青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

鉱山鉄道の情景

2019年03月10日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(三輪線詣で@影森・湯乃澤橋)

長々とお付き合いいただきました津軽の旅から、場面はがらりと変わって早春の秩父路へ。秩父のデキが両パンで走る冬の期間のうちにお目にかかっときたかったのと、そういや最近本線貨物ばっかり撮影していて影森の三輪鉱山に行ってなかったなあと思いましてね。家から青梅~名栗~山伏峠経由で影森まで2時間半、撮影場所の影森の跨道橋に到着したところ、踏切の看板に最新の三輪線の時刻表が貼ってあった。警報機のない4種踏切、札所巡りのお客さんへの道案内も兼ねた、地元のファンの方の作品のようです。ご丁寧な案内痛み入るところであります。


三輪鉱山の朝は、前の日の夜に影森の駅まで戻された返空の2列車が、8時~10時くらいにかけてそれぞれヤマに鉱石を積みに行くところから始まります。これは結構昔っから変わってないような気がする。踏切の脇に陣を構えて構図を整え、今日は第1便がヤマから降りて来るところからスタート。カーブの向こうから鉱石を満載にしたヲキ車を牽いて、重厚な吊り掛け音とともに坂を下って来るデキ105。秩父のデキはいつも手入れが行き届いてピカピカなのがホント気持ち良い。


エンジン音を山に響かせて、空車のヲキをホッパーに引き入れるDL。三輪鉱山のいつもの風景です。イギリスに産業革命をもたらした蒸気機関の発明は、石炭の燃料ニーズを拡大させ、石炭の積み出しのために蒸気機関を用いた鉄道が敷設されて行きました。こと日本でも、筑豊や北海道の炭田地帯には明治初期から官営による鉄道の敷設が強力に推進されたように、今日における鉄道の発展において「鉱山鉄道」というものは、ある意味鉄道の原点と言えます。

日本では石炭と石灰石が鉄道における鉱山輸送の中核を成してきましたが、先日、長年に亘って石炭輸送の灯火を繋げて来た釧路の太平洋石炭販売輸送がとうとう運行の休止を決めてしまいました。この三輪線の風景は、平成も終わろうとする現在においてもなお、鉱山と鉄道との関わりを確かめられる、未来に残したい鉄道情景だと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 弘南鉄道、エピローグに寄せて | トップ | 還暦過ぎなお溌剌と »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

秩父鉄道」カテゴリの最新記事