MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『クローバー』

2014-11-10 00:20:44 | goo映画レビュー

原題:『クローバー』
監督:古澤健
脚本:浅野妙子
撮影:小宮山充
出演:武井咲/大倉忠義/永山絢斗/夏菜/上地雄輔/木南晴夏
2014年/日本

 8年のブランクの大きさについて

 主人公の鈴木沙耶の結婚相手が、8年前の中学時代に「駆け落ち」した相手の樋野ハルキではなく、彼女の上司の柘植暁であることが途中で分かってしまう理由は、予め原作を読んでいたからというよりも、沙耶の誕生日に関するエピソードによって暗示されていたように思う。
 さすが元彼だけあってハルキは沙耶の誕生日を覚えており、誕生日の「前日」ということで18日に沙耶にメールを送り、金曜日の晩に飲みに行くのであるが、正確には沙耶の誕生日は4月20日の日曜日であり、休日だから沙耶は柘植暁に加え、友人の谷上一葉と彼女の彼氏である合田光成と一緒に中華街でダブルデートをしたのである。つまりハルキは沙耶の誕生日を4月19日と勘違いしており、8年のブランクの大きさを物語るのである。


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『誰よりも狙われた男』

2014-11-09 00:36:00 | goo映画レビュー

原題:『A Most Wanted Man』
監督:アントン・コービン
脚本:アンドリュー・ボーベル
撮影:ブノワ・ドゥローム
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン/レイチェル・マクアダムス/ウィレム・デフォー
2014年/アメリカ・イギリス・ドイツ

社会が改善されない原因について

 ジョン・ル・カレの原作ということもあって『裏切りのサーカス』(トーマス・アルフレッドソン監督 2011年)のような複雑な物語を覚悟して観に行ったが、意外とあっさりとしたストーリーだったが分かりやすい。
 主人公のギュンター・バッハマンはドイツのハンブルグで諜報機関のテロ対策チームを指揮する立場に置かれている。密入国した青年のイッサ・カルポフをイスラム過激派のテロリストと見なして捜査を始めたバッハマンのみならず、ドイツ諜報機関上層部のディーター・モールとアメリカの外交官のマーサ・サリバンたちもイッサに興味を示す。
 しかし女性弁護士のアナベル・リヒターの介添えもあってイッサはテロリストではなく、父親が何をして稼いだのか分からないような大金には興味はなく、ただ自分の居場所を探し求めていたことが分かり、地元のイスラム教の慈善家であるジャマール・アブドラの良心にも賭けて、更なるテロ組織アルカーイダの大物を捕えようと目論んでいたバッハマンは、そのような事情を何も分かっていない者たちに邪魔をされてしまう。
 実は驚くべきはこの後で、バッハマンは損傷した車を置き去りにして、茫然としている銀行家のトミー・ブルーや座り込んでいるアナベルに声をかけることもなく、新しい車に乗り換えて一人で運転してから、車を道路わきに停めて、降りて行ってしまう。別に抗議することもなく仕事に戻る様子に、これは組織内では上司に逆らえない部下たちの日常であることに驚かされるのである。


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『悪魔の陽の下に』

2014-11-08 00:09:31 | goo映画レビュー

原題:『Sous le Soleil de Satan』
監督:モーリス・ピアラ
脚本:モーリス・ピアラ/シルヴィー・ダントン
撮影:ウィリー・クラン
出演:ジェラール・ドパルデュー/サンドリーヌ・ボネール/ジャン・クリストフ・ブーヴェ/ヤン・デデ
1987年/フランス

 悪魔を神と誤解してしまう「仕組み」について

 主人公のドニサン神父は主任司祭のムヌウ・スグレ神父の下で助任司祭を務めているが、自身の身体に鞭を打つほどのストイックさで、偶然ドニサン神父の下着に血が滲んでいることに気がついたムヌウ・スグレ神父に注意を受けたがそれを止めることはなかった。
 ある日、近隣の教会を手伝うためにカンパーニュに向かう途中で、ドニサン神父は馬商人を装った悪魔と遭遇し、今後ドニサン神父のすることは全て自分が仕向けるものだと言い残して悪魔は去っていく。翌朝、ドニサン神父はムーシェットという16歳の少女と出会い、彼女が殺人を犯したことを言い当てる。ドニサン神父は苦行の甲斐があって他人の心が読めるようになっていたのである。神父に罪を咎められたムーシェットは悩んだ挙句自分の部屋で自殺を試み、心が読めるドニサン神父が察して彼女の部屋のドアを蹴破った時には既に息絶えていた。
 ところでムーシェットが犯した罪とは何だったのか改めて確認しておく必要があるだろう。彼女は妻が不在の時にカディニャン侯爵の家を訪れていた。そこで妊娠したことを告げるのであるが侯爵は真面目に取り合わず、ムーシェットが侯爵が所有していた猟銃を取り出して弄んでいるうちに誤って侯爵を銃殺してしまう。翌日、ムーシェットは代議士のガレ医師と逢い、自分が侯爵を射殺したと告白するのであるが、実際に現場検証に立ち会ったガレ医師は状況から侯爵は自殺したのだとムーシェットに伝えるのである。
 ここで観客は今一度ムーシェットが侯爵を撃ったシーンを思い出さなければならない。ムーシェットが銃を持っているところを見つけた侯爵が慌てて彼女が居る部屋に入ろうとするやいなや銃で撃たれて侯爵の身体が飛ばされるのである。つまり撃たれた瞬間はドアに隠れて映されておらず、そのあと驚いたムーシェットが部屋から飛び出してくるのであるが、人を撃ったばかりの彼女は銃を両腕で抱えるようにして持っており、明らかに不自然なのである。つまりこのシーンはムーシェットの幻想と見なすべきで、事実はガレ医師の言う通り侯爵は自殺したのだと捉えるべきなのである。
 そうなるとドニサン神父が「読んだ」ものはムーシェットの「誤解」であり、ムーシェットは自身の誤解で自殺に追い込まれたことになる。悪魔の高笑いが聞こえてこないだろうか。だから神父が出来ることといえばせいぜい自分の命と引き換えに子供の命を救うことぐらいなのだが、これでさえ神の啓示というよりも悪魔との取り引きであり、神を崇拝しているつもりが悪魔と契約してしまっている教会批判が冴える本作は間違いなくモーリス・ピアラの傑作である。


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『ふしぎな岬の物語』

2014-11-07 00:44:16 | goo映画レビュー

原題:『ふしぎな岬の物語』
監督:成島出
脚本:加藤正人/安倍照雄
撮影:長沼六男
出演:吉永小百合/阿部寛/竹内結子/笑福亭鶴瓶/笹野高史/小池栄子
2014年/日本

本当に「危険」な人物について

 作品の冒頭は主人公の「岬カフェ」の店主の柏木悦子の夫が岬から見える景色を描いているシーンから始まるのであるが、間もなくそれは悦子の幻想であることが分かる。近所には彼女の亡くなった姉の息子の45歳になる浩司がバラック小屋を建てて住んでおり、発達障害の気があるのか思い込みが激しく喧嘩っ早い。浩司だけではなく、「岬カフェ」の常連客たちはみんな変わっており、柴本孝夫はようやく結婚できて盛大に披露宴を行ったものの、恵利は臭いに耐えられないというだけで翌日に実家に帰ってしまう。あるいは竜崎徳三郎の娘のみどりのように久しぶりに岬に戻ってきた者もいるが、それは親の反対を押し切って駆け落ちしたにも関わらず、失敗して戻って来たのである。間もなく徳三郎は癌を患い帰らぬ人となり、不動産屋のタニさんは事実上の左遷により岬から離れてしまい、突然悦子の店に現れた大沢克彦と彼の娘は、悦子の夫が残した虹のある岬の景色の油絵を持って行ってしまう。このような不思議な人たちに囲まれていた悦子であったが、そのようなおかしな人たちがいなくなってくると、自分の存在自体に疑問を感じだし、店内で発生した火災を消さないまま放置するという行為に至る。実は精神的に一番危うい人物は悦子本人だったのである。
 ラストシーンは悦子が浩司とみどりと共にボートで湧き水を汲みに行くのであるが、これは吉永小百合主演の前作『北のカナリアたち』(阪本順治監督 2012年)と同様に本当の子供ではない子供たちに囲まれるという設定で、実子がいない吉永の願望が反映されているように思う。


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『太陽の坐る場所』

2014-11-06 00:09:08 | goo映画レビュー

原題:『太陽の坐る場所』
監督:矢崎仁司
脚本:朝西真砂
撮影:石井勲
出演:水川あさみ/木村文乃/三浦貴大/森カンナ/鶴見辰吾
2014年/日本

多すぎる伏線になかなか目が追い付かない佳作について

 予備知識として最初にまとめておくと、高間響子が高校の体育館の倉庫に自ら閉じこもる言い訳として、日本神話の「岩戸隠れ」の天照大神を挙げており、結果的に、自分を閉じ込めてくれと響子に頼まれた鈴原今日子は「アメノウズメ」のように「女優」として活躍することになる。水上由希は『ティファニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督 1961年)のオードリー・ヘプバーンが演じた主人公の「自由気ままに自分さえ楽しければよしとする」ホリー・ゴライトリーの生き方に憧れており、先祖の墓参りにわざわざ黒で着飾っている。因みにキョウコが主演するA.ランボー原作の『Esquire de Deux(2人のエスクァイア)』とは「2人の紳士」となり、おそらく清瀬陽平を指すように思われる。

 高間響子が高校時代に周りにちやほやされて「裸の王様」になり、他の生徒たちと不仲になってしまっても「徹底的に恥さらしになりたい」として10年ぶりのクラス会に参加し、なおかつ転勤により幹事を務められなくなった島津謙太の代わりに幹事を引き受ける理由は、それだけ地元に対する愛情があり、だから東京の放送局にスカウトされても断り、地元局のアナウンサーに留まっている。
 自分の存在を脅かす同名の鈴原今日子を「りんちゃん」と呼び、場の空気が読めない浅井倫子(みっちゃん)を冷遇する理由は、たまたまクラスの人気者に納まった響子の使命感でもあったのかもしれないが、場を取り繕うとする余りに、「愛情」の問題が御座なりになり、それは清瀬陽平に見透かされていた。水上由希のスカートを隠した犯人は島津謙太だったが、倫子に対する響子の態度を知っていた由希は、響子の仕業だと誤解する。地元愛の強い響子がクラス会に出席して疎まれてしまい、地元に未練が無くクラス会にも絶対に出席しないキョウコが待望されているという皮肉が悲しい。最後で響子は卒業アルバムに清瀬との思い出の石を乗せるのであるが、その有様に女子高生の心理が象徴されているのである。
 冒頭で響子は大学入試センター試験が行われている山梨学院大学の門の前で何故かセーラー服を着てレポートしているのであるが、音楽室に入っていく高校生の鈴原今日子を追って音楽室に入っていくカメラが映し出す、ピアノを弾いている鈴原は木村文乃ではなかっただろうか。皆既日食に対する生徒たちがつけるメガネは、天照大神と見なされる響子にも向けられることになり、響子に対する距離感がうかがわれる。昔のATG作品を彷彿とさせるシュールな演出が冴える。


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『蜩ノ記』

2014-11-05 00:16:44 | goo映画レビュー

原題:『蜩ノ記』
監督:小泉堯史
脚本:小泉堯史/古田求
撮影:上田正治/北澤弘之
出演:役所広司/岡田准一/堀北真希/青木崇高/串田和美/原田美枝子/井川比佐志
2014年/日本

「テキスト」を巡る物語について

 主人公の檀野庄三郎が隣席の水上信吾と刃傷沙汰を起こしてしまった原因は、手紙をしたためていた際に、突風で筆先についていた墨汁が飛び散ったためだった。その後、切腹を免れる代わりに庄三郎が命じられた仕事は、藩主である三浦家の家譜を編纂し完成させるよう命じられている郡奉行の戸田秋谷の監視だった。
 「蜩ノ記」と名づけられた日記なども加わる「テキスト」を巡る物語で、もう一人の主人公である戸田秋谷を役所広司が演じているのであるならば、当然のことながら「記録」に関する物語である『どら平太』(市川崑監督 2000年)のような展開を期待して観ていたのであるが、「テキスト」を巡りはするものの、最後まで「テキスト」そのものを深く考察することがないために、戸田秋谷はお上に逆らえないまま「犬死」に甘んじてしまうのは余りにも悲しすぎるというよりも、芸がなさすぎる。本作の小泉堯史監督は黒澤明監督のみならず市川崑監督とも師弟関係の間柄だっただけに、師匠の作品の「表面」しかなぞれなかったことを残念に思う次第である。


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『記憶探偵と鍵のかかった少女』

2014-11-04 00:27:56 | goo映画レビュー

原題:『Mindscape』
監督:ホルヘ・ドラド
脚本:ガイ・ホームズ
撮影:オスカル・ファウラ
出演:タイッサ・ファーミガ/マーク・ストロング/ブライアン・コックス/ノア・テイラー
2014年/アメリカ・スペイン

良い舞台設定を盛り上げない伏線について

 舞台設定は悪くはないのに、ストーリーが盛り上がらない理由は、他人の記憶に潜入するという特殊能力を持つ「記憶探偵」を生業とする主人公のジョン・ワシントンの妻が自殺した原因が明らかにされないことと、ジョンが担当することになった16歳のアナ・グリーンがジョンを凌駕するほどの能力を持ち、ジョンを騙してまでも家出をしたかった(どこへ?)理由がはっきりしないためで、特に、マウシーというあだ名で呼ばれるアナの唯一の親友だった女子生徒のそのあだ名が実はキムという韓国人の女子生徒のものだったというオチの意図がよく分からなかった。「心象風景」という意味の原題のわりにはアナが描いている絵も上手いのか前衛的なのか中途半端な感じで、ストーリーに深みを与えることはない。


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『まほろ駅前狂騒曲』

2014-11-03 00:58:29 | goo映画レビュー

原題:『まほろ駅前狂騒曲』
監督:大森立嗣
脚本:大森立嗣/黒住光
撮影:大塚亮
出演:瑛太/松田龍平/高良健吾/真木よう子/麿赤兒/永瀬正敏/本上まなみ
2014年/日本

噛み合わないストーリーの中の「万歳」について

 前作『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)はあまり上手く理解できなかったが、本作は妙に松田龍平が気になる作品に仕上がっている。主人公の2人が競い合うようにやたらとタバコを吸うところが面白く、行天春彦を演じる松田龍平は冒頭から頭部にボールをぶつけられたためなのか、もはや演技とは言えない弛緩した言動なのであるが、実子のはるの出現によりタバコを吸うことが禁じられた松田の行動に一気に緊張感が高まる。
 それはおそらく自ら父親の松田優作の『太陽にほえろ!』の殉職シーンのパロディーを演じるためだったのかもしれない。ジーパン刑事を銃で撃ってそのまま逃げてしまった犯人に言いたかったはずの言葉を代わりに息子が言うという設定が泣かせる。
 ラストで行天春彦は「VIVA まほろ」と文字が入ったTシャツを着ている。「VIVA」とは「万歳」という意味だと多田啓介に教えられ、そんな気分なのかと問われると、力なく肯定する行天。「万歳」とは叫ばないけれども、そういう気分であってもいいではないかという気力が無い喜びこそが本作の醍醐味なのであろう。


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『ヘラクレス』

2014-11-02 00:00:13 | goo映画レビュー

原題:『Hercules』
監督:ブレット・ラトナー
脚本:ライアン・J・コンダル/エヴァン・スピリオトポウロス
撮影:ダンテ・スピノッティ
出演:ドウェイン・ジョンソン/イアン・マクシェーン/ルーファス・シーウェル/ジョン・ハート
2014年/アメリカ

「アメリカン・コミック」の役割について

 原作がグラフィック・ノヴェルであるためでもあろうが、多少誇張された演出が迫力よりも笑いを誘うことがある。ところで驚くべきシーンはラストに待っていた。預言者のアムピアラオスは途中でトラキアの兵士が投げた槍によって自分が予知していた通りに死んでしまうのであるが、全ての戦いが終わり、生き残ったヘラクレスたちが並んで立っているシーンに死んだはずのアムピアラオスの「彼は本当にゼウスの息子だろうか? それが重要なことだとは思わない。ヒーローになるために半神半人である必要はないのだから。ただ自分がヒーローであると信じる必要はある。それがヘラクレスには有効だったのだ。ところで私が何を知っているというのだ? 私は死んだことになっているのに。」というナレーションがかぶさる。
 その後、エンドロールが始まり、ヘラクレスが仲間たちと共に戦う姿が描かれることになり、全能の神ゼウスと人間の間に生まれた半神半人のヘラクレスの伝説が否定されることになるのであるが、本人が告白しているように自分の予知がはずれてしまった預言者のアムピアラオスの言葉を信じるわけにもいかない。しかし時に「妄信」が人に力を与えるという事実は否定のしようがなく、伝説でも「真実」でもない、『スーパーマン』や『バットマン』や『ファンタスティック・フォー』などの「アメリカン・コミック」の役割をここに見出すのである。


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『ジャージー・ボーイズ』

2014-11-01 00:09:19 | goo映画レビュー

原題:『Jersey Boys』
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョン・ローガン
撮影:トム・スターン
出演:ジョン・ロイド・ヤング/エリック・バーガン/ヴィンセント・ピアッツァ/マイケル・ラマンダ
2014年/アメリカ

目を離すことができない「君」の正体について

 作品の冒頭からトミー・デヴィートがいきなりカメラ目線で話しかけてくる。その後も、ボブ・ゴーディオやニック・マッシも後を継ぐようにカメラ目線で語り始め、ラストではフランキー・ヴァリも加わって「ザ・フォー・シーズンズ」全員が自分たちの想いを語りだすという演出は、おそらくミュージカルの演出を尊重したものであろう。
 フォー・シーズンズというポップス・バンドの歴史が描かれている本作は、他のバンドと似たような歩みであり、それほどの驚きは受けないが、父親と同じようにシンガーになることを夢見ながら、自分よりも才能があるかもしれない娘のフランシーヌ・ヴァリが薬物の過剰摂取で亡くなり、悲しみに打ちひしがれていた時にフランキー・ヴァリがレコーディングした曲が「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You)」で、「君から目を離すことができない」というこの曲が早世した娘に、仕事で家を留守がちにして十分にかまってあげられなかった父親が懺悔の意味も込めて歌っているものだと思うと、さすがに涙を堪えられなかった。
 ところでフォー・シーズンズの曲はボブ・ゴーディオが作曲しており、作曲の才能があるからボブはフォー・シーズンズに加入することになったのであるが、フォー・シーズンズの曲のほとんどの作詞は「君の瞳に恋してる」も含めてゲイのプロデューサーであるボブ・クリューが書いていたことを後で知って驚いた。


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