青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

戦争と平和

2012年08月15日 23時00分00秒 | 日常
と言う訳で今日から遅めの盆休みなのだが、実家に帰って昼寝をしていたら一日が終わってしまったと言うアクティブさのかけらもない内容(笑)。ヘタレてるな~俺。盆休みに富山までなんて息まいてたのが夢のようですね。ってか行こうと思ってたんだが北陸方面は予報があまり良くないようで、折角行っても雨じゃあねえ…と萎えてしまったのもあるんだが。

一人の時は盆休みに突入したと同時に車の中に荷物一式ぶっ込んで出掛けている事が多く、終戦記念日の正午のサイレンはだいたい東北や九州の車の中、NHKラジオで聞く事が多かったような。そして今日、その正午のサイレンを聞いたのは自宅からほど近い海老名の駅だった。戦後67年と言われると「先の大戦」に思いを馳せてもリアルな体験をして来た世代は既に75歳以上くらいでしょうか。広島・長崎の原爆忌の扱いの小ささとかを見ると、「先の大戦」を知っていた世代も少なくなって来ているのは間違いないように思う。
自分らが小さい時って、いい悪いは別にして原爆忌とか終戦記念日ってもっと意味合いが大きかったような気がします。テレビでは戦争に関連した番組があふれ、街では共産党による「反戦・平和の夕べ」なんかが開かれてね。「はだしのゲン」の映画なんか流されるんだけど、アイスと綿菓子に釣られて見に行ったガキどもはその凄惨な映像にトラウマを残すと言う(笑)。今でもNHK-BSなんかはその手の番組多くて、夜中までつい見入ってしまう。イデオロギーとかいい悪いで切り捨てられちゃうにはもったいない良作が揃ってるんだよなあ。

国語の問題で「戦争」の反対語は「平和」と言うのが正解なのだそうだ。これに関しては小さい頃から「なんか違うんじゃね??」って思ってたのだけど、「先の大戦」の反省を踏まえて武装解除し、憲法を改正し、名目上の不戦の誓いを立てても、例年この時期になると中韓露の民族イデオロギーが日本に向かって来る。毎年の倣いではあるけれど、今年の内容は想像を絶するものがあり、戦後も70年近くになって来るとただ武器を捨てて勝手に平和を希求しているだけでは相手さんの問屋は何も卸してはくれないらしい。戦争じゃないから平和なのかと言う違和、そして、「先の大戦」と「戦後」が続いている限り「先の大戦でお前らはひどい事したよね」「所詮お前らは敗戦国なんだから何されても文句言えないよね」と言う中露の戦勝国カード(韓は戦勝国じゃないので除外)に蹂躙される今が平和なのかと言う違和。いつまでいじめられる側にも理由がある、みたいないじめっ子の論理に付き合わなきゃいけないんだ。いくつか前の首相が「戦後体制からの脱却」を標榜したけれど、事の次第はどうあれ考え方としては素晴らしいものだと思ったのだがなあ。どうしてもそこらへんに踏み込むとヒダリだミギだと言う論理に持ち込まれて破綻してしまうよね。そんな事で揉めてるうちにジワジワ領土が削られて行く現実に気付いて欲しいものだが。

そう言う意味で、そろそろいい意味で戦後を終わらせてもいいんじゃねーの?って思いますね。
絶対「先の大戦の反省がない」って言われて蒸し返されちゃうけどさw
いや、忘れちゃいけないけど、もう十分反省はしたっしょ!と思う戦争を知らない子供たちなのです。

なんか真面目だな今日はw
コメント
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