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フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

多忙

2007-06-12 19:54:32 | Weblog
あ早く起きだして、ゴミを集めて出して、昨日切った木の枝の処理をした。腰が痛くなるまで続けて、あと少しを残してやめて、アボを連れて、公園まで行くと、もうすっかり蓮の花は開いていた。この頃気になるのは、若者のネットカフェ難民。これからの国を背負っていかないといけない若者が、このザマでは、将来が思いやられるのは自分だけではないでしょう。パンプでさえボケたのは、88歳になってからだよ。それまで、滅私奉公的にこの国で働き国民の一人として、文句もいわずただひたすらに働いて、自分達よりあとの世代が少しでも楽できるようにと祈りながら生きてきたんだ。若者よ、キミ達は、キミ達よりあとの世代が、少しでも楽になるためにと思って生きたことがあるか?君たちの言い分では、きみたちに社会を合わせろと言っているように聞こえる。君たちのレベルにあわせて未来があるのか?未来がないから、君たちは、置き去りにされているのではないか。誰も分かってくれないなんて泣き言を言う前に、一人でも多くの人を食わせてみろよ。君たちにかけてるのは、この発想だ。キミ達は、数が多くなれば、マスコミが取り上げてくれてどこかの野党議員が遊んでくれると思っているだろうけど、その考えは間違いだ。「働かざるもの、食うべからず」この言葉の真摯な意味を考えよう。これは、神の言葉だ。神は、働かないものは、死ね!と言っている。働きたくても、働く場所がないとよくいうが、働く場所はどこにでもある。自分が、やりたいと思う働く場所がないのだろう。それは、きみが、その場所から必要とされるレベルにないからだよ。利口は叡智をつくし、愚者は、愚をつくして事を成してきたのが、労働の記録だから、知恵も愚も心もない者に誰が手を差し伸べてくれると言うのか。神の手を握る勇気があれば、救われるだけのことだとフェンネル氏は思いました。
コメント
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