MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『社長行状記』

2015-08-11 00:36:15 | goo映画レビュー

原題:『社長行状記』
監督:松林宗恵
脚本:笠原良三
撮影:鈴木斌
出演:森繁久彌/加東大介/小林桂樹/三木のり平/フランキー堺/久慈あさみ/司葉子/池内淳子
1966年/日本

ギャグなのか正確な描写なのかあやふやな風俗の古さについて

 昔の作品を観る意義の一つに、当時の風俗を垣間見ることができるということはあるが、コメディー作品となるとその描写をどこまで信用していいのか分からなくなる時がある。例えば、「睡眠薬なら『トンコロリ』。私でも眠れます」という太平製薬のテレビCMが流れるのだが、当時は睡眠薬のCMがあったのか、それともギャグなのかよく分からない。あるいは「未成年者でもОK。ハトヤ独特のインスタント結婚式場」というテレビCMも真面目に捉えればいいのかどうか分からない。
 主人公の既製服の大手企業「栗原サンライズ」の社長の栗原弥一郎と、フランスのブランド「チオール」の仲介をした日本支配人の安中類次を演じたフランキー堺のフランス語は意外と正確なもので(因みに『社長忍法帖』では道産子を演じていたフランキー堺は『社長千一夜』では日系ブラジル人のコーヒー王を演じているのだが、ポルトガル語はそれほど上手くはなく、しかし逆に言うならば堺はフランス語が話せたのかもしれない。)、だからラストで栗原や秘書課長の小島啓吾たちが見る三重県伊勢市二見町の二見浦の日の出が、クロード・モネが描いた『印象・日の出』を意識したように感じたのだが、こうして並べて見比べてみるとそれほど似ていなかった。


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『ミニオンズ』

2015-08-10 00:17:25 | goo映画レビュー

原題:『Minions』
監督:ピエール・コフィン/カイル・バルダ
脚本:ブライアン・リンチ
出演:ピエール・コフィン/サンドラ・ブロック/ジョン・ハム/スティーブ・クーガン
2015年/アメリカ

良質のポップソングに支えられるキャラクターについて

 本作を観て思うことはアメリカやイギリスの良質のポップソングの豊潤さである。それは使用されている楽曲のみならず、例えば通りの名前でさえビートルズ(The Beatles)の「アビイ・ロード(Abbey Road)」、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)の「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God Save the Queen)」、ザ・ジャム(The Jam)の「カーナビー通り(Carnaby Street)」などポップスと関連してしまっているのである。このようにクオリティーの高いポップソングとミニオンという強烈なキャラクターがタッグを組めばストーリーが無難であっても十分に観賞に耐えられるのである。
 ところで何故か本作のサウンドトラックに作品内では使用されていたボックス・トップス(The Box Tops)の名曲「あの娘のレター(The Letter)」が収録されていない。ボックス・トップスはいわゆる事実上の「一発屋」であり、一番入手困難な曲が収録されていないサウンドトラックの存在意義が理解できない。

The Box Tops - The Letter (Audio)


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『ジュラシック・ワールド』

2015-08-09 00:06:15 | goo映画レビュー

原題:『Jurassic World
監督:コリン・トレボロウ
脚本:コリン・トレボロウ/リック・ジャッファ/アマンダ・シルヴァー/デレク・コノリー
撮影:ジョン・シュワルツマン
出演:ニック・ロビンソン/タイ・シンプキンス/クリス・プラット/ブライス・ダラス・ハワード
2015年/アメリカ

マッチを所持している男の子について

 生きた恐竜を展示する「ジュラシックパーク」の開園前を舞台としていた『ジュラシック・パーク 』(スティーヴン・スピルバーグ監督 1993年)と比較するならば、既に一大テーマパークとして成功している「ジュラシック・ワールド」が舞台の本作はストーリーの規模も格段に大きくなっているのであるが、一方で、遺伝子操作による恐竜の復元という一作目の倫理の問題が、テーマパークが大成功したことにより、逆にさらなる集客目的のための遺伝子操作が推奨されているところは皮肉として効いている。ラストシーンにおいてティラノサウルス・レックスに対して2匹のラプトルが挑んでいった一作目を把握しておけば、本作においては当初インドミナス・レックスと3匹のラプトルが人間に対して共闘していたが、飼育員のオーウェン・グラディに同情したラプトルたちがインドミナス・レックスに反旗を翻し、ラプトルの情勢が不利と見たパークの運用管理者のクレア・ディアリングが22年前の出来事を思い出し、ティラノサウルス・レックスを飼育エリアから解放してインドミナス・レックスと戦わせるというストーリーの流れが上手くできているように見える。
 このように恐竜同士の微妙な心情が上手く描かれていながら、肝心の人間同士の心情がぎこちなく、例えば、主人公の2人の兄弟の両親が離婚しようとしていることはともかく、オーウェンとクレアもそれほど仲が良かったわけではなく、オペレーターのロウリー・クルーザースも非常時で同僚のヴィヴィアンにボーイフレンドがいるという理由でキスを断られてしまう。
 しかし関係のぎこちなさは仕方がない。それよりも不思議に思うことは、弟のグレイ・ミッチェルがマッチを所持していたことである。グレイは恐竜から逃れるために兄のザックと共に滝に落ちたのだから湿ったマッチは使えないはずなのである。せめてライターだと思うのだが、何故マッチだったのか謎として残る。


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『脳内ポイズンベリー』

2015-08-08 00:03:09 | goo映画レビュー

原題:『脳内ポイズンベリー』
監督:佐藤祐市
脚本:相沢友子
撮影:清久素延
出演:真木よう子/古川雄輝/西島秀俊/神木隆之介/吉田羊/浅野和之/桜田ひより
2015年/日本

見かけによらない「衝動」の強さについて

 不幸にも同時期に公開されている『インサイド・ヘッド』(ピート・ドクター監督 2015年)とネタがまる被りの本作が辛うじて救われた理由は、『インサイド・ヘッド』の主人公のライリー・アンダーソンの脳内には「ヨロコビ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」「カナシミ」がおり、さすが11歳らしい感情に支配されているのに対して、本作の主人公の櫻井いちこの脳内に存在する「理性」「ポジティブ」「ネガティブ」「記憶」「衝動」がいかにも30歳らしく、設定は同じでも世代が違っていることにある。
 いちこの脳内の彼らの会議をメインとする本作が意外と真実をついていると思う理由は、結局、会議の内容が全てハトコの「衝動」をどのようにコントロールしていくかに終始しているからで、逆に言うならばハトコの「衝動」に引っかからない人物は、いちこの仕事相手の越智のように交際する相手として条件は理想的ではあっても実際は無視も同然の扱いで、クライマックスで越智が我慢の限界で怒りが爆発したことは分かるが、だからといっていちこの気持ちが動くことは微塵もなく、恋愛の残酷さが的確に描かれていると思うのである。


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『インサイド・ヘッド』

2015-08-07 00:06:21 | goo映画レビュー

原題:『Inside Out』
監督:ピート・ドクター
脚本:ピート・ドクター/メグ・レフォーヴ/ジョシュ・クーリー
出演:エイミー・ポーラー/フィリス・スミス/リチャード・カインド/ケイトリン・ディアス
2015年/アメリカ

髪の毛の色が同じキャラクターの存在意義について

 主人公の11歳の少女のライリー・アンダーソンが最初の人生の岐路に立たされるきっかけは、父親の転職により生まれ故郷のミネソタ州の田舎町から大都会のサンフランシスコに引っ越してきたことにある。ホームシックに加えてなかなか仕事が軌道に乗らない父親と母親の仲が悪くなったことでライリーは本来持っていた明るさを徐々に失っていくのであるが、それがライリーの脳内で具体的にジョイ(Joy=喜び=ヨロコビ)、アンガー(Anger=怒り=イカリ)、ディスガスト(Disgust=嫌悪=ムカムカ)、フィアー(Fear=恐れ=ビビリ)、サッドネス(Sadness=悲しみ=カナシミ)として擬人化されて描かれることになる。
 ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリは自分の役割が分かっているようであるが、カナシミだけは本人自身も自分の役割が分かっていないように見える。それはカナシミだけが自分だけの感情ではなく、他者と自分をつないで「同情」する役割を持っているからであろう。その同情がやがてヨロコビにつながってくることはヨロコビの髪の毛の色がカナシミと同じ青だからであり、キャラクターが対称的な2人だが全く関係がなくはないのである。
 カナシミの存在を認めることでライリーが大人になる過程が実に丁寧に描かれていると思う。ちなみに原題の「インサイド・アウト(Inside Out)」は「裏返し」という意味ではあるが、ここでは「大混乱」と訳したほうが作品に合っていると思う。


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『南の島のラブソング』

2015-08-06 00:28:09 | goo映画レビュー

原題:『Lava』
監督:ジェームズ・フォード・マーフィ
脚本:ジェームズ・フォード・マーフィ
出演:クアナ・トレス・カヘレ/ナプア・グレイグ
2015年/アメリカ

「南の島」の元ネタについて

 『インサイド・ヘッド』(ピート・ドクター監督 2015年)の前に上映されている7分の短編アニメーションで、主人公の孤独な火山のウクが仲間を求めて何千年も歌っていたものの、徐々に吹き出していた溶岩に埋もれていこうとしていたところ、ウクの歌を聴いて恋をしていたレレが水中から現れた時には、ウクは死に絶えていたがレレが歌いだすと死んだはずのウクがよみがえり再び水上に顔を出し、2人は一つになって幸せに暮らすという話にケチをつけるつもりはないのであるが、この話は最近の日本人にはなじみ深い話で、歌っていたかどうかは定かではないが、小笠原諸島の西之島が同じような展開を見せていた。西之島が物語のネタ元としか思えないのであるがどうなのだろうか。因みに原題の「Lava」とは溶岩のこと。


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五輪とパラリンピックの「距離」

2015-08-05 17:35:21 | 美術

【五輪エンブレム・佐野さん会見】(1)大会組織委が問題の経緯説明「当初は商標権侵害主張し、その後は模倣の主張に…」
【五輪エンブレム・佐野さん会見】(2)「デザインに対する考え方が全く違う、全く似ていない」と佐野さん、エンブレムは「AからZ、0から9まで作り、展開できる設計」
【五輪エンブレム・佐野さん会見】(4)「一人のデザイナーとして、日本人として誇りを持って作った」

 上のデザインが問題になっている2つである。左がベルギー東部にあるリエージュ劇場のロゴで、

右が2020年東京五輪の大会エンブレムに採用された佐野研二郎のデザインである。当初、

組織委員会や関係者たちは国際商標は調査済みで問題はないと主張していたが、何故著作権に

関しても問題はないと言及しないのか疑問に思っていた。著作権にも言及しなければ、まるで

著作権に関しては問題があるように受け取られてしまうからである。佐野は「僕自身、ロゴを

見たとき、要素は同じものがあるが、デザインに対する考えが全く違うので、全く似ていないと

思いました。」と発言している。確かに「考え方」からするならば似ていないのであろうが、

芸術作品ではない一般人を対象にしたデザインに「考え方」など関係なく、見た印象が全てであり、

パッと見れば似ていると言われても仕方がない仕様ではある。

 しかしそもそも東京五輪・パラリンピックのエンブレムというのは以下のようなものである。


(2015.7.25 毎日新聞朝刊 宮間俊樹撮影)

 五輪とパラリンピックは必ず一緒に行われるものであり、「白と黒を入れ替えれば同じ図案となる

ことから、一体感を表した」エンブレムはこのように一緒に見ることで「グルーヴ」を感じるので

ある。つまりリエージュ劇場のロゴのデザイナーのオリビエ・ドビはデザインの「一部」が似ている

と言って非難しているわけなのだが、そのことに気がつかないまま反論している組織委員会を

思う時、五輪とパラリンピックにはまだまだ大きな「距離」があるのだと感じるのである。


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『チャイルド44 森に消えた子供たち』

2015-08-04 00:34:16 | goo映画レビュー

原題:『Child 44』
監督:ダニエル・エスピノーサ
脚本:リチャード・プライス
撮影:オリヴァー・ウッド
出演:トム・ハーディ/ノオミ・ラパス/ゲイリー・オールドマン/ヴァンサン・カッセル
2015年/アメリカ・イギリス・チェコ・ルーマニア

ストーリーをつまらなくしてしまう「正しさ」について

 本作の原作であるトム・ロブ・スミスの長編小説『チャイルド44(Child 44)』はウクライナの猟奇的殺人者であるアンドレイ・チカチーロをモデルにしたものだが、本作の主人公はソ連国家保安省MGBの捜査官であるレオ・デミドフである。例えば、デミドフのチカチーロ(本作においてはウラジーミル・マレヴィッチ)に対する追跡劇であるならば理解できるが、戦争孤児のデミドフが成り上がって国家の要職に就いたまではよかったものの「正義感」を見せたばかりに上層部から目をつけられ、スパイ容疑にかけられた妻のライーサと共に「都落ち」してしまう有様が描かれ、つまりは誰が信用できるのか迷宮に迷ってしまうという物語がメインであり、シリアルキラーであるマレヴィッチとの対決はマレヴィッチのバックグラウンドが描写されないまま最後の方であっさりと描かれているだけである。学校の先生だったライーサの身体能力が異常に強靭なのには驚いたがスパイなのだから良しとしても、デミドフが自分が関わった両親の殺人事件の2人の孤児を引き取るというラストシーンは、道義的には理解できても現実的ではないように感じた。本国アメリカで興行的に大失敗した原因が分からなくはない。


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『笑う猫事件』

2015-08-03 00:22:08 | goo映画レビュー

原題:『Chats perchés』
監督:クリス・マルケル
脚本:クリス・マルケル
撮影:クリス・マルケル
2004年/フランス

二項対立を解消する「フィクション」の可能性について

 本作をクリス・マルケル(Chris Marker)が撮ろうとしたきっかけは、フランスの画家のトマ・ヴュイユ(Thoma Vuille)が街中に描いた「ムッシュ・シャ(M・Chat)」のグラフィティーを発見したことにある。


(「Chats perchés=高みにいる猫たち」)

 2001年にアメリカで起こった同時多発テロの話題から始まり、2004年当時のジャン=ピエール・ラファラン(Jean-Pierre Raffarin)首相が制定しようとした高齢者や障害者のために働くか働かないか「Journée de solidarité(連帯の日)」という休日を巡るデモに「ムッシュ・シャ」のプラカードが出現したことで、二項対立を解消しようとする「第三者」の可能性を模索する。目をこらして見るならば「ムッシュ・シャ」は有名な芸術作品にも現われなくはないのである。
 しかし「ムッシュ・シャ」も地下鉄内で暮らしていたボレロという猫も見かけなくなった頃、「Noir Désir(ノア・デジール)」というロックバンドのボーカルのベルトラン・カンタ(Bertrand Cantat)が女優のマリー・トランティニャン(Marie Trintignant)の過失致死の容疑で懲役8年の刑を受けたり、難民のために尽力していた老教授が亡くなったりする。
 ラストで再び現れた「ムッシュ・シャ」にはもはやにやけた顔は無く、シルエットだけの存在であるが、相変わらず二項対立を解消しようと試みる「第三者」の可能性を模索し続けるだろう。それは突き詰めて「正解」を得ることの困難な真面目な「真実」ではなく、敢えて笑いを誘う「フィクション」に可能性を託そうとする試みになるはずである。


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諸刃の剣としてのブス

2015-08-02 00:59:27 | 邦楽

さしこ なぜ全裸に?「ブスって脱ぎたがる」キスマイも巻き添え
AKB48新曲MV公開!さしこが魔女、ゆきりんが猛獣使いに!
AKB48さん『恋するフォーチュンクッキー』の歌詞
コイスルフォーチュンクッキー
words by アキモトヤスシ
music by イトウシンタロウ
Performed by エーケービーフォーティーエイト

 指原莉乃がセンターを務めた2年前の「恋するフォーチュンクッキー」が大ヒットした理由は

選抜メンバー16人の中の唯一のブスがセンターを務めたことでモテない女の子の心情が歌われた

歌詞にリアリティーを持たせたことによるものであろう。しかし今回再びブスがセンターを務める

ことになったことで、「恋するフォーチュンクッキー」の二番煎じにしないために、秋元康が

断腸の思いで下した方法は全員に特殊メイクをさせることで選抜メンバー16人中唯一の

センターに立つブスを目立たなくさせることだった。「ハロウィン・ナイト」と明らかに季節外れの

テーマを選択せざるを得なかった作詞家としての秋元康の苦悩がうかがえる。


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