人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

ぼくが泣く

2007年06月05日 | ただの雑談

ファミリー・トゥリー


この休みに学生サークル時代の友人たちと会ってきた。およそ年に1回くらいは顔を合わせており、かれこれ10年来の知人たちということになる。今まで10年の付き合いとは、裏を返せば、彼らの過ごした20代を俯瞰することができる。過渡期(?)にある現在のぼくにとっては、久々に会う人と来れば格好のマン・ウォッチング調査の対象という意味合いも兼ねることになるのだ。彼等はいま一体どのような30歳になっているのだろうか。

※ ※ 

通常学生サークルというのは在学4年間を通じて活動するものであろうが、ぼくは実は途中でこのサークルを脱退している。脱退した理由はぼくの勝手な都合だ。学生サークルという、比較的、むしろかなり自由度の高いスモール社会においてですら、ぼくには社会的行動が出来なかったのだ。詳しくは書かないが、仮に辞めたいきさつをまとめたとすれば、要点は間違いなく「社会生活を拒否した」という一点に帰結する。今思えば悔やまれる。せっかくのチャンスをポイしていたことに気付いたのは、つい最近である。

にも関わらず、彼らはぼくを欠かさず集まりに呼んでくれる。だから感謝している。会合には努めて顔を出すようにしている。
しかし途中で脱退したということは…彼らが共有している記憶・メモリーズ・思い出のうち、後半分くらいをぼくは共有できていないということだ。それに顔を知らない後輩君たちが多い。対人恐怖症もあってこういうシチュエーションで空気を読むのがぼくは極めて苦手なのであるが、これも今は勉強のためのテキストである。このような点を踏まえて、この集まりで一体ぼくがどのように振舞おうとしたのかというと…。

まず、一旦人間関係を全て「他人事」に置き換えて想像した。
ロックファンでないとあまり馴染みがないかもしれないが、よく洋楽CDの解説書には「ファミリーツリー」なんていうものが書かれている。これは直訳すればまさに「家系図」なんだけど、何もロック業界において政界みたいな「世襲」や「血縁」が仕事に幅を利かせているわけではない。ここでいうファミリーツリーとは、「バンドメンバー相関図」だ。何故そのようなものが存在するかと言うと、多くのミュージシャンは終生パーマネントのバンド・メンバーと行動を共にしているわけではないからだ。つまり
「Aさんは○○ズの一員としてデビュー。その後脱退し▲▲ズへ加入、その時元××で現在■■ズに在席しているBさんと出会い、●●を結成し▲▲ズから独立。一方のBさん脱退後の■■は○○ズからCさんを迎え…」
みたいなものである。結構複雑に入り組んでいて、同じ人が何度も登場したりする。職人たちが離合集散を繰り返し、同じジャンルの畑を延々と渡り歩くようなことは、なかなか日常茶飯事だったわけだ。もっと分かり易く例えると「プレーヤー」が俳優で「バンド」は映画だと思えば良い。どの映画に出ていた誰それが、この映画でダレソレと共演して、みたいなものだ。こういう相関図について「語れる」こともロック・ヲタクのステータスらしい。生憎ぼくには語れるほどの知識はない。

ということで、現在ぼくの目の前で展開されているかつての友人たちの集まりを、こういったファミリー・ツリーの中に書かれている名前群だと考えてみる(現実このサークルはロックバンドのサークルであったから、在籍中、冗談半分で作成されたサークル版ファミリーツリーの類を見たこともある)。自分の名前は相関図の途中で脱落しているわけだ。「1997年脱退、ソロに転向」とか付記されて。よくあることだ。そいつがまた復帰して再度このツリーに名を連ねている。それもまたよくあることだ。
ここまで頭をひねって考えてようやく「なるほど、ぼくの位置付けはこの辺か」と客観的に想像ができた。中には脱退したきりで復帰していない顔も思い浮かぶから、改めてぼくを呼び戻してくれたこのサークルの諸兄に感謝して、自分がどのように振舞ったらよいかを判断し、行動する。いまのぼくは、かつてみたいに頼りにされる存在ではない。頼られることを拒んだのだから当然だ。

要するに「あー人骨ね、とりあえず声掛けとくか」に相応しい言動を取れば良いのだ。

※ ※ 

さて、あとは観察だ。ぼくはこの大勢の同期たちがかつてどんな人間だったのかをよく覚えている。一人一人に、自分と関わったエピソードを思い出すことができる。いずれも20歳のころのものだ。そして現在皆30歳だ。よくわかんないけど30÷20=1.5となるから、1.5倍だけ何かが違っていてもおかしくない。
ぼくは大いにその「違い」を期待していた。何故って、いま自分自身が変わらなくてはと考えているからだ。ハタチの頃とは一味もフタ味も違う旧友たちを目撃できれば、これから変わっていくべき自分にとって励みになるに違いないと思ったのだ。今まではいつも酔っ払っていたからそんなもん見ようとは思わなかった。

結果!

みんな昔と全然変わらんじゃないかッ…。
まあこういう時くらい昔話に花を咲かせるため昔に戻っちゃってるのかもしれないが、やっぱりいつまで経っても彼氏は彼氏で、彼女は彼女のままであった。3つ児の魂100までと言うことわざがあるが、ハタチの魂なんて余裕で≒30ということなのか…。変わったことと言えば、ほとんどの連中が既婚であること、そしてタバコを辞めてたことくらいか。
つまり彼等もぼくを見て「相変わらずたなあ」としか思わなかったに相違ない。
せっかく振舞い方までは完璧にこなしたのに、肝心の裏づけ調査が宙に浮いてしまった。むしろ「人間は中々変わらないものだ」という、望ましくない調査結果を得てしまった。果たしてぼくは目標どおり変われるのだろうか。DQN性を廃し人間関係を尊び社会性を備えることが出来るのだろうか。ひょっとしたら全く無謀な目標を立ているんじゃないだろうか。それとも時間が解決してくれる類の問題なのだろうか。ぼくは何を咲かせれば良いのだろうか。途端にいてもたっても居られなくなる。

今だに喫煙を続けている希少な友人からもらいタバコに預かった。久しぶりだったから、初めてタバコを口にした日の新鮮さが蘇った。そうそう、ケムリってこんな味だった。丁度君たちと付き合っていた頃にタバコを始めたんだったっけ。だけど初めてノドを通った瞬間の「ガツン」という感じは来なかった。その後で決まって訪れたヘンな陶酔感もなかった。調子に乗って5本くらいもらったが(超迷惑)、とにかく過去の感覚は戻らない。
こういう時に酒を飲むと、飲み潰れていた気がする。
なんか無性に泣いてみたくなった。

「俺は男 泣きとおすなんて出来ないよ」

かといって飲むわけにもいかない(なんてこった)。
とりあえず違う歌でも歌うか。

「ロイヨロ ロイヨロ ロイヨロ ロイヨロ ロッポッポー」

やばいこの歌泣けるよ…

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