MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ラッキー』

2018-09-12 22:18:35 | goo映画レビュー

原題:『Lucky』
監督:ジョン・キャロル・リンチ
脚本:ローガン・スパークス/ドラゴ・スモーニャ
撮影:ティム・サーステッド
出演:ハリー・ディーン・スタントン/デヴィッド・リンチ/ロン・リビングストン/エド・ベグリー・Jr.
2017年/アメリカ

人生の黄昏時に出会う「哲学」について

 90歳になるラッキーは規則正しい生活をおくりながら独身生活を楽しんでいるように見える。ラッキーが行きつけの居酒屋で毎晩飲む「ブラッディ・マリア」、定かではない話相手に使う赤い電話、「出口(EXIT)」とだけ書かれた赤い光に覆われた建物など妙に赤が目立つのであるが、急にラッキーが意識を失った原因となったのも「12:00」という赤文字の点滅を凝視したことによるものだった。
 クロスワードパズルを日課のようにして解いていたラッキーは、ある日「現実(Realism)」という言葉に引っかかり、辞書で調べると「現実とはモノだ(Realism is a thing)」と書いてあるのだが、本作における登場人物のセリフには「something」「anything」「everything」そして「nothing」と、「thing」の派生語がやたらと目立ち、その解釈は観客に委ねられているように見える。
 友人のハワードは遺産を、飼っている亀(tortoise)のルーズベルトに残すために生命保険に入る手続きをしていた。ハワードは街にサボテンを植えたばかりの頃にルーズベルトを飼い始めたのであるが、まだ百年生きるためだからだと言うのである。
 ラストでラッキーはそのサボテンを見に行くのであるが、サボテンはラッキーの背丈より遥かに高くそびえ立っている。そしてラッキーがその場を去った後に、行方不明になっていたルーズベルトがのそのそと歩いて左側から現れる。身体や寿命において90歳の人間を優に超える生命を前に観客もまためまいに襲われるのである。
 作中で使用されていたジョニー・キャッシュの「アイ・シー・ア・ダークネス」を和訳しておきたい。

「I See A Darkness」 Johnny Cash 日本語訳

君は僕の友人だからわかってくれるだろう
僕たちは出かけては何度も飲み明かし
お互いの考えを分かち合っているけれど
君は僕の思考の傾向に気がついてくれただろうか?

僕に愛があることは分かってくれていると思う
僕は知人全員に対して愛情を持っていることを
僕には生きる活力があるから絶交するようなことはないけれど
時々反感のようなものが込み上げてくることを君には理解できるだろうか?
これは実に酷い負担なのだけれど僕の心の中を真っ黒にしてしまうんだ

僕は闇を見るんだ
僕は闇を見てしまう
僕は闇を見るんだ
僕は闇を見てしまう

僕が君のことをどれほど愛しているのか分かっていただろうか?
どうにかして君が僕をこの暗闇から救いだしてくれることが望みなんだ

友よ、
いつか僕たちの人生に安寧が訪れることを願う
一緒にいるのか離ればなれか
一人でいるのか妻と一緒か
僕たちは無益な願いを追うことを止めて
心に微笑みを引き入れることができる
そして永遠に光を灯せば眠らずにいられる
僕の無敵の親友よ
僕が見ているのはこれだけではないんだ

僕は暗闇を見ている
僕は暗闇を見てしまった
僕は暗闇を見ている
僕は暗闇を見てしまった

僕が君のことをどれほど愛しているのか分かっていただろうか?
どうにかして君が僕をこの暗闇から救いだしてくれることが望みなんだ

Johnny Cash - I See A Darkness.


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