グッピー氏のブログによると、トウケイニセイが亡くなったそうで、取り急ぎこちらでもお悔やみを申し上げる次第。一番地方競馬にハマってた時期のスターだったんでそれなりの感慨もありますが、まあグッピー氏の言葉通り25歳まで生きて生涯を全うできたのだからそれなりには幸せな馬生ではあったのかもしれません。惜しむらくはあんまり子供は残せなかった事くらいでしょうか。岩手の黄金時代、SG(スイフトセイダイ・グレートホープ)時代に引導を渡したのがTM(トウケイ・モリユウ)の2強でしたねえ。丁度全国交流が始まったくらいの時期に競走馬としては晩年を迎えていて、ライブリマウントと対決した南部杯での3着敗戦ばかりクローズアップされてしまうのだけど、その南部杯の前にJRAが地方との馬の力量が良く分からないので岩手と話し合って
フレンドリーカップと言うレースを中央招待にしてやったら、中央の900万条件の馬は岩手の馬にケチョンケチョンにされて相手にならなかったってのを妙に覚えている。このレースの戦評、あの宇田川淳をして
「今の岩手のオープンクラスにJRAの900万下をぶつけんのは失礼だろ」と言わしめた程の実力の違いがあったんだが、そもそもトウケイニセイって宇田川淳がA評価を付ける数少ない馬だったんだよなあ。それだけでもトウケイニセイの凄さってのが分かろうというものであります(笑)。まああのオッサン岩手好きの南関嫌いでプレザント(東京ダービー馬)なんかEとか付けてましたから額面通りには受け切れないんだけどね(笑)。
トウケイニセイが走ってるのを見たのはかれこれ1回こっきり、グッピー氏と一緒に行った旧盛岡のみちのく大賞典でしたが、実物を見た感想としてはダート馬っぽい筋骨隆々って感じじゃなくて、割とアバラもトモもどこか薄目でスマートな感じの馬だった記憶があります。脚元にかなり爆弾抱えてた馬なんでそんなに食わして稽古をビシビシ積むような事も出来なかったと聞いていたけど、勝負に行ったらきっちり前を捉えて勝って来る、とにかく勝負根性に優れた馬でしたね。まあ私が見に行ったその時は負けちゃったんだけど、夏の盛岡ってトウケイニセイには鬼門だったみたいで、勝てなかった4回のうち2回が夏の旧盛岡でのみちのく大賞典なんだよなあ。どっちも先に仕掛けたモリユウを追っかけてって届かなかったパターンは、向正面に上りがあって直線が下り坂と言う信じられないようなトリッキーコースだった旧盛岡での仕掛けどころの問題だったんでしょうか。