芹沢光治良の小説「人間の運命」の主人公、森次郎は中学生の時、肋膜を患い、周りの大人から、そういう患いが起きるのは中学をやめて天理教の教師になれという神様からのお知らせだというように説得される。そのことに対して次郎はそれはちがうと敢然と反抗する。そしてこういう
「僕は誰がなんと言おうと自分の信念通り(中学へ)通学を続けます。それが神の意思に反するのならば、僕の息の根をとめるでしょう。しかたありません。僕は死んでもいいです」と。
金光さんがままよという気持ちとは死んでもままよのことであると言っておられるけれど本当に次郎の言葉はそれを地で行くような言葉だなと思う。
ところが次郎は一高に入学して兄から天理教の信仰から足を洗うように勧められたときはこのように答えている。
「でも、僕ねえ、急いで信仰のことには自分で答案を出さないでおこうと思ってます。天理教のことだって、自然発生的に小さい時から知っていただけで、僕の知った天理教がほんとうの教えかどうかもわかんないでしょう?沼津の髭の会長や岳東の会長の言うことやすることだって、支離滅裂で、どこまでが本当の信仰か・・・それに、僕はキリスト教も知りたいんです。そのうえで信仰を卒業するなら、したいなあ。それまでは無視しているつもりです」と。
本当に直感的に自分には受け入れられないと思ったことには死んでもいいと敢然と反抗し、自分にとって疑問点の残ることについては慎重に判断を保留する。
とても賢くて、気力があって、真摯な態度であるなと思う。真摯な態度をとることの大切さを改めて教えられるような気がする。
また、直感と理性とのバランスがとれた知性であることに改めて驚きの念を覚える。