ケンのブログ

日々の雑感や日記

四月二十一日

2018年04月21日 | 日記
岐阜の実家から大阪に戻ってきた。
本当に僕にとっては久しぶりに実家に帰ることができて
よかった。
これを機会にまた努力していきたいと思う。
実家から最寄りのバスターミナルまでタクシーで行った。
僕の故郷は今日がお祭りでタクシーの運転手のかたは
お祭りで通行止めになった表通りを避け
裏道を走ってくださった。
ここが○○町です。この町内は山のある町内です
という具合にいろいろと教えてくださった。
運転手の方の案内を聞きながら眺めていくと
神社の近くの町内がお祭りに熱心な傾向にあるように
思えてくる。
やはりお祭りは神様のお祭りなのだとしみじみと思う。 
「隣の町のお祭りは先週でしたが雨で中止でした。
ここの町のお祭りは晴れです。」と運転手の方が言った。
「そうですか。そういえばお祭りの雨天順延ってあまり聞きませんね」と僕は言った。
「そうです。神様は待ってくれませんのでね」と運転手の方は言った。
その発想いいなと思う。
神様を第一に思う気持ちが伝わってくる。
ただ、八王源先生のそのまた先生は
親はいつでも待っているという言葉を残しておられる。
しかし、金光さんはお祭りや縁日を機会に
神様を思い出すのはいいことという主旨のことを言っておられる。
どっちも本当なんだと思う。
岐阜駅で乗車券を購入。
販売機の前で目的地までの運賃はいくらかなと思ってボーッとしていると
女の人に「先に切符買っていいですか」と言われた。
「はい、どうぞ」と言った。
僕もおもむろに切符を買って改札をくぐった。
米原方面のホームはどこだと思っているとなかなかみつからない。
京都駅や大阪駅よりもはるかに小さい駅なのに。
一二分して京都や大阪駅ではホームの下と上の両方に
○○方面と書いてあるけれど岐阜駅はホームの上にしか
○○方面と書いてないことに気づく。
大阪駅の感覚で階段の登り口ばかり見ていたら
それは米原方面がみつからないと思った。
久しぶりの帰省で感覚が狂ってしまったのかもしれない。
結局播州赤穂行きの快速が来たので大垣や米原で
乗り換える必要はなく京都から各駅停車に乗り換えただけだった。
しかし、乗り換えはなくても米原をすぎると言葉が急に関西弁になってくる。
米原を過ぎてしばらくして二人のおばさんが電車に乗り込んできた。
乗り込むと二人のおばさんは優先座席の方に行った。
「ここ優先座席やん」と一人目のおばさんが言った。
それで他の席を二人はさがしかけたのだけれど
とっさのタイミングで
「もう私ら年やから優先座席でええやん」と二人目のおばさんが言った。
「そうやな」と一人目のおばさんが言った。
それで二人は優先座席に座り孫のはなし、年金の話
健康の話、などをずっと同じ勢いで一時間くらい続けていた。
よくそれだけ会話のラリーが続くなと思った。
大阪のマンションに帰ってくるとカスミソウの切り花がかさかさの
ドライフラワーになっていた。
ドライフラワーと言っても三月の始めに買ったときと同じくらいの
白さを保っている。
すごいなあと思う。