MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ヘラクレス』

2014-11-02 00:00:13 | goo映画レビュー

原題:『Hercules』
監督:ブレット・ラトナー
脚本:ライアン・J・コンダル/エヴァン・スピリオトポウロス
撮影:ダンテ・スピノッティ
出演:ドウェイン・ジョンソン/イアン・マクシェーン/ルーファス・シーウェル/ジョン・ハート
2014年/アメリカ

「アメリカン・コミック」の役割について

 原作がグラフィック・ノヴェルであるためでもあろうが、多少誇張された演出が迫力よりも笑いを誘うことがある。ところで驚くべきシーンはラストに待っていた。預言者のアムピアラオスは途中でトラキアの兵士が投げた槍によって自分が予知していた通りに死んでしまうのであるが、全ての戦いが終わり、生き残ったヘラクレスたちが並んで立っているシーンに死んだはずのアムピアラオスの「彼は本当にゼウスの息子だろうか? それが重要なことだとは思わない。ヒーローになるために半神半人である必要はないのだから。ただ自分がヒーローであると信じる必要はある。それがヘラクレスには有効だったのだ。ところで私が何を知っているというのだ? 私は死んだことになっているのに。」というナレーションがかぶさる。
 その後、エンドロールが始まり、ヘラクレスが仲間たちと共に戦う姿が描かれることになり、全能の神ゼウスと人間の間に生まれた半神半人のヘラクレスの伝説が否定されることになるのであるが、本人が告白しているように自分の予知がはずれてしまった預言者のアムピアラオスの言葉を信じるわけにもいかない。しかし時に「妄信」が人に力を与えるという事実は否定のしようがなく、伝説でも「真実」でもない、『スーパーマン』や『バットマン』や『ファンタスティック・フォー』などの「アメリカン・コミック」の役割をここに見出すのである。


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