DNAをタンパク質に翻訳されることをorfと言うらしい。get orfと使うらしい。何のこっちゃ分かりませんけんど新聞に平気で載るからついつい調べてます。DNAですから遺伝子ですかね。それを翻訳していけば人間の歴史が分かるとでもいうのでしょうかね。それを30年前、50年前と翻訳して記憶がある時代に戻して暮らすってのが一部では流行りとなってるとのこと。要するにタンパク質に翻訳するんですからそのタンパクに思考というものがあるのでしょうかね。人は食べたものが人を作るとよく言われます。昨日ラジオで女の歌人が出ていて言ってましたけど「牛ばっかり食べてる人は牛になるのでしょうか」「キュウリばっかり食べてる人はキュウリになるのでしょうか」と。ごもっともな言い分ですよね。何を食っても「人間」なんですから。でもタンパク質に翻訳すると「この人は牛だ、キュウリだ」と分かるんでしょうかね。それだとおもしろいんだが。「牛だからミルク飲ませて、元気になるから」なんて言われたりしてね。その前に新しい言葉が氾濫してこちとら追いつけない。言葉も分からないのに外国の歌がいいなんて言ってる輩と変わらない気分。意味が分かるから心が動くのにね。タンパク質が足りないと言われたらそれまでだけど。
イギリスだったかフランスだったかの新聞を見てたらコンゴのファッションの記事が出ていてその中で見出しだったかなsapeursというのがあってなんのことだか見当もつかないので辞書を引いてみた。コンサイスにもオーブン社の辞書にもそんな言葉でていない。50年近く前の辞書だから(オーブン社は30年前くらいの辞書かな)載ってないのは当たり前かとも思いつつ辞書を新しいのにしないとこのところ載ってない言葉が多々あるからとブツブツ。それでも今はネットがあるからとそちらで調べてみた。sapeursはサプールと言ってコンゴ発祥のファッション美学を実践している人々のことだって。高級ブランドに身を包んで颯爽としてるんだなこれが。黒人に似合うクリアな色。シェイプしたスタイル。ウ~ンかっこいい。ゴテゴテハデハデではなくフランスっぽく纏めている。フランスが宗主国だったのかな。それともフランスの植民地だったっけコンゴって。サプール、サップ知らなかったな。ボブ・サップなら知ってるけど。古いか。何でも3色以内でコーディネートするのが暗黙のルールだとか。立ち居振る舞い目線トータルに決める。元々は男たちのファッションから始まったらしい。あの黒人のアスリートのような引き締まった体に高級ブランドのスーツを纏わせると動く絵画だよね。「ヤルな、アフリカ」。色彩感覚は昔から豊かなんだから日本人には考えられない原色でも素敵に着こなしている。ファッションは平和の象徴だっていうから憎いね。武器よさらば、服(福)よ来いってかな。
この2日間は秋。夏が突然と消えてしまった。陽射しは残暑の面影を残してはいるが湿気のない空気は気持ちよい。夜ともなればコオロギがコロコロと鳴いている。コオロギも突然だったらしくまだ鳴き方が下手なのもいる。このまま穏やかに季節が移動すればいいのにね。と願っていたら明後日には台風19号が来るとのこと20号もその後を追いかけてるというからまた夏が戻ってくるんだ。ヤレヤレ。突然夏が終わったから秋服に変えようとしてふと思った。Tシャツと半パンで大抵を過ごすのだからと。それでは今まで買い溜めたあの膨大な数の服は一体何のためにあるのだろうと。冬にはダウンとフリースがあれば事足りるわけでと思うのだがオシャレでないのは嫌いだからそこそこは必要でもあるんだけど年取ると自分のライフスタイルがそんなに変わるもんじゃないからもっと身軽にしないといけないね。最近服にも興味がないしというか今まで興味があったことが皆目つまらない。人生の秋なんでしょうかね。まぁ年とっても台風はありますから。I'll be back.と期待しときましょう。
Je n'ai par peur de la fin,J'ai eu une vie si heureuse.(死ぬことは怖くない、シアワセに生き続けるだけさ)御年85歳になるフランスの俳優ジャンポールベルモンドの最近の言葉だ。元気で前向き。日本のボケ老人とは違うね。久しぶりにフィガロの記事で見た。その姿は、後ろ髪を伸ばしてレオナルドダビンチのようだった。コバルトブルーのシャツに白いジャケット。コルシカの高級リゾートでのインタビューだった。月曜の朝、コルシカにて、と書いてあったっけ。85歳になってもフランス人はバカンスに出かけるんだね。これ驚き。日本人なら85ともなれば家でゴゾゴゾして昼寝でもしてるだろうに。家族といれば鬱陶しがられてさ。と日本人の自虐の基礎は家庭からかと苦笑。単なるイメージだけど好き勝手に生きてきた奴は元気だね。ボケても元気だから困ることもあるけど概ね元気が楽しいね。コルシカの陽光に包まれて老いてもなお光る、スターとはこのことかと若い時によく見たベルモンドの映画を思い出しながらフィガロの記事を見ていた。朝ということで「ある晴れた朝 突然に」のテーマ曲が頭に浮かんだ。口笛が聞こえてくる・・・。
岩佐亮介vsドヘニーのボクシングの世界戦を見ました。ボクシングの判定基準も変わったのかなというのが正直な感想です。ボクシングの品格としては岩佐が勝ってましたから。判定も微妙だというのが僕の感想でしたけどまさかの3-0で岩佐が敗れるなんて。元チャンピオンの山中も、飯塚も岩佐が勝ってたんじゃないかと言ってましたからね。いつもの岩佐らしくなくやや単調なボクシングではありましたけどね。それでも3-0はないだろうって気持ちはまだありますね。ドローでも良かったんじゃないかな。とブツブツ。岩佐ってボクサーは昔から見ているボクサーで山中との試合ですっかりファンになってしまったんですけど強いのに弱いところがなんていうか1歩踏み込めない気の弱さが魅力なんですなぁこれが。そのへんのカバーがイーグルアイと呼ばれる目の良さ。クリンチワークと演出は相手が上手かったけど有効打では岩佐が勝ってたと思う。顔を見れば相手は岩佐のパンチでズタボロ。岩佐はノンダメージだったでしょう。演技力で負けたというか審判の注意を引き付けたドヘニーのイメージ作戦の勝ちかな。ドヘニーに戦績の強さを感じなかったもの。こんな感じで勝ってきたのかなという印象。岩佐は地味だから華がないのも判定にマイナスに響いたのかもしれないね。それでもスタミナは十分あった。いつものパンチの切れは見られなかったけどまだやれる。と書いていたら岡林信康の「君に捧げるlove song」が突然聞こえてきた。病気で仕事が出来なくなったカメラマンのために書かれた歌だってね。いい歌。
断続的な雨、雷も鳴ってる。結構な量が降ってる。今日は歯医者に行く日。前回の定期検診というか2~3ヶ月に1回歯医者に行ってるんだけどその時奥歯の被せの下に小さな穴があるのを発見。その穴を今日は詰めに行くんだ。これも定期的に歯医者に行ってるおかげかな。近所の小さな歯医者なんだけどね、ここの歯医者は「かかりつけ医」の感覚で診てくれているからどことなく安心感があって任せられる。歯は早期発見が何より大事。早ければ早いほど治療は簡単で痛みもない。年寄りは知らないうちに歯周病になってたりするからその予防と発見にも定期的に歯医者に行くことをお勧め。今日はあいにくの雨だが雨の降り止みに行けたらいいね。
敗戦記念日ではなく終戦記念日。天ちゃんが耐えがたきを耐え忍び難きを忍び戦争を終わらせたといったのだから終戦記念日なんだ。「そうなんや」と今わかった。73回目ということでGHQ の日本文化破壊作戦や日本壊滅作戦はどこまで進んだかというと英語化で日本語の解体と思考の停止。食と水の不安定化と異常気象化。まだまだシナリオは続いている。あのとき天ちゃんがすべての責任を被って腹を切ってたら日本はどのように変わっていたのでしょうねとこの頃思います。一枚一枚皇室の化けの皮も剥げてきてますしね。まだまだ隠然たる力を持ってることもバレてしまいましたしね。腹を切っていたらGHQもここまで執拗に日本の弱体化を迫らなかったでしょう。原爆による日本壊滅作戦を被爆しながらも食い止めた実力がある国ですからね。あの韓国のねつ造慰安婦像もGHQの残党が仕掛けているのではとこの頃思ってしまいます。何故ならあんだけ執拗にウソをつけるなんてどこかで安全を保障されてるからでしょう。ウソをつくのは韓国の文化なのかもしれませんが。それと中国でなく台湾と国交があったときも日本は高度成長してましたからね。中国もさほど必要な国じゃないんじゃないかなとこのところ思うようになりました。米中冷戦を狙ってまたアメリカは何かを仕掛けるつもりらしいけどそんな思惑に巻き込まれたくないですね。日本が両国間でチョロチョロする周旋記念日ではないのですから。こじんまりとした国体で細心の注意と大胆な行動力と真の創造力と解析力で彼らの思惑や弱体のシナリオからすり抜けよう。天ちゃんがハラきりからすり抜けたように。やっぱり天ちゃんはただモノではなかったんだ。と振出しに戻るか。
地獄の釜も開くという「お盆」。とりわけ何をどうするわけでもありませんが、迎え火を焚いてキュウリの馬を作ってと亡くなった家族を迎える準備をしました。地獄の釜が開くというと何だか放り込まれてしまうイメージなんですが稼働しないという意味なんです。この日ばかりは閻魔様も休憩というわけで「鬼のいぬまに命の洗濯です」。こういう日本の習慣とか文化とか宗教観とかは無くすのは簡単なんですが再構築するとなるとなかなか大変ですからむやみに古臭いといって捨てないことが大事だと思います。それでなくても昨今、知性と感性が低い人達が大手を振って社会のリーダーとなっているような情けない状況ですから守るべき人が守る日本文化、日本言語というのは伝統として残さないといけないと思いますね。とりわけ僕は、夏の線香の匂いは好きですね。何だか再生のイメージがして。終戦記念日の影響があるのかもしれませんが落ち着いた気分になります。父も母も姉も帰って来たからでしょうかね。
今朝、新聞を見ていると高校の同級生が久しぶりに投稿していてそれによると彼が医者に聞いたという話が参考になった。「人は死ぬ前にどうなりますか」と彼は医者に聞いたという。すると医者は「歩けなくなるでしょうね」と答えたと。なるほど、歩けなくなるのか。そう言えば、みな、寝たきりになって終わりだね。「歩けなくなる」というのが妙に具体的イメージを持って迫って来て同級生もなんかの役には立つんだなと妙に感心した次第。そんなこと医者に聞く奴はあまりいないだろうから。何でも素直に疑問をぶつけるって大事なんだね。妙に知ったかぶりしてわかったふりして済ませてることって多々あるからね。こういのが多々あると人生にタタルって言うのだろうか。筋肉痛でまる一日動けなかった昨日、僕は死の一歩手前にいたことを疑似体験したのかな。意思はあるけど動けないという瞬間かな。筋肉痛の場合は「イテテテ」で終わるけど歩きたいのに何にも言えない、言わないで寝たきりってのはちょっと辛いものがあるね。今は足腰を弱らせないようにして死の一歩手前まで歩き通す努力を怠らないでいようと自分に言い聞かすばかり。オアシとお足は大事なんだね。
両足が筋肉痛の為動けず。テレビの中継にて「よさこい」を見る。昨日万々の会場で見た時は「今年はパッとしねぇ」と思ってたんだけどそれはちょっとB級のチームばかりが来たからであって本来のヨサコイとはほど遠いものであったとテレビ中継を見て思った。ヨサコイは祭りであってコンクールでも何でもないしA級でもB級でもC級でも自由に踊ればいいんだが素晴らしい踊りや衣装やパフォーマンスを見れば感動するし「さすが本場の高知やね」と思ったりもするからレベル以上の素晴らしいものに期待するのはオレだけでもないだろう。だから賞があるのかな。「感動をありがとう」って。賞をもらうチームは踊りが一つの作品だからミスがない、手をㇴかない、ムダがないのがいいのだろうね。 統制のとれた「動く作品」は見ていて「うっとり」とさせてくれる。激しい動きの中の笑顔ってとりわけいいね。写真はよさこい大賞に輝いた「ほにや」ってチームだ。高知は色のセンスがいいから僕は参考のためできるだけ見に行くようにしてるのだが今日は足が動きません。