。

大平台の温泉街周辺ではそう大きな被害は見受けられませんが、それでも路盤やレールについては再点検と保線のやり直しが行われたと見え、線路の下には真新しいバラストが敷き詰められていました。試運転列車の後を追うように、保線区の係員氏が路盤の上を歩きながらの目視点検を実施中・・・蛇篭に盛られ、線路際に置かれたバラストやレールのボルトたち。復旧への足固め、地固めが、今日も多くの人の力で続けられています。

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