ケンのブログ

日々の雑感や日記

清流Greenでんき

2021年10月24日 | 日記
23日付の地方紙に「脱炭素へ再生可能エネルギー倍増」という見出しが出ている。

具体的には30年の電源構成で現状の約2倍に当たる36%から38%に再生可能エネルギーの比率を拡大する目標を掲げたと出ている。

これは22日の閣議決定の内容だという。

選挙の期間にこんな大切なことに関する閣議決定がなされるんだなと思う。

太陽光 風力などの再生可能エネルギーは天候などに発電量が左右されるので火力によるバックアップが不可欠という内容が以前僕が読んだ本の中に書かれていたと記憶している。

そんな中、ここまで、再生可能エネルギーの電源構成比を高めることが可能なのかわからないという気持ちになってくる。

このことに関連して「走りながら考える展開の連続、最も大掛かりな作業になった」という経済産業省幹部の言葉も紹介されている。

本当に、今の世の中、エネルギーから始まって、ポイントカードのこと、人工知能のこと、コロナのこと、いろいろなことを、みんな、上の方の人が走りながら考えているという状況だと思う。

この流れに乗っていけばいいだろうというものがなかなか見えてこない時代だと感じる。

岐阜県では、中部電力が二酸化炭素フリー電気を「ぎふ清流Greenでんき」として法人向けに販売する。この計画に岐阜最大手の地銀もからんでいることが記事から読み取れる。

ところがこの記事を読み進めると、二酸化炭素フリー電気の販売価格に県産電力の環境価値相当分を上乗せして販売し、上乗せ価格の一部を県内の新たな再生可能エネルギー電源の開発や地域振興に当てる ということが書いてある。

新たな再生可能エネルギーと抽象的な書き方がしてあるけれど、水力は昔からの再生可能エネルギーであって、新たな再生エネルギーとは考えにくい。

上乗せした販売価格の一部を新たな再生可能エネルギー電源の開発に充てるって、要は、太陽光などの再生可能エネルギーの開発に充てるのかと解釈されても仕方のない書き方のように思える。

「岐阜清流Green電気」という清楚なネーミングの水力発電を宣伝材料にして、太陽光などの開発を進めるのかなと懸念を持たれても仕方のない書き方であるようにも思える。

事実、各家庭から電気代に上乗せされて徴収される再生可能エネルギー発電促進賦課金が太陽光発電などの開発に回されているのと構造がそっくりだし、、、。

とまあ、そんなふうに、僕が書いても、証拠がない単なる憶測だし、本当の情報を握っているのは、社会の上層部の人だし、でも、その社会の上層部の人も走りながら考えている状況だし、と心配しているときりが無くなってしまう。

かといって、この流れに、逆らえば生きていくのは容易でなくなるし、、、。

本当に、なるように、なると信じていくしかすべがない状況になっていると感じる。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。


月の夜は

2021年10月21日 | 日記
最近、自動車で走っていて、実をつけた柿の木を見つけることが多くなった。

柿の木のある場所を通ることが増えたわけではなく、何度か柿の木を見ているうちに、目が、緑とオレンジ色の実をつけた柿の木の特徴になれてきて、柿の木に気づきやすくなったためと思う。

つまり、目がなれたということだけれど。

興味を持って見ていると目も慣れてくるということか。

興味を持って聴いていると耳もなれてくるということがきっとあるような気がする。

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一週間くらい前の夕方、ある場所で、坂道でもないのに、変速機付きの自転車を低速ギアにして、フル回転で競輪の選手のモガキのときのように漕いでいる小学生の女の子がいた。

平地でも低速ギアで自転車をフル回転で漕ぎたくなる気持ちわかるような気がする。

僕も子供の頃、よくやっていた。

今日また、ほぼ同じ場所で、やはり、女の子が自転車を低速ギアにしてフル回転で漕いでいた。

まさか、一週間前と同じ子ということはないだろうと思った。

同じ場所で同じことやっている子を二人見つけるということは、この近くの小学校の子どもたちの間で自転車を低速ギアに入れて、フル回転で漕ぐことが流行っている可能性が高いと思った。

ゲームなどが流行る昨今、こういう自転車の漕ぎ方が流行るのはきっといいことのような気がする。

低速ギアに入れると自転車のペダルが軽くなるのでフル回転で漕ぎたくなってしまう。

あの感覚なつかしいなと思う。

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今日は満月が出ていた。

月で思い出した歌がある。

中島みゆきさんの 「うそつきが好きよ」という歌。

“”ああ 月の夜は ああ 夢になれよ“”
というフレーズがリフレインで何度か繰り返す。

その間にこんな歌詞が出てくる

“”そうよ 私は 空で生まれて 雲に抱かれて 夢を見た
癖が今も 抜けなくて 酒を飲んじゃ 飛んでるわ“”

こういう 豪快な歌詞の歌 最近 減ったなと思う。

たまには 豪快に笑い飛ばしたりとか そういうことも大切な気がする。

飲み過ぎはあかんと思うけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。



コンビニの店員さん

2021年10月20日 | 日記
コンビニで、棚の下の方においてある商品を見比べるために、前屈姿勢を取っていた。

すると、尾てい骨のちょうど上のあたりをトントンと軽くたたくような感触があった。

知り合いの子が、冗談で軽くたたいたというような感じだった。

誰やろうと思って右後ろを振り返ると誰もいない。

おかしいなと思ったときに左後ろから声がした。

「ごめんなさい」と。

見るとお店でバイトしている女の子だった。

「お尻に手が当たってしまいました」とその子は僕にいった。

まさにそのとおりで否定のしようがないので、僕は「びっくりした」と一言だけ言って苦笑いしていた。

店員の子は知り合いの子に声をかけられて、僕の対面側にある棚の商品をその子に案内しているところだった。

店員の子は知り合いの子にも「手が当たってしまった」と言った。

こういうときに、もっと冗談をかまして、女の子との距離を詰められるといいのだけれど、苦笑いするだけで終わってしまう。

僕の人生は、そういうことの繰り返しがほとんどだなと思う。

僕が買う商品を手にして、列に距離をキープして並んでいるとさっきの店員の子が「どうぞ」と言った。

それで、その子のところに商品を持っていって、顔を見ると、二重のまぶたで結構かわいい。

ちょっとラッキーという気分になる。気分になっただけで何も言えずに黙っていたけれど。


こういうことをきっかけにウンがつくといいのだけれど、、、。

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東の空の低いところに夜、満月にちかい月を見つけた。

かなり月が大きく見えるような気がした。

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名古屋地区のブロック紙の川柳の欄にこんな作品を見つけた。

じいちゃんに 家出る前に 天気聞く (十三歳女性)

じいちゃん、テレビずっと見てるから天気知っているのかなと思ったりして。

僕はテレビもネットのニュースもあまり見ないから天気の話題についていけなくて、、、。

寒い、暑いくらいはわかるはずだけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい

晩秋

2021年10月19日 | 日記
昨日か一昨日の新聞に、楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手が今シーズン8敗目を喫したと見出しが出ていた。

それで、勝ちはいくつかと思ってみると、4勝しかしていない。

ええ?田中将大くん、今年4勝しかしてないの?と思った。

「田中将大くん今年4勝しかしてないよ」と僕が母に言うと
「ああ、昨日、引退試合やったんでしょ」と母が答える。
「いや、引退試合は斎藤佑樹くん、田中くんは引退やない。田中くんと斎藤くんは甲子園の決勝で投げあったけどね」と僕が言う。
「そうか」と母。

田中くんと斎藤くんを間違えるのは年齢によるボケなのか、そもそも野球に興味がないから知識があやふやなのか。

でも、田中くんと斎藤くんが記憶の中でセットになっていることはすごいとも思う。

甲子園で田中くんと斎藤くんが投げあったのは2006年でもう15年前のことだから。

たぶん、二人のことが印象深かったのだと思う。

僕も高校の頃の斎藤くんかっこいいと思っていた。やはり、あのハンカチで汗を拭う仕草が。



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10月の旧暦の呼びかたは神無月。

この名前について、昨日の新聞に2つの説が書いてあった。

ひとつは10月は神様がみんな出雲に集まるから他の国は神様がいない、だから神無月。

もう一つは10月は収穫の月で、神の月。それが、なまって神な月 そして神無月になったという説。

ただしどちらの説も俗説であることに注意が必要と新聞に書いてあった。

どうせ俗説であるならば神の月がなまって神無月になったと思うほうがいいのにと僕は思った。

10月は収穫の月だから。

ハロウィンも近いし、もう晩秋だなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。






冬も近づいて

2021年10月18日 | 日記
今日はかなり冷え込んだという印象がある。

個々の日の天気はいろいろ変わるだろうけれど、太陽の位置はもう秋分よりも立冬に近くなっている。

やはり、これからは寒くなるだろうなと思った。

それで、ヒートテックの長袖アンダーシャツ、100円ショップのネックウォーマー、帽子をいつでも着られるように準備した。

こういうことは備えあれば憂いなしでいきたいと思う。

たまたまカーナビが裏道に案内してくれて、柿の果樹園のそばを通った。

果樹園に柿の木がたくさんあるのを見るとやはり壮観だと思う。それで岐阜も柿の有数の産地であることをいまさらのように思い出す。

学生の頃、地理で大学を受験した人と話したことがある。僕が岐阜の出身とその人に話すとその人は受験時代の地理のノートを取り出して言った。

「岐阜か、岐阜は僕のノートには ちょうちん と書いてあるよ。岐阜はちょうちんか?」と。

自分としては岐阜は、長良川 鮎 鵜飼と思っていたので ちょうちん と言われて少し面食らい「まあな」というような生返事をした。

事実、家に岐阜提灯などなかったので、あまりちょうちんというイメージがなかった。

ただ、今は岐阜のホームセンターでちょうちんを見かけたり、百貨店でホームセンターよりもっと品のいいちょうちんをみかけるとたしかに岐阜はちょうちんだなと思う。

和紙の生産も盛んなところなので、夏は金魚の絵などが入ったうちわや 懐紙などもいいなと思うけれど。

あと、さるぼぼと言って、さるの形をした、大きな根付のようなものも土産物の店によく売っている。

さるを示す漢字 猿 は 音読みがエンなので御縁がありますようにという願いでさるぼぼの根付をつけるという由来が土産物店のポップに書いてあった。

その話を勤めていた会社の女性にすると、その女性は僕が買っていったさるぼぼに 「御縁がありますように」と言って頬ずりしていた。

だから、概して女性の方が男性よりも根付とかそういう系のグッズは好きなのかも知れない。

まあ、さるぼぼの由来の話を聞くと同時にそういう頬ずりのようなリアクションをするのは大阪の子だなと思うけれど。

コロナに関して、まだまだ不安という気持ちと、もう我慢も限界に近づいているという気持ちが県民の間では相半ばしていると地方紙に書いてある。

そのとおりだなと思う。「内服薬が普通に処方可能になる時が一安心のとき」という33歳の女性の言葉が新聞に紹介してあったけれど、僕も同じ気持ち。

特に根拠があるわけではないけれど注射よりも内服薬のほうが痛くないし、安心という感覚がある。

僕の場合おかげさまで、これまでに内服薬でアレルギーなど起こしたことがないのでよりいっそう、その気持が強いのだと思う。

とりとめなく書いてしまったけれど、いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。