原題:『Sous le Soleil de Satan』
監督:モーリス・ピアラ
脚本:モーリス・ピアラ/シルヴィー・ダントン
撮影:ウィリー・クラン
出演:ジェラール・ドパルデュー/サンドリーヌ・ボネール/ジャン・クリストフ・ブーヴェ/ヤン・デデ
1987年/フランス
悪魔を神と誤解してしまう「仕組み」について
主人公のドニサン神父は主任司祭のムヌウ・スグレ神父の下で助任司祭を務めているが、自身の身体に鞭を打つほどのストイックさで、偶然ドニサン神父の下着に血が滲んでいることに気がついたムヌウ・スグレ神父に注意を受けたがそれを止めることはなかった。
ある日、近隣の教会を手伝うためにカンパーニュに向かう途中で、ドニサン神父は馬商人を装った悪魔と遭遇し、今後ドニサン神父のすることは全て自分が仕向けるものだと言い残して悪魔は去っていく。翌朝、ドニサン神父はムーシェットという16歳の少女と出会い、彼女が殺人を犯したことを言い当てる。ドニサン神父は苦行の甲斐があって他人の心が読めるようになっていたのである。神父に罪を咎められたムーシェットは悩んだ挙句自分の部屋で自殺を試み、心が読めるドニサン神父が察して彼女の部屋のドアを蹴破った時には既に息絶えていた。
ところでムーシェットが犯した罪とは何だったのか改めて確認しておく必要があるだろう。彼女は妻が不在の時にカディニャン侯爵の家を訪れていた。そこで妊娠したことを告げるのであるが侯爵は真面目に取り合わず、ムーシェットが侯爵が所有していた猟銃を取り出して弄んでいるうちに誤って侯爵を銃殺してしまう。翌日、ムーシェットは代議士のガレ医師と逢い、自分が侯爵を射殺したと告白するのであるが、実際に現場検証に立ち会ったガレ医師は状況から侯爵は自殺したのだとムーシェットに伝えるのである。
ここで観客は今一度ムーシェットが侯爵を撃ったシーンを思い出さなければならない。ムーシェットが銃を持っているところを見つけた侯爵が慌てて彼女が居る部屋に入ろうとするやいなや銃で撃たれて侯爵の身体が飛ばされるのである。つまり撃たれた瞬間はドアに隠れて映されておらず、そのあと驚いたムーシェットが部屋から飛び出してくるのであるが、人を撃ったばかりの彼女は銃を両腕で抱えるようにして持っており、明らかに不自然なのである。つまりこのシーンはムーシェットの幻想と見なすべきで、事実はガレ医師の言う通り侯爵は自殺したのだと捉えるべきなのである。
そうなるとドニサン神父が「読んだ」ものはムーシェットの「誤解」であり、ムーシェットは自身の誤解で自殺に追い込まれたことになる。悪魔の高笑いが聞こえてこないだろうか。だから神父が出来ることといえばせいぜい自分の命と引き換えに子供の命を救うことぐらいなのだが、これでさえ神の啓示というよりも悪魔との取り引きであり、神を崇拝しているつもりが悪魔と契約してしまっている教会批判が冴える本作は間違いなくモーリス・ピアラの傑作である。