MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ピクセル』

2015-09-15 22:03:17 | goo映画レビュー

原題:『Pixels』
監督:クリス・コロンバス
脚本:ティム・ハーリヒー/ティモシー・ダウリング
撮影:アミール・モクリ
出演:アダム・サンドラー/ケヴィン・ジェームズ/ミシェル・モナハン/ピーター・ディンクレイジ
2015年/アメリカ

「ゲーム」と「映画批評」のシンクロする変化について

 コンピューターゲームを最初に映画化したものといえば恐らく『トロン(Tron)』(スティーブン・リズバーガー監督 1982年)だと思う。それ以来、コンピューターグラフィックスはいかに「ピクセル」を小さくしていくかに心血が注がれ、続篇の『トロン:レガシー(Tron: Legacy)』(ジョセフ・コシンスキー監督 2010年)が製作されるころには誰もピクセルの大きさに関心など示さないほどに細かくなっていた。
 本作はその、ほとんど忘れ去られていた「ピクセル」に焦点を当て、洗練させることで、例えば、ポップアートの画家のロイ・リキテンスタインが印刷インクの「ドット」をフューチャーして通俗的な漫画を新たに解釈したように、まるでモダンアートのインスタレーションを彷彿とさせる映像美を作り出しただけではなく、当時の「パターン」を読むゲームから21世紀の「マジ」な戦闘ゲームへ至る質の変化まで明るみにしているのであるが、意外と国内国外共に評価が低い。例えば、「頭が悪くなるだけでなく、心まで腐りそうだ。心と旅と映画と言葉を破損しようとしているのだろうか。役者も横着だし」として☆一つ(損するゾ、きっと)にしている翻訳家の芝山幹朗の感想(週刊文春9月17日号「シネマチャート」)は全く理解できないのであるが、私は字幕版を観たのであるが、字幕版と日本語吹き替え版に大きな違いでもあるのだろうか。


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