ケンのブログ

日々の雑感や日記

秋の便り

2020年09月22日 | 日記
新聞を見ると21日に富士山で初冠雪があったと出ている。昨年より約一ヶ月早い冠雪という。
それぞれの場所に応じて刻々秋が深まって行くなと思う。

関西でも確かに日中蒸し暑いと思うこともあるけれど、もうこれからはだんだん服を重ねてきていく季節になっていくんだなというのはそれこそ肌で感じる。

街を歩いているともうことさらソーシャルディスタンスを気にして歩いている人は少ないように思う。

お店のレジの前にはソーシャルディスタンスを示すシールが貼ってある場合が多いからみんな意識するけれど。

先日京都市交響楽団の定期演奏会に行ったとき、客席の方は相変わらずソーシャルディスタンスをキープする座席配置になっていたけれど、ステージの方はもうフルオーケストラになっていた。

最初にスメタナの売られた花嫁序曲が演奏され、冒頭付近の譜割りの細かい音を弦楽器がきれいに演奏していくさまを聴いて、なんかちょっと夢心地というか久しぶりにフルオーケストラの音を聴く感慨に浸れた。

ヤナーチェクのシンフォニエッタを生演奏で初めて聴いた。ステージ後方の席に管楽器を配してファンファーレが奏でられ初めてこの曲を聴く感慨に浸った。

この曲は村上春樹さんの小説にちなんでジョージセルが指揮したバージョンがいっとき有名になって、僕もそれを買ったらなんか僕にとってはその演奏がしっくり来なくて、もいうち度CDショップに行ったら村上春樹さんの小説とは特に関係なくラファエルクーベリックの演奏が1000円前後の廉価で売っていてこれを買ってきて聴いたらしっくりきた記憶がある。

やはりクーベリックさんって僕にとってはすごい指揮者だなと思う。

もちろん京都市交響楽団の演奏も良かった。

20分の休憩を挟んで最後はドボルザークの交響曲、新世界からが演奏された。

演奏の前にクラリネットの奏者の方がステージに出てきて練習という感じでこの曲のクラリネットの主だった旋律を一通りさらってくださった。

ご本人はきっと演奏前のさいごの確認かなんかのつもりでやっておられるのだろうけれど、聞き手の側にとっては、そうかあの旋律はクラリネットのパートなんやという発見があってわりとありがたい。

演奏はなんというかスタンダードな感じの演奏だったように思う。
テンポがそれほど速いわけでなく、それゆえ、もう少し弦の音が重厚であればを思うこともあったけれど、まあいい演奏だった。

指揮はすべて広上淳一さんがされた。

本当に久しぶりにフルオーケストラを聞けて良かった。

これからは、クラシックのコンサートのように観客が声を出さないものに関しては客席のソーシャルディスタンスのキープも緩和されていくと言うことが新聞に出ていた。

それはありがたいことだと思うけれど、やはりまだマスク着用とか今までに比べるとちょっとコンサートに行くのに気分的に神経質になってしまうことは僕の場合否めないように思う。

だんだん気持ち的になれていきたいと思う。

いつまでもソーシャルティスタンスをキープするために座席の振り分け直しということをしていたら、オーケストラの事務員の方も大変だし、人件費がかさんでオーケストラの運営も苦しくなるだろうし、それは規制が緩和されればそれに越したことはないと思うのだけれど。

他方でカナダのケベックではコロナのためにまた、様々な催しの人数制限が復活すると新聞に出ていた。

本当に今度のコロナは世界的流行なので日本だけ規制が緩和したと喜んでいても外国からまたどんな影響が出てくるかわからないので先が見通しにくいなと思う。

だんだん良くなっていくことを祈りながら気をつけて辛抱していきたいと思う。

敬老の日

2020年09月22日 | 日記
今日は敬老の日ということだけれど、どんな催しが行われたのだろう。
新聞によれば65歳以上の人が日本の総人口に占める割合は過去最高の28.7%と出ている。女性に限れば31.6%が65歳以上、70歳以上の25.1%にのぼると出ている。

それは年金などで若い人にかかる負担が大きくなると言われるはずだと思う。

また、これほど人口にしめる高齢者の割合が大きくなると高齢者は敬老と言っていかに若者に敬ってもらうかよりも、自分自身が例えば仕事を退職したあとにいかに生きるかということも本当に真剣に考えなければならない時代になっているのだと思う。

何日か前に新聞を読んでいたら大学入試センター試験が今年からなくなるけれど、新しいテストも結局記述式はいろんな問題点があって実施が困難で、新テストも結局は従来のセンター試験とそんなに変わらないというような記事が出ていた。

まあ、そうなることはなんとなく予想がついたことのような気がするけれど。

教育改革というと新聞で決まって出てくる言葉は詰め込み教育からの脱却という言葉だ。

本当にこの言葉がよく出てくる。

それを見るたびに僕は詰め込み教育と言うけれど、逆に頭に何も詰まってない人が案外おおすぎるのではないかとおもってしまうことがある。

まあ、僕の頭もかなり空っぽではあるけれど、、、。

しかし、頭にある程度体系的な知識があればそれほどあたふたしたりしなくてすむところをそれがないばかりに、あたふたしたり、どうしたらいいかわからずに不安になってしまう場合も多いように感じる。

個々の知識で個々の場合に対応するという方法よりも、体系的な知識をもって個々の場合に対応したほうが、判断がよりゆるぎないものであったり、効率がよかったりする場合が多いように感じる。

一般的に年齢が上がると感性なども鈍くなるように思う。その他、鈍くなることがいろいろあるような気がする。

老後になったときのためにも学ぶべきことは学んでおいて損はないように思う。