MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ピース オブ ケイク』

2015-09-20 00:01:45 | goo映画レビュー

原題:『ピース オブ ケイク』
監督:田口トモロヲ
脚本:向井康介
撮影:鍋島淳裕
出演:多部未華子/綾野剛/光宗薫/松坂桃李/木村文乃/菅田将暉/峯田和伸/柄本佑/宮藤官九郎
2015年/日本

「物語」に抗えない人たちについて

 主人公の梅宮志乃が仕事も恋愛も流されっぱなしであることを責めることはできない。正直に言うならば誰を好きになればいいのかなど誰も分からないからである。だから人は「物語」を求めてしまう。例えば、志乃が初めて菅原京志郎と出会った時に「風が吹いた」という物語。あるいは面接に行ったバイト先の店長が京志郎だったという物語。たまたま京志郎が自分の隣の部屋に住んでいるという物語。これだけ運命の「物語」が揃えば好きになっていいという「口実」が出来、他の人ではなく、この人でなければならないという気持ちになれるのである。
 しかしこれはあくまでも「物語」であるのだから、あかりという存在が京志郎に関して別の「物語」を築こうとしているならば、その比較によっては自分の抱えていた「物語」が幻想であったと気づかされてしまうこともあるだろう。それで一旦は京志郎との「物語」を失った志乃が、たまたま京志郎と再会して、既に気持ちが冷めてしまった志乃に対して、志乃が育てていたクワズイモを自分に家の庭で育てていたら庭全体を埋め尽くしてしまったという京志郎が提示した「物語」に志乃が逆らえるはずもなく、「人を好きになるって、最悪」という志乃の叫びは「物語」に抵抗できない人の心からのものであろう。
 だから古い話で何だが、モーニング娘。の「ザ☆ピ~ス!」(2001年)という歌の「好きな人が優しかった(PEACE!)」という歌詞は正論で、人は優しい人を好きになるのではなく、好きな人が優しい人であることに賭けるしかないのである。因みに「ピース オブ ケイク」の「ピース」は「Piece」の方で、成句で「簡単だ」という意味や「いい女」という意味がある。
 ストーリー設定が何故か2013年なのだが、撮影時期だったのだろうか。


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