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ケンのブログ

日々の雑感

北の富士さん男前だな

2018年05月13日 | 日記
今日ポータブルテレビで大相撲中継を見ていた。
栃の心と松鳳山の取り組み
栃の心が外四つ、片方は一枚回しという体勢で
松鳳山を吊りだしてしまった。
勝った瞬間、すごいと思った。
一枚回しはゆるんで力が伝わりにくいから
よほどの怪力でないとあの体勢からは吊り出せない。
二枚回しをとっている腕一本で吊りだしたような感じだった。
それでも一枚回しの引き付けもかなり強かったようで
松鳳山の回しは勝負が決まったあとたてみつがほどけてしまった。
あれほどはっきりと回しがほどけるのを見た経験はそれほどない。
栃の心がそれほど強かったということだ。
北の富士さんも強い、落ち着いているというようなことを
おっしゃっていた。
一見危ないように見えても栃の心の場合
最近は回しを引いて落ち着いていれば
おのずと勝機が回ってくることが多い。
そういうことを踏まえての北の富士さんの落ち着いている
というご指摘だったと思う。
そのあとアナウンサーが舞の海さんに話を振ると
舞の海さんは北の富士さんと逆のことをおっしゃり始めた。
「いや、いい相撲ではなかったですよ」という具合に。
それは相手にもろ差しを許したらいい相撲ではないと思う。
下から相手を起こすという相撲の基本から言えば
外四つで引っ張りこむのはよくないと思う。
それは舞の海さんのおっしゃる通りだと思った。
しかし、それから舞の海さんは一転して
今度は栃の心のことをほめ始めた。
「いや、横綱、大関でもこのこの勝ちかたはできないと思います」と。
栃の心、まだ大関にもなっていないのに
その言い方は舞の海さん、横綱、大関にあまりにも失礼と僕は思った。
それに、舞の海さんここ三場所くらい栃の心が
豪快に怪力を見せつけたような勝ちかたをするたびに
横綱、大関でもこの勝ちかたはできない、と何度も繰り返しておられる。
そんなに何度も繰り返して横綱、大関に失礼と僕は思った。
僕がそう思っていると北の富士さんが口を開いて
「横綱、大関でもこの勝ちかたは出来ないというのには
同意できない」とおっしゃった。
アナウンサーが「と言いますと?」とさらに話を引き出そうとすると
北の富士さん「いや、関わりたくない」とおっしゃった。
議論が泥沼にはまらないように話を八分詰めにするところが
北の富士さんすごいな、完璧だな、男前だなと思う。
本当に北の富士さんのようになれるものならなりたいものだなと
思うのだけれど、、、。
※北の富士さん舞の海さんの発言は音声の不安定な
ポータブルテレビで聞き取り、記憶で書いたものなので
正確さに欠きます。

歌声サロンの先生

2018年05月13日 | 音楽
昨日は西宮市の大学のホールで催された歌声サロンの
K先生のコンサートに行った。
K先生がピアノ伴奏、ソプラノ歌手の方の独唱という
構成だった。つまりはピアノとソプラノのデュオコンサート。
最初ソプラノの方が5曲歌ってそのあとK先生の
ピアノ独奏でベートーベンのピアノソナタ第26番 作品81a 告別
それにショパンの革命エチュード
そのあとでまた4曲ソプラノ独唱という構成だった。
最初のソプラノ5曲は日本の歌とヨーロッパ
特にウィーンにちなんだ歌のコンビネーションだった。
日本の歌のなかでは小林秀雄の落葉松という歌が印象深かった。
いい歌だなと思った。
別の歌声サロンでN先生の伴奏でS先生が歌われたこともあるので
記憶に残っていた。
小林秀雄って評論家のことですかと僕が聞いたら
S先生がちょっと困ったようなあきれたような顔をしておられたので
あとで落ち着いて調べたら評論家の小林秀雄と作曲家の
小林秀雄は別の人物だった。
二人ともその道の第一人者だけれど。
昨日のK先生の伴奏は最初静かだったので
ずいぶん抑えた伴奏をなさるんだなと思っていたら
曲が盛り上がるところではK先生かなり思いっきり弾いておられた。
時間軸が前後してしまうけれどK先生は最初ステージに登場
なさったときにいきなりピアノの前で楽譜とバサッと落とされて
なんか、チャップリンのライムライトの最後のステージシーンに
そっくりだなと思った。
先生が楽譜を拾ってピアノの譜面台にセットしても
まだピアノの左側にひとつ楽譜が落ちていた。
最前列に座った僕が「先生、左です」と言うと
先生はピアノの左の楽譜を拾い上げて僕に
「ありがとうございます」とおっしゃった。
ソプラノの方の最初の5曲が終わると
K先生のベートーベンピアノソナタ第26番の独奏。
演奏が始まる前に先生の楽曲解説
「この曲はナポレオンに追われて家を離れなくてはならなくなった
ルドルフ大公に別れの気持ちを表した音楽です
曲は三楽章からなり第一楽章はベートーベンと大公の別れ
第二楽章は家を離れた大公の不在、第三楽章は
再び家に戻った大公とベートーベンの再会です。
ベートーベンの32曲のソナタの中でベートーベン自身が
名前をつけたのはこの告別ともう一曲、悲壮の2曲だけです。
つまり、それだけベートーベンの思い入れが深いということですよね」と
およそそのような内容のことをK先生も思い入れたっぷりに
語ってくださった。先生が語られた内容はデティールは違うかも
しれないがだいたい上記のようなことを語られた。
先生はこうも語っておられた
「クラシックの曲は作品番号だけだと
楽譜が売れないので出版社がタイトルをつけることが
しばしばあるんですよね」と。
僕はベートーベンの交響曲第5番のことを「運命」と呼ぶのが
あまり好きではなくあれはレコードの売り上げのために
つけられたタイトルと思っているので先生の話にとても共感した。
ピアノソナタ26番の演奏が始まる。
最初のゆったりと心を込めた和声の進行を聴いたとき
きっとこの演奏はうまくいくという予感のようなものを感じた。
演奏全体を通じて一つ一つのモチーフの扱いに心がこもっていると
思った。
初めてこの曲を生演奏で聴いたけれど
ベートーベンはこの曲でこんなにも多様なモチーフを
扱っているのかということが感じられ
やはり音楽は生で聞く機会が大切だなと思った。
僕は音楽の専門用語に疎いのだけれど
音をスタッカートのように短く扱うところが
何回かあってそれも印象深かった。
あと激しいところと音楽が穏やかに優しくなるところの
コントラストがよく出ていると思った。
先生のモチーフの扱い方を聴いていて
きっとこういう扱い方ができるのは
先生がベートーベンの交響曲第9番の指揮を経験なさったことも
影響しているのではないかと僕なりに想像を膨らませてみた。
この曲の第三楽章はとても速いパッセージのあとに
第三楽章でいちばん大切なモチーフがでてくるのだけれど
速いパッセージからメインのモチーフに移る瞬間に
ちょっと一呼吸おくような長めの空白があったことも
とても印象に残った。
第三楽章の最後のフィニッシュの音を奏でる前に
フッとブレスをなさったことも。
次に先生が演奏されたショパンの革命エチュードも
怒濤のうねりのような演奏でよかった。
先生の演奏が終わったあとソプラノの方が衣装変えをして出てこられて
「心がこもってましたね。熱演でしたね」とおっしゃった。
こころがこもっているというのはその通りだと思ったけれど
熱演と言うべきかどうかちょっとわからないなと思った。
盛り上げて終わったという演奏とはちょっとタイプの違う演奏だったので。
それからまたアンコールも含めて6曲くらいソプラノの方が
歌われたけれど、だんだん後半になるほど
声に迫力が出てきてよかった。
コンサートが終わって先生が客席の方に握手にこられた。
僕の隣の女性は先生に「よかったです」と言った。
僕は先生に「素晴らしかったです」と言った。
先生が後ろの方の客席に歩を進められて
僕と隣の女性から遠ざかったとき
女性は「素晴らしかったですよね」と僕に確認するようにおっしゃった。
「はい。素晴らしかったです」と僕は言った。
僕はコンサートに行くと演奏者と同じくらい薄着になってしまうので
おもむろに服を着て出ると最後になってしまうことが多い。
昨日もホールをでるのが最後に近いくらいだった。
ホールの出口で先生がファンの方と立ち話をしておられた。
僕は先生に改めて
「ひとつひとつの音の出し方。空白の作り方。
本当によかったです。ありがとうございました」と言った。
先生はニコッと笑って「そこまで聴いていただいてありがとうございます。
またT市のホールでよろしくお願いします」とおっしゃった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と僕は言った。
本当に印象深いコンサートだったなと思う。


五月十二日

2018年05月12日 | 日記
ちょっと今日は珍しく朝九時半頃に吉野家にいく。
僕はカウンターに座っていたら後ろのテーブル席の方から
「お酒四本」という声がした。
それに引き続いてその声の方はなんかお酒のつまみのような
感じでいくつか注文なさった。
一瞬ここは居酒屋だろうかと思ってしまった。
吉野家は居酒屋も兼ねているのかと。
お酒四本の声がしたとき僕の向かいに座っていたおじさんか
そちらをちらっと見た。
僕も見ようと思ったけれど僕の席からは180度振り返らないと
声がでた方向が見えないのでそれはまずいと思ってやめた。
店員のお姉さんがお客さんが注文した
お酒四本その他をテーブルに運んだとき
注文した方は「あれ、僕、たらこ頼むのわすれてたかな?」と言った。
もののおっしゃりかたを聴いているといい人のような感じがする。
店員さんは「今すぐ持って参ります」と言った。
ちょっと遅れて入ってきたおじさんも僕の前のカウンターに座って
生ビール一杯とおっしゃった。
生ビール一杯はまだ許容範囲としても
僕にはちょっと午前中からお酒を飲むということが考えられない。
僕はものを読んだり書いたりするのが趣味かつ仕事なので
ビール一杯でもお酒を飲むと作業の効率がかなり
低下してしまって逆にそれがストレスになってしまう。
というか今は養命酒のような感じでちょっと夜に
ウイスキーをキャップ一杯ということはないわけではないけれど
それ以上の飲酒は逆にストレスになってしまう。
でもまあビール一杯くらいなら二三時間でアルコールも飛ぶだろうし
ジュース感覚でということもあるのかもしれない。
ただ、僕が持っている知識だとビールは利尿作用があるので
ビール一杯飲むとビール一杯以上のおしっこが出て
逆に喉が乾くという結果になる。
なんのために朝っぱらからビールなのだろうと思ってしまう。
しかし、僕もタバコを吸うので吸わないかたから見れば
体にひとつもいいことないのにいったい何のため?
ということになるだろうからそこはお互い様ということなのだと思う。
ビールが好きな人にはあの一杯の喉ごしがたまらないのだろうと思う。
それはともかくとして朝いきなりお酒四本はまずいと思う。
お会計のとき四本注文されたかたの方を見たけれど
かなり太っておられて顔色が茶色っぽいように見えた。
吉野家のお姉さんもきっと自分の身内だったら
「そんなに飲むのやめとき」と言ったかもしれない。
お客さんにそれを言うわけにはいかないけれど。
お酒は楽しく適量をということがいちばんいいとは思う。

五月十一日

2018年05月11日 | 日記
朝のうちは寒かったけれど太陽が高くなったら
結構暑くなってきた。
今日は気温の較差がかなりあるようだ。
南中高度が高くなっている太陽を見ると
だんだんそのうちにうだるような暑さに
あえぐ季節がやってくるのかなと思う。
楽しみなような怖いような。
サザンオールスターズの歌を聴いていると
夏は恋に花さく季節というイメージだけれど
井上陽水の歌の一節には
動かないことがいちばんいいと寝転んでいても
汗ばむ季節 暑い夏 嫌な夏というのがある。
夏と言っても感じかたはいろいろだと思う。
僕は夏は郡上躍りを踊ったり
いとこと遊んだり、北海道に旅行にいったり
思い出としてはいい思い出が多いけれど。
今年の夏はどうなるのだろう。
そんなことを考えてしまう。
昨日お花屋さんにいったらケースにはカーネーションばかりがならんでいた。
母の日が近いからそうなると思うけれど。
花屋の店員の方は本当にみんな忙しそうにしていた。
手際よくカーネーションを切ったり包んだりしていた。
村上春樹さんのエッセイに
僕はお蕎麦屋さんが忙しいのはよくわかるけれど
会社が忙しいのはよくわからないという趣旨のことが
かいてあるのだけれど
その論理で行くとお花屋さんが忙しいのも
動きが目に見えてわかりやすいとは思う。
ピンクのカーネーションをひとつ買ってペットボトルにさした。

五月十日

2018年05月10日 | 日記
ここ二日間きっと寒いんだと思う。
家から外に出るときはカッターシャツの上にトレーナーを着てしまう。
僕の場合ちょっと動くとすぐに暑くなる体質なので
暑い寒いがわからないことが多い。
だいたいたの人がどんな格好をしているかで
暑い寒いを見分けることも多い。
今日はコートに薄手のマフラーを首にぎゅっと巻いて
歩いている女性もいらした。
そういうのを見るとあるいは血行があまりよくないのかも
知れないと思ってしまったりするのだけれど
「あなた、血行が悪いんですね」と言われ嬉しい人はあまりいないと思う。
寒がりなんですねとか冷えるんですねと言った方が無難かなと思う。
先日、あるコンサートで隣になったおじさんが
僕に飴をくれた。
「やはり、のどの渇きには飴がいいですね」と僕は言った。
「そうなんですわ。薬局で糖分控えめのやつ買ってきたので
いいですよ。なめてください」とおじさんは言った。
ところが僕は実は唾液が出すぎで口の中が泡に
なることがあってそれで飴をなめることがある。
飴をなめると言ってものどの渇きの対策とはちょっと目的が違う。
あと小腹がすいたときにビタミンCの飴をなめるけれど
これは食べすぎ防止という感じになっている。
僕の年になって唾液の出すぎという人はあまりいないのでないかと思う。
でも胃酸過多というのは聞いたことがあるけれど
唾液過多というのはちょっと聞いたことがない。
それでもと思ってGoogleに唾液過多と入れて
検索するとちゃんと出てくる。
なんでも情報が出てくる時代なんだなと思う。
しかし、そんな風にして情報を仕入れて
わざわざ病気ということにして何も治療する必要ないと
思う。逆に治療過多になってかえって具合が悪いように思える。
それに唾液過多の情報も書いてあるけれど
当院ではこのような治療をしますという
お医者さんの宣伝も同じサイトに出てきたりするので
どこまでが情報でどこからが宣伝がわからなくなってくることがままある。
情報がない世界も大変だろうけれど
情報が溢れすぎている世界も
どの情報をゲットすべきか迷ってしまう。
結局は自分の経験と直感に頼るというのが
いちばんいいように思える。