MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ネオン・デーモン』

2017-01-18 00:25:55 | goo映画レビュー

原題:『The Neon Demon』
監督:ニコラス・ウィンディング・レフン
脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン/メアリー・ロウズ/ポリー・ステンハム
撮影:ナターシャ・ブレイア
出演:エル・ファニング/カール・グルスマン/ジェナ・マローン/ベラ・ヒースコート/アビー・リー
2016年/アメリカ・デンマーク・フランス

「生気」を失う作品の是非について

 正直に言うならば物語を正確に理解することは不可能に思われるのであるが、それでも作品の前半は理解できなくもない。主人公の16歳のジェシーは一流のモデルになることを夢みてジョージア州の田舎街からロサンゼルスにやって来た。彼女は友人のディーンに宣材写真を撮ってもらっていたが、そこで出会ったメイクアップ・アーティストのルビーに誘われてパーティーに出席し、そこでモデルをしているサラとジジを紹介してもらう。
 ある晩、ジェシーが泊まっているモーテルに帰ってくると部屋の中に何故か生きたクーガー(山猫)がいるのであるが、ここから作品の雰囲気が変わって来る。それはモーテルの部屋の中にクーガーがいるという不自然さではなく、彼女が所属することになるモデル事務所には既にクーガ―の剥製が飾られているからである。部屋の修理代まで肩代わりしてくれたディーンと別れたジェシーは冷淡なジャックを選び、一見、普通の女性に見えたルビーが美しいならば死体をも愛せる変態性を現した頃には作品そのものが「生気」を失いジェシーは既に元に戻れないところまで来ており、なんとクライマックスにおいてジェシーはサラとジジに「食べられて」しまうのである。
 しかし物語はここで終わらない。ジェシーを食べたサラとジジは翌日何食わぬ顔で撮影に臨むのであるが、整形を繰り返しながら無理をしてモデルの仕事をしていたジジは「食あたり」で絶命してしまう一方で、ジジが吐き出したジェシーの片目を食べたサラは何事もなかったかのようにラストにおいて一人で放浪を始める。
 このようにリアリティーの濃い前半と、暗喩で描かれるようになる後半のギャップに驚かされることは必至で、興行的には振るわなかったのだと思う。


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