MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『MIRACLE デビクロ君の恋と魔法』

2014-11-28 00:47:30 | goo映画レビュー

原題:『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』
監督:犬童一心
脚本:菅野友恵
撮影:蔦井孝洋
出演:相葉雅紀/生田斗真/榮倉奈々/ハン・ヒョジュ/劇団ひとり
2014年/日本

 役作りよりもタレントのキャラを優先させる作品について

 主人公の書店員の山本光は漫画家になることを夢見ていたが、光の作品はコミックマーケットでも売れずに捨てられてさえいる有様だった。光の作品はセリフが少なく優しいタッチの「癒し系」で、面白みには欠けるのであるが、かと言ってサンタクロースの負の部分を擬人化させた「デビルクロース」を主人公としてビラの形式で光が描いた『デビクロ通信』が面白いかといえばそうでもなく、まるで相田みつをの詩の漫画化でしかないのである。
 だから光の友人の北山一路が作品を1000万部以上売り上げて人気漫画家として成功した代償として、商業ベースに乗せられて自分が描きたいものを描くことができないことに葛藤していても、やはりゴミとして捨てられてしまう光の作品よりも厚遇されており、贅沢な悩みというほかにない。
 それでは何故光の作品には魅力がないのかを考えるならば、彼には誰かのために頑張るという愛情が欠落しているからだと思う。北山は恋人のテ・ソヨンのために描いていたし、ソヨンは北山を支えるために献身していたし、高橋杏奈は光のために陰で奔走していたことを勘案するならば、光はただ自分のためだけに描いていたのであり、その志が低さが作品のクオリティーを高めないのである。
 クライマックスを注視するならば、確かに光はパリに旅立とうとしている安奈を追って空港まで出向き、雪のために出立が遅れていたために幸運にも安奈と再会できて、安奈に愛の告白をするのではあるが、何故か光は完全な受け身で安奈から光にキスをして抱きしめるだけで、光の積極さは感じらず、ラブストーリーとしての痛快さがなのである。
 そのまま終わってしまったために、その後、光が漫画家として大成したのかどうかは描かれていない。おそらく書店員として地道に人生を歩んでいくことになるのであろうから、それはそれでいいのであるが、この光の「草食さ」は個人的に『人間失格』(荒戸源次郎監督 2010年)の主人公の大庭葉蔵を思い出させる。つまり山本光というキャラクターよりも「嵐」のメンバーの相葉雅紀のキャラクターが優先され、女性ファンの気持ちを配慮した結果、榮倉奈々とのからみが不自然になっているのだと思うのであるが、その大庭葉蔵を演じていた生田斗真がハン・ヒョジュに対して意外と積極的ではあった。しかしそれは相葉と比較した上での話であり、女性ファンを意識したラブシーンであることに変わりはない。
 因みに「人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命と出会う(On rencontre sa destinée souvent par des chemins qu’on prend pour l’éviter.)」というラ・フォンテーヌ(Jean de La Fontaine)の真意は、「避ける」という行為自体が運命に織り込み済みなのだから、運命は避けようがないということである。
 ジョージ・ハンソン(George Hanson)の『アフリカ(Africa)』という写真集の現物を見てみたいと検索してみたのであるが、どうやら架空のものらしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする