青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

秩父線今昔

2020年05月21日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(吾野の定番アングル@西武新型特急Laview)

1001レを高麗カーブで押さえた後は、1003レ狙いで吾野のSカーブ軽俯瞰にやって来ました。折角2本あるんだから、同じところで撮影するのは能がないってんで・・・古くからの西武秩父線界隈の名撮影地らしいですけど、さすがにこの時期はニューレッドアローの秩父方面撤退のニュースもあって、そこそこの撮影者がいらっしゃいましたね。まだ「密です!」なんて言われてなかった時期。駆け抜けていく新型特急Laview・・・秩父の新しい顔として投入された新車ですが、側面窓の上下の長さと航空機的な円形の先頭部がインパクトあり過ぎます。初めて見た時、個人的には「カブトムシの幼虫みたい」というのが率直な感想でした(笑)。

1003レの露払いではるばる横浜からやって来たS-TRAIN。コウペンちゃんトレインというキャラクターラッピングでの登場です。あ、吾野のSカーブを「西武秩父線の名撮影地」なんて言ってますけど、正確には池袋から吾野までが西武池袋線なんですよね。便宜的に飯能から先が西武秩父線だと解釈しがちですが、たまにそこらへんに煩いマニアがいるので念のため(笑)。しっかし西武40000はLED写らんな。最近のフルカラーLEDはどの鉄道の車両もこうなっちゃうからあんまり好かん。小田急の更新1000とかも相当に撮り鉄泣かせである。

長瀞・三峰口行き快速急行1003レ。周囲は西武秩父線内でのニューレッドアローのお別れ勢・・・という感じだったんで、私たちのような4000系快速急行をピンポイントで撮りに来た人間は少数派だったようです。ちなみに西武4000系は、1989年(昭和63年)の秩父鉄道乗り入れ開始に伴って作成された車両なのですが、西武秩父線が開通した当初は、秩父鉄道的には「(対東京で)客が取られる」的な感情があって乗り入れに否定的だったとも聞きます。かつての秩父鉄道は、東武東上線から寄居経由で「急行ながとろ・みつみね」が乗り入れていた、というのもあったのかもね。結局、西武乗り入れの3年後、1992年3月をもって東武からの乗り入れは消滅しています。

我々的にはオマケのニューレッドアロー。待ってる間は隣に陣取ってたおじさんと話し込んでたんだけど、「ここでE851の貨物列車を良く撮影してたんだヨ。E851のさよなら運転の時は、下の斜面から撮り鉄で鈴なりになったなァ・・・」なんてアツい時代の話も聞いた。個人的にはE851の牽引する西武秩父線のセメント貨物ってのは目にする事の出来なかった憧れの列車なんで、実に羨ましい話である。私鉄にはありえない体躯の大型電機が、重連で正丸峠を超えて行く写真をカラーブックスとかで見て興奮したもんだ(笑)。

「貨物列車の目玉は、前日に用意された荷を満載した早朝5:55東横瀬発の2250列車で、セメントを満載したタキ1900と途中の狭山ヶ丘で切離すセメントバラ積みのテキ400、両端に国鉄乗り入れ規格の車掌車を連結した1000トンの列車(略)横瀬を重連単機で出庫し、東横瀬から次の芦ヶ久保までの連続上り25パーミルの難所をE851の重連が登坂していた(RM314号「西武秩父線開通40周年」より引用)」

おお・・・と言う感じで、在りし日のこんな文章を読むだけで血がたぎってしまうのですが、現在ではすっかり都市間輸送と観光路線になった西武秩父線。当初の建設目的には「武甲山の豊富な石灰石産業の一翼を担い、秩父地域の鉱工業の発展に寄与する」という名目もあった事を忘れてはいけません。三菱マテリアルによる東横瀬からのセメント出荷は1996年の春に廃止されてしまったのですが、貨物盛業だった頃の西武秩父線沿線にも、ぜひ来てみたかったですね。


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