(ひだまりでんしゃ@上滝線車内)
南富山から、クルマをデポした岩峅寺へ。接続が悪く、30分ほど待たされる。日中の上滝線は1時間ヘッド。市内線の本数と比べると圧倒的な少なさ。沿線の人口はそこそこ居りますので、LRT化させて市内線と接続させよう!みたいな大きな交通政策のビジョンはあるのですけど、市内線600V/鉄道線1500Vという複電圧問題や、大掛かりな設備改修を要するものになるため進んではおりません。おそらくこのコロナ禍で、そんな計画は遠くに吹き飛んでしまったかと思われますが。ややくたびれたモケットの10030形車内。布市辺りで大半の乗客が降りると、暖かな陽だまりのような車内に、明るい日差しが射しこんで来ました。
岩峅寺到着。いつもの上滝線ホーム。10036がそそくさと折り返しの作業。すっかりと青空が戻って来た。いつも側線に押し込まれている黄色い除雪機械がどっかに行っている。久し振りの富山市内のドカ雪で、今年の冬はさぞかし多くの出番があったものと思われる。
鏡に映る岩峅寺の駅。さかさまの世界に、ちらりと10030が映る。ホームの片隅で、緩やかな時の流れを楽しみながら何枚か。構内踏切からホームへの階段に繋がる緩やかなアプローチ、実に富山地鉄らしいアングルだなあと思う。特に岩峅寺のそれは、個人的に他の駅よりも余計に心に染みるような。何でだろうね。富山平野でトライアングルを形成する地鉄の路線、稲荷町、寺田、そして岩峅寺と、分岐駅がどこもデルタを形成しているのが特徴的。そして、どこも味わいと見どころの多い良駅だと思う。
立山から降りてきた10030。富山に来始めた当時は、10020・14720・14760の地鉄オリジナル車を優先して、この京阪10030はどっちかと言うと来るとハズレというか目の敵にしていたものだ。思えば地鉄に導入されてはや30年、富山で過ごした時代が京阪時代よりよっぽど長くなってしまったクルマである。時は流れここに至り、東急車の浸食跋扈が進む中では、そろそろ製造50年を迎えるこのオールドタイマーに、若干の愛おしさが出て来たのも事実かもしれない。我ながら現金な物だと思うのだが(笑)。
年を経れば好みも変わるもの。自分も、そろそろ煮締まったかぼちゃの煮物の味が分かるようになったってことなのか。
まあ、普段は意識もしなかったクルマに何となくその行く末が見え始めると、どうにも愛おしさが出てくる撮り鉄特有の感覚なんでしょうけどね。
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