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ケンのブログ

日々の雑感

時代の流れ Lisaさんの紅蓮華

2022年09月02日 | 日記歌入り
数日前に 新聞で 運転中に スマホでゲームをしていて それが 死亡事故につながったという 記事が出ていた。

記事は その事故を教訓に ながらスマホを戒めるような内容だったと思う。

もっともな 話なのだけれど 僕が 運転免許を とりたてのころは 運転中に煙草に火をつけようと思って ちょっと 前方から 目を そらしただけで 自動車は その ちょっとの間に 何十メートルも進むから 気を付けなければ ということが よく言われた。

僕も その話は 教習所の 先生からも 聞いたし たまたま 乗った タクシーの乗務員の方が ヒヤッとした 実体験を交えて タバコの火をつけるために 目をそらしてはいけないと 僕に 教えてくれたことがある。

前方不注意の主たる原因が たばこから スマホへと 時代も 変わったものだなと思う。

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ゴルバチョフさんが亡くなられたと新聞に出ている。

晩年のお顔を見ると ソ連の指導者だったころとは 別人のようなお顔になってしまっていて あるいは 身体的にも 精神的にも 大きな ご苦労があったのでは と思ってしまう。

けれど 冷戦終結の時の ゴルバチョフさんの顔は 素敵で 輝いているな と思う。

1989年 冷戦終結の時 ゴルバチョフさんは ソ連の 指導者で 輝いておられた そのことを たぶん 人類は わすれないのではないかと思う。

たとえ その 冷戦終結が ソ連の崩壊から 今日の 状況につながったとしても、、、。

1989年の ゴルバチョフさんを 人類は わすれない 。

そういうものだと思う。

中島みゆきさんの 時代という歌の歌詞に 

「まわる まわるよ 時代は まわる 喜び 悲しみ 繰り返し」という一節があるけれど 本当に その通りだなと思う。

デビュー曲で こんな 普遍的な 歌詞を 書いてしまうなんで みゆきさんは やはり 違う星から来た人なのかな と 時々 思ってしまう。

1989年 バーンスタインが ベルリンの壁崩壊と 冷戦終結を記念して 第九を演奏した年でもある。

その時の 動画 がネットを見たら出てきた。

と言っても 第四楽章の テーマを合唱団が高らかに 歌うところと 同じく 楽章後半で 合唱団が 二重フーガを 高らかに 歌うところだけを 抜粋した動画だけれど。

ただ、そこを見ただけで それが 指揮者とオーケストラ そして合唱団にとって渾身の演奏であることは十分に伝わってくる。

本当に そういう 時代の 波の中に いた人は 輝いているな と思う。

悲しみとともに そういう 輝きも 心に とめておきたいと思う。

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読売新聞の 文化欄で 「過剰可視化社会」という書籍を紹介する文章の中で 著者の奥那覇潤 さんを取材した言葉として 次のように書かれている。

「親ガチャ という言葉が一部で流行った。 自分の人生がダメだと思っているときに それは 親ガチャにはずれたから仕方がない と考えたほうが楽だという発想がある。
あらゆることが 最初から決まっていてほしいという 発想が高まっている」と。

これは 可視化という文脈の中での言葉なので たぶん あらゆることが 最初から 決まっていた方が 見えやすい という発想の流れの中で この 親ガチャの例が出てきていると思う。

さて、この 親ガチャの 発想は 金光さんの この言葉と とても よく似ているなと思う。

「人間は 生まれたときに 証文を書いてきているようなものである。生まれたときにお悔みを言いに行ってもよいくらいのものである。どういう災難があるとか こういう不幸があるとかは 決まっているのである。神はよく ご承知なのである。 信心を強くすれば 大難は小難にしてくださり 小難は御取り払いくださる。 それがお繰り合わせをいただくということである」と。(金光教教典抄より引用)

親ガチャで 決まっている という考え方に 神様の 支配 という考えを 加味すれば それは 金光教や あるいは キリスト教の考え方に 近いものになることに気づく。

キリスト教も たとえば 聖書には 「あなたの髪の毛までも数えられている」という記述もあり 神の支配 という考え方が 強い。

金光教も 神道の 一派ではあるけれど 神の支配というか 神様は お見通し という考え方が 強く見られる。

お見通し といえば 過剰可視化社会の 著者がしめしておられるような 可視化 ということにも 通じるわけだし。

今の 時代の 考え方に 神様への 信心 ということを 加えると 案外 悟りも ちかいのかもしれない と思う。

そういう 神 というような 目に見えないものへの 畏敬がなくなっていることが現代の問題なのだと思う。

なにしろ 過剰可視化社会なのだから、、、。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に すごせますように それを 第一に願っていきたい。

■紅蓮華
Lisaさんの「紅蓮華」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

岐阜県関市の街に 祝Lisa紅白出場 などという 横断幕を よく 見かけたので 尋ねてみると Lisaさんは 僕と 同じ 岐阜県関市の出身とのことでした。
学校の参観日などで後ろ姿を見ると やはり ちょっと目立っていた という声を聴いたこともあります。

歌詞の中で 「咲き誇れ」という言葉が出てきます。

僕のように 花を散るということに結び付けて 考える習慣のものには ちょっと違和感を覚える 言葉ですが これも 時代の流れでしょうか。

歌詞に 「逸材の花より 挑み続けて咲いた一輪が美しい」とあります。

しかし、挑み続けることができるというのは すなわち 逸材ということではないでしょうか。

ちょっと へんてこな 対比であるようにも思えます。

今 話題の イチローさんも テレビの女性に 努力か 才能か という質問を受けたときに そもそも 才能のない人は努力しません という主旨のことを言っておられたと思います。

まあ、そういう 疑問はともかくとして 高速リズムの歌を 歌うことは ちょっとした快感ではあります。

僕にとっては ほとんど ろれつのまわらない 早口言葉の領域でもあります。

Lisaさんの「紅蓮華」をカラオケDAMの音源で歌いました。





名古屋フィルハーモニー演奏会に行く 

2022年08月31日 | 日記歌入り
8月29日は 愛知県芸術劇場コンサートホールに 名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きに行った。

指揮は小林研一郎さん

大阪にいるころ 小林研一郎さんは 毎年8月に 未完成 運命 新世界より の3つの交響曲を一晩で演奏する 三大交響曲の夕べ という特別演奏会を開いておられた。

在阪中に 何度か この演奏会にはいった。

同じ プログラムでも リピートして行きたくなるような内容だったと記憶している。

さて、最初に演奏されたのは 
小山 実稚恵さんのピアノで ベートーヴェンの ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」

生演奏で 視覚を伴う状況で聴いていると オーケストラの部分は 結構 木管楽器が しみじみと 歌う場面も多いんだなと感じる。

小林研一郎さんは よく チラシに 炎のコバケン と書いてあって 実際に 情熱的な演奏が多かったけれど 皇帝は 割とマイルドな 感じの 演奏だなと思った。

小山 実稚恵さんのピアノは 炎の小山 という感じの演奏ではないので それにつられたということが大きいのではと思った。

小山 実稚恵に関しては 大阪にいるころ いずみホールにベートーヴェンのピアノソナタを演奏するリサイタルに 何度か 足を運んだ。

その時に 僕が 小山さんのベートーヴェンは こんな感じ と思って 心に抱いていたイメージと 小山さんの 皇帝の演奏は どこか かぶるところがあったので いずみホールで聴いた実稚恵さんのベートーヴェンの体験が心によみがえるようで それは 個人的にはちょっとうれしいことだった。

第二楽章を聴いているときに いやあ 生で聴くと これは 壮大な ロマンツェだなと思った。

それで 思い出したのだけれど 第一楽章も これまでは エネルギッシュな音楽だと思っていたけれど しみじみと 心が安らぐ場面も多いのだなあと 感じた。

この曲は 第二楽章から 第三楽章が切れ目なく 演奏される。

第二楽章の終わり(たぶん)でピアノが 第三楽章のメインテーマの 断片を ちょっと 出して それから 一気に 快活なリズムの 第三楽章に突入していく。

小山 実稚恵さんの演奏 この 第三楽章に入るところ うまく決まったと思った。

きっと、実稚恵さんも それに 満足されたのだと思う。 ピアノに続いて オーケストラがこの快活なテーマを演奏するところでは 上半身をスイングさせて 自ら オーケストラを指揮しておられるような感じだった。

実稚恵さんの その うれしそうというか 満足そうな さまを見て いかにも 実稚恵さんらしいな と思った。

あの うれしそうな しぐさを 見るだけで コンサートに来て よかったと思ってしまう。

アンコールに 小林研一郎さんに促されて エリーゼのために を演奏されたけれど これも とても 丁寧な 演奏で 感激した。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが 
ブラームス 交響曲第1番 

第一楽章で ティンパニーが 指揮者の正面に陣取っていたので よく目に入った。

冒頭のところで ティンパニーの響きが 耳に入ってきたので そこに目をやると ティンパニー奏者の方が 二台のティンパニーを 左右同時にたたいておられた。

ふだん あまり ティンパニーの方を見てないせいもあるのかもしれないけれど あんな たたき方 初めて見た と思った。

そうか ブラームス交響曲第一番 第一楽章の ティンパニーは あんな風にたたくんか とちょっと感激してしまった。

それで 家に帰ってきて ユーチューブで ブラームス一番の 動画をいくつか 見てみた。

1975年に カールベームさんが ウィーンフィルと来日されたときの動画では 一台のティンパニーを左右の腕で 交互にたたいておられる。

僕には これが 見慣れた光景に思える。

ところが 洗足学園大学の 動画を見ると やはり 二台のティンパニーを 同時にたたいている。

これが 最近の 傾向なのか それとも いろんな たたき方があるのか。

そのあたりは 僕は楽器の演奏には 疎いのでわからない。

ただ、第一楽章は ティンパニーが 演奏の印象を形成するのに とても 大きな役割の担っていることは 間違いないと思った。

ベームさんの演奏の ティンパニーのたたき方は 晩年の ベームさんの 何とも言えない 力の抜け感 にうまくマッチしているように思うし。

二台 同時にならす 力強い 感じも また いいし。

しかし 小林研一郎さんの 第一楽章の 指揮が 力強かったかというと これが また何とも言えない印象だった。

炎のコバケンを思っていたけれど 意外と マイルドやん と思う場面も多かった。

小林研一郎さんも 80歳を過ぎて 円熟の境地か それとも 年齢からくる 衰えか いったいどちらだろう と思っているうちに 演奏が どんどん 進んで行ってしまった。

僕は これまで 名古屋フィルは 定期演奏会しか 行ったことがない。

8月29日のような 特別演奏会だと 定期演奏会とは ちょっと お客さんの層が違うように感じることもあった。

なんというか 普段 音楽を 聴きなれていない人が 観客に占める パーセンテージが高いというか、、、。

そんな ことを 考えて ちょっと気が 散った側面もあるかもしれない。

ただ、 演奏会というのは 演奏者と 聴衆の 両方があって 初めて成り立つものだし 演奏会の 印象は 演奏者だけで決まるものではなく 演奏者と 聴衆の 双方が生み出すものだということを 自分なりに 思い知ることになった。

あれこれと 考えているうちに 演奏が どんどん進んで行って 気づいたら終わっているという感じだったこともいなめない。

しかし ブラームスの一番も 木管楽器の使い方は 味わいがあっていいな と思った。

もちろん 金管楽器も 素晴らしかったけれど。

帰りは 40分くらいかけて 名古屋駅まで歩いた。

コンサートの帰りに 歩いているうちに 少しずつだけれど 名古屋にも慣れてきている気がする。

それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを 第一に願っていきたい。

■風立ちぬ
松田聖子さんの「風立ちぬ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

詞にもメロディにも そして 聖子さんの歌い方にも 何とも言えないムードがあって好きな歌です。

大瀧詠一さんの作曲 松本隆さんの作詞です。


↓松田聖子さんの「風立ちぬ」をカラオケDAMの音源で歌いました。









 


高校野球女子チーム 胸いっぱいの悲しみ

2022年08月28日 | 日記歌入り
8月27日付の読売新聞に イチローさんが自分の選抜チームと 高校野球女子選抜チームと試合をするという記事が出ている。

試合は11月3日 東京ドームで行われると出ている。

昨年 イチローさんが高校野球女子選抜チームと神戸のスタジアムで試合をしたことは 報道で知っていた。

それで、 高校野球女子選抜チームと 真剣に 野球をすることにとりくむというのは なんとなく いかにもイチローさんらしい気がする。

ちょっと あの人は 異次元の人なので、、、。

イチローさんが神戸のスタジアムで試合をしたときに 女子の高校野球選手が イチローさんに 「打席に入るときに 気持ちがあたふたしてしまうことが あると 思うけれど どうすればいいか」 という主旨の質問をする ビデオがネットに出ている。

イチローさんは レベルの高い質問ですね と前置きして 自分が2009年のWBCで決勝タイムリーを打った 場面のことを振り返りながら 具体的に あの時はこうだった。 という話をしておられる。

もちろん イチローさんは 具体的な話をした後に 一般的に まとめることもしておられるのだけれど 2009年のWBCの場面の話が かなり 詳細なものなので 一般論の話は 記憶にあまり のこらないし ある意味 一般論など どうでもいいと思えてきてしまう。

作家の 村上春樹さんが ある 小説で 「一般論では我々はどこにも行けない」という主旨のことを書いておられたことを思い出した。

でも あの 2009年の イチローさんの 決勝タイムリー。 もう 13年前のことだけれど 打球が幻想的なカーブを描いて ピッチャーの右側を通過して センター前に抜けて行った光景は テレビ画面を通じてのものだけれど 僕の記憶にもあざやかに残っている。

YouTubeでその場面を再生してみたけれど ああいうときの 記憶というのは かなり 正確に脳裏に残っているものなのだなと思った。

2009年のWBCでイチローさんが打席に入った場面の話を聞きながら 女子選手の多くが泣いていた。

そういう 共感を示す子が 多いことが イチローさんが 女子野球の指導に興味を示した 一因かもしれない。

もちろん それ以上に イチローさんがプロの視点から 女子野球の実際を見て 指導したいと思われた ということが大きいとは思うけれど、、、。

それは ともかく 一日 いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。

■胸いっぱいの悲しみ
沢田研二さんの「胸いっぱいの悲しみ」をカラオケDAMの音源で歌い簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

沢田研二さんの歌の中で 最も 好きなものの一つです。

加瀬邦彦さん作曲 安井かずみさん作詞です。

↓沢田研二さんの「胸いっぱいの悲しみ」をカラオケDAMの音源で歌いました。






Hire comes the sun. あいつと私

2022年08月25日 | 日記歌入り
昨日 お店で ビートルズの hire comes the sun が楽器のみの演奏で 流れていた。

調べると ジョージハリスンの作曲となっている。

歌詞は そのタイトルの通り 「太陽が照ってきた みんなの笑顔が戻ってきた」 というような内容のものになっている。

ハリスンの曲 独特の 透明感があって お店のスピーカーからそれが流れたとき なんだかいいなと思った。

歌詞も 僕が 上記で紹介した アウトラインは だいたい 知っていたので 何かと 明るさに欠ける 今というときに ふさわしい曲だなと思った。

その ジョージハリスンも もう この世を去っている。

それで ついでに調べると ポールマッカートニーは 今年の6月で80歳。

そんなに なるのかと 思う。

ちょっと 信じられない気持ち。

僕も 今 60歳で もう ポールマッカートニーと比べても 8分の6 = 4分の3 生きたことになる。

そう 考えると 誰にとっても 人生 速いし できるうちに できることは やっておきたいな と思う。

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速い と書いて 思い出したけれど 先日 道路を走っていたら 車体の低い自動車が僕の前を走っていて テールのところに 凝った書体の文字で
「ポンコツにつき 早く 走れません」と書いてあった。

「早く」 は 「速く」 の誤りだろうと 思ったけれど 本当に間違えているのか 受けを狙ってわざと 間違えているのか 結構 真面目に考えてしまった。

考えて答えの出ることではないし 運転している 本人に 質問したら 場合によっては 喧嘩を売っていると思われてしまうし、、、。

まあ、 わざと 間違えているのか そうでないのか どちらだろうと 想像している方が面白いと思った。

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読売新聞に しんどさに 対処する 知恵のようなものを書いた コラムが 最近 連載されている。

何日か前に 作家の金原ひとみ さんの コラムが 出ていて その中に 「同じ状態がいつまでも続くわけではないと考えるのが大切」という主旨のことが書かれていた。

同じ 状態が いつまでも 続くわけではないことを 諸行無常というけれど 金原ひとみさんの 言葉を読んでいて 諸行無常も しんどい状態が いつまでも 続くわけではない とかんがえれば 励みになるなと 思った。

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谷崎潤一郎賞に 作家の 吉本ばなな さんの 「ミトンとふびん」が選ばれたと新聞に出ている。

吉本ばななさんも もう58歳と 出ている。 そして 新聞に 掲載された 吉本ばなな さんの近影は いつのまにか お父さんの 吉本隆明さんに そっくりに なっている。

若いころは そんなに 感じなくても 年齢を 経ると 親に そっくりに なってくる人って 案外 多いな と思う。

それは 容姿の 面でも そうだし 言葉遣いとか 考え方とか そういうものが 年齢とともに いつのまにか 親に 似ていた という側面もあると思う。
 
千昌夫さんのある歌の歌詞に
「親父みてえなよ 酒飲みなどに ならぬつもりが なっていた」というくだりがあったと記憶しているけれど 親の 習慣が いつのまにか 自分のものになっている ということが 結構あると思う。

できれば 親の いいところを 受け継いで いければと 思うのだけれど。

それは ともかく 一日 いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。

■あいつと私
舟木一夫さんの「あいつと私」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

昭和42年 日本テレビのドラマ「あいつと私」の主題歌です。

当時 母の 弟や妹(叔父や叔母)と一緒に住んでいたので 家には 舟木一夫の ドーナッツ板のレコードがかなりありました。

その中で 「あいつと私」は最も好きな歌のひとつでした。

高度成長期 という世相を反映してか 明るい歌だと思います。

個人的には 西郷輝彦さん 橋幸夫さん 舟木一夫さん いわゆる 御三家の 三人の中で 舟木一夫さんの歌が一番好きです。

↓舟木一夫さんの「あいつと私」をカラオケDAMの音源で歌いました。






AOKIの事件 柳ケ瀬ブルース

2022年08月23日 | 日記歌入り
ここ何日か新聞はAOKIと高橋容疑者を中心とする東京五輪の汚職事件の話題が中心になっている。

記事を読むと AOKIから高橋容疑者に依頼したことと 結果として実現したことの間に 因果関係があると考えるのが普通だろうと思えてきてしまう。

もちろん 裁判の結果がどうなるかということは 僕にはとてもわからないけれど。

AOKI という看板は 結構見かけるので それを見るたびに お店の業績はどうなっているだろうと思ってしまう。

ロッキード事件のように いろいろな 登場人物や 組織がある という事件より話がシンプルでわかりやすいようにも思う。

たぶん 贈賄側も 収賄側も こういう お金のやり取りは 必要悪だ というような 気のゆるみがあったようにも思えてくる。

新聞の 高橋容疑者と 青木容疑者の写真を見ると 時代劇の お代官様と お代官様にお慈悲をこう 商人の関係のようにも思えてくる。

新聞も そんな感じに見える 写真を 選んで載せているのかもしれない。

こんなことがあると オリンピックと言ってもなんだか 白けた印象になってしまう。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

■柳ケ瀬ブルース
美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

柳ケ瀬ブルースは あまり 興味がありませんでしたが 故郷の岐阜に 戻ってきて 聴いてみると いい歌だなあと 思いました。

数ある ご当地ソングの中でも 元祖的存在 かつ もっとも ヒットした歌の一つだそうです。

雰囲気のある 歌だなあと思って調べてみると 作詞作曲の 宇佐英雄さんは 実際に柳ケ瀬で この歌の 流しを されていたそうです。

なるほどと 思いました。

こういう 低音の歌って今は減ったなと思います。

そして 低音の魅力と言えば フランク永井さんとか 水原弘さんのことだと思っていましたが 美川憲一さんの 低音は それらの人に比べても 声量が すごいということに気づきました。

美川憲一さんは 僕にとっては おねえキャラで テレビに出ている という印象が強かったですが 歌が すごく うまいということに気づきました。

↓美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」をカラオケDAMの音源で歌いました。