私鉄で名古屋の神宮へ。
寒い。自動車に乗っているとわからないけれど、電車に乗っていって外を歩くと寒さがよく感じられる。
それとも、今日はだいぶん、寒くなったのか? そんな気もする。
実は名古屋の神宮、記憶にある限り今回 行くのが初めて。
駅からすぐのところにもう神宮がある。
境内のすぐ前に 宮前不動産株式会社 という不動産屋の看板が出ている。
見事にそのまんまの名前だなと思う。
境内に足を踏み入れる。
いやあ、広い。参道を歩いていると鳥居の厳かさ、森の深さなど伊勢神宮と見紛うほどだ。
参道の四つ角に七五三パックという看板が出ている。
どんなパックか知らないけれど、神宮まで、時代の流れでパックで商売をするようになったのかと思う。
手水にはひしゃくもおいてあり水が張ってある。
ただ、コロナ対策で手洗いは流水でおこなってくださいと書いてあって、手水から10メートルほど先に、竹の穴からちょろちょろ水が出ているところがある。
ただ、ひしゃくで手洗いしている人もいる。
それは自己責任でひしゃくで手を洗う分にはいいのだろうと思って僕もひしゃくで手を洗う。
コロナになってから一度もお宮のひしゃくで手を洗ってないので手順をわすれそうで、やはりやっておきたいと思った。
僕、お宮の作法は、細かいことは何も知らないけれど、手水の左手 右手 左手 左手の手順と二礼二拍手一礼だけはなぜかしっかりやったほうが気持ちがいいなと思ってしまう。
本殿のそばにお守りも売っている。
お守りを見ながら、「健康のやつにしとこか」「交通安全のにしとこか」と口々に言っている人がいる。
もちろん、どんなお守りを求めようとそれはひとそれぞれだけれど、僕は、特に目的が書いてあるお守りよりも 「お守り 〇〇神宮」 と書いてあるだけのシンプルなお守りが好きだ。
たぶん、特定の目的もさることながら、トータルに神様に守っていただきたいという気持ちが強いからだと思う。
それに、シンプルなものが好きということもあるし、、、。
まあ、お守りを吸盤で自動車のフロントガラスにつけたいなど機能的に特別の目的がある場合は、この限りでないけれど、、、。
シンプルなお守りの青と赤を手にとって巫女さんに見せると巫女さんは「〇〇円お収めください」とおっしゃる。
やはり、こういうところの巫女さんは言葉遣いがしっかりしている。
本殿でお祈りしてまた参道に戻ってくる。
もう一度手水で手を洗う。
すると手水の脇の森から
コッケコオオオーと声が聞こえる。
見るとちょっと太めで体格のいい鶏(にわとり)がいる。
鶏って日本ではその鳴き声を一般にコケコッコーと表現するけれど、コケコッコーでななくコッケコオオオーという感じで、ソプラノではなく隅々まで響くようなアルトの低い声で朗々と鳴くという感じだった。
そのさまを写真に撮っている人もいた。
鶏はコッケコオオオーと鳴いて、写真に撮られていることを意識して、ドヤ顔になってトトトトトっと5歩くらい歩いた。
冗談ではなく本当にドヤ顔をしていた。それはあれだけ気持ちよく鳴ければドヤ顔にもなると思う。
きっと神宮の森の中で環境がいいから、ドヤ顔になるほどいい声で鳴けると思う。
やっぱり鶏でも神宮の森にいる鳥は格が違うなと思ってしまう。
本当に天照大神が天の岩戸に隠れてしまったとき、岩戸の前で、天照大神のお出ましを願って鳴いたという鶏はこんな鳥だったかと思ってしまう。
神宮の森にいる鶏は違うなと思って森に意識が行ったせいだと思う、参道を歩いていると木の香りがとてもよいことに気づいた。
胸の中に入ってくる空気が体と心を浄化してくれるような気持ちになる。
ああ、森林浴が心身のためにいいって身をもってわかる気がした。
神宮まで歩いて行ける距離に住んでいたら、毎日、参道を散歩したら、ほぼ間違いなく健康にいいだろうなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。