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【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「花の命はノー・フューチャー」ブレディみかこ

2018年06月20日 20時33分56秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「花の命はノー・フューチャー」ブレディみかこ

初期の作品。
英国ブライトンでの日々が綴られている。
まだ保育師になる前の話。

P123
そもそも、最も気持ちが落ち込む時というのは、他人が気に入らんとか、他人にどういう事をされたとか、そういう時ではない。自分に対して絶望した時である。自分という存在の無能さやくだらなさを改めて認識し、それに向き合うことが極めて困難な時である。

P199
そもそも、子供には人生における挫折の経験がない。(中略)駄目で無能なのはわたし自身だ。自分の責任である。という動かし難い真実に直面したことがないのだ。
 だから、子供には他人の痛みとか、他人と自分の間には一定の距離が必要であるとかいう常識が、さっぱりわからない。

【おまけ】
全編に、『ピストルズ・愛』、が満ちている。
私も学生の時によく聴いた。
今もレコードを持っているが、プレイヤーがない。
どこかにCDもあるはずだが、見つからない。
しかたがないので図書館に予約を入れた。
 

【ネット上の紹介】
絶版だった名著に、新たな書き下ろし、未収録原稿を約200頁も加えた最強版!移民、パンク、LGBT、貧困層…地べたからの視点から“壊れた英国”をスカッとした笑いと、抑えがたい抒情ともに描く。「花の命は…苦しきことのみ」の言葉とともに渡った英国ブライトンで、アイリッシュの連合いと過ごす、酒とパンクロックの日々。
第1章 日々の泡編(花の命はノー・フューチャー
DSSオフィス ほか)
第2章 ジョン・ライドン編(ジョン・ライドン 再考して再興とあらば最高論
No Irish,No Blacks,No Dogs レノン、ライドン、ギャラガー兄弟の系譜 ほか)
第3章 アナーキー・イン・ザ・パブ(未収録エッセイ)(物凄く暗い気持ちになったら
国辱電車 ほか)
第4章 10 Years after(書き下ろし+α)(恋愛とPC
二日酔いのベテラン ほか)


「シズコさん」佐野洋子

2018年06月06日 20時59分54秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「シズコさん」佐野洋子

2008年4月に新潮社から刊行された作品。
シズコさんとは、著者の母親のこと。
母との確執、自責、贖罪、和解を描いている。
佐野洋子作品のなかでもっとも重要な作品、と感じた。

P7
四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手にいれた瞬間、チッと舌打ちして私の手をふりはらった。私はその時、二度と手をつながないと決意した。

P10
自分の家、父さんが死んだあと自分で建てた家をたった一人の息子の嫁に追い出されて来てたのだ。

P21
女の一生は、見栄と自慢を心棒にして、互いにそしらぬ顔をして社交するものなのだろうか。

晩年、著者は母を連れてヨーロッパ旅行に行く。
P32
終点はパリだった。ホテルはリッツだった。リッツは日本人のバスは裏口から入れるときいていたが本当だった。(リッツって、金は欲しいけど、日本人は泊めたくないんでしょうね)

P69
多分同じ自分の子でも合性のいい子と悪い子がいるのだろう。始めから合性が悪かったのだ。

P75
母は人に質問したり子供の話を聞いたりしなかった。命令だけした。その指令が母の希望通りにならないと凶暴になった。

P154
私は母を好きになれないという自責の念から解放された事はなかった。18で東京に出て来てからずっと、家で母に優しく出来ない時も一瞬も自責は私の底を切れる事のない流れだった。罪であるとも思った。

P166
民主主義は忍耐も従順もうばった。家族という一つの丸かった団子が、小さな団子に分裂した様になってしまった。

P178
家族とは非情な集団である。
他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。

P217
神様、私はゆるされたのですか。
神様にゆるされるより、自分にゆるされる方がずっと難しい事だった。

【おまけ】…「夕暮れへ」齋藤なずなより

「あの人いくつになっても女、やめたくなかったのよ!そういう母親もった娘って――
マンガ描いたり文章書いちゃったりするみたいね とかく」
「佐野洋子さんも嫌ってたんですよね お母さんのことすっごく」
「誰?」
「『百万回生きた猫』っていう絵本描いた人 有名よ」
「ふーん…」
「でも、洋子さんは最後に涙の和解するのよね ボケてすっかり可愛いおバァちゃんになっちゃった母親と」

【ネット上の紹介】
四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが―。母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。


「死ぬ気まんまん」佐野洋子

2018年06月03日 20時48分10秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「死ぬ気まんまん」佐野洋子

佐野洋子さんは、2010年11月に亡くなられた。
本書は、次の2編からなる。
「死ぬ気まんまん」小説宝石2008年5-7月号
「知らなかった」婦人公論1998年10月22日号~11月7日号
単行本は、死後の2011年6月、光文社から刊行。

P72
 金持ちは金を自慢するが、貧乏人は貧乏を自慢する。
 みんな自慢しなければ生きていけないんだな。
 夕食の時の訓示にもう一つあった。
「一番大事なものは金で買えない」
 私にとって一番大事なものは何だったのだろう。
「情」というものだったような気がする。

P106
ただ息をしていればいいのかというと、人生の質というものもあるじゃないですか。それを、何よりも命が大事だというのはおかしいですね。

P61
私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気だったね、偉かったね」と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。
 死んで棺桶に入ったら、棺桶の小窓から、死んだこの顔をみんな見るのかと思うと気が滅入る。

【ネット上の紹介】
ガンが転移し余命二年を宣告されながらも、煙草を吸い、ジャガーを贈入し、ジュリーにときめく。そんな日常生活や、一風変わった友人たち、幼い頃の思い出などが、著者ならではの視点で語られる(表題エッセー「死ぬ気まんまん」)。併せて主治医との対談や、関川夏央氏による「『旅先』の人」などを収録。著者の思いがいっぱいに詰まった魅力的なエッセー集。

「私の息子はサルだった 」佐野洋子

2018年05月17日 21時08分24秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「私の息子はサルだった 」佐野洋子

佐野洋子さんの死後、発表された作品。
著者の観察眼が冴える一冊だ。
あとがきは息子さんが書かれている。
書く側と書かれる側、どちらも言い分がある。

P122
息子が六歳の時、クラスに好きな女の子がいた。幼い息子は女の子が遊びに来ても、興奮してはしゃぎ回って、そうぞうしくとび回るだけだった。女の子は、大人っぽく「いやーあね」とまゆをひそめて笑っていた。彼は、彼女をよろこばせるすべを何も持っていなかった。興奮のひとときが過ぎて、気の抜けたような夕食の時、彼は私に言った。
「ママ知っている、さっき××ちゃん、ベランダからじっと外を見ていたんだよ。ずっとだよ。××ちゃん、何を考えていたのかなあ」
 サルのようにおたけびを上げていた彼は、彼女をずっと見守り続けていたのだ。自分でないものが、何を考えているのかと自分に問うていたことを知って、私は彼を一人の人間として信頼したいと思った。
 もし彼が大人になった時、彼が愛する者を理解しようと努めるだろうと信じたかった。

【蛇足】
以前、他に1冊だけ子育てエッセイを読んだことがある。
田丸公美子さんの「シモネッタのドラゴン姥桜」だ。
開成→東大→弁護士と歩んだ息子の話。
こういう優秀さ、ってどうなんだろう?
遺伝+それなりの環境があればOKのように感じる。
努力でなんとかなるという「神話」にすがりたい思いもあるが、
いかんともしがたいものがあるのも事実だ。
文春文庫<br> シモネッタのドラゴン姥桜 
「シモネッタのドラゴン姥桜」田丸公美子

【ネット上の紹介】
何でもやってくれ。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい―。本を読んで、お話をして、とせがんだ幼い息子。好きな女の子が「何考えていたのかなあ」と想像する小学生の息子。中学生になり、父親を亡くした親友に接する息子…。著者は自らの子を不思議な生き物のように観察し、成長していく姿に驚きつつ慈しむ。没後発見された原稿を集めた、心あたたまる物語エッセイ。


「神も仏もありませぬ」佐野洋子

2018年05月02日 19時39分33秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「神も仏もありませぬ」佐野洋子

佐野洋子さんのエッセイ。

P36
ある日、おじいちゃんが、「体をふいてくれ」と突然云ったので、何だろう、不思議だなと思って、体をきれいにふいてやった。ふだんと変わりは何もなかったそうだ。しばらくすると、「何かスカッとするもの」と云ったので、吸い口にサイダーを入れて飲ませた。それからすぐ、ヒクッとしてそのまま死んでしまったそうだ。
「自分で湯灌して、末期の水も飲んで大往生で、すごいだろう」。まるで、どこかの民話の様ではないか。


P102
別の友人は、徘徊する母親の腕と自分の腕とをひもでまきつけて、何年も看護をし、あびる様に酒を飲んでいた。そして母の通夜の晩、脳出血で自分も死んでしまった。その時も私は感想を持てなかった。どんな感想も言葉もその事実の前に無力だった。

解説をニコニコ堂の店主・長嶋康郎さんが書かれている。(つげ義春さんの「無能の人」のモデルと言われている)
古道具屋さんである。いろいろエピソードが書かれている。(P158)
それもおもしろいんだけど、注目すべきはその息子さんが芥川賞作家・長嶋有さん、ということ。更に言うと、ブルボン小林氏と同一人物である。(知ってた?)

P164
「表紙を絵描いてくれますか」と云うではないか。「うそーっ、私でいいの」。私はうれしくて仕方なかった。本になったら、なんと芥川賞をもらってしまった。

【参考リンク】
「マンガホニャララ」ブルボン小林


【ネット上の紹介】
呆けてしまった母の姿に、分からないからこその呆然とした実存そのものの不安と恐怖を感じ、癌になった愛猫フネの、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるみ、その静寂さの前に恥じる。生きるって何だろう。北軽井沢の春に、腹の底から踊り狂うように嬉しくなり、土に暮らす友と語りあう。いつ死んでもいい、でも今日でなくていい。
これはペテンか?
ありがたい
今日でなくてもいい
虹を見ながら死ね
声は腹から出せ
フツーに死ぬ
そういう事か
それは、それはね
そうならいいけど
納屋、納屋
フツーじゃない
じゃ、どうする
何も知らなかった
山のデパートホソカワ
出来ます
他人のウサギ
謎の人物「ハヤシさん」
金で買う
あとがきにかえて


「わたしが妹だったとき,こども」佐野洋子

2018年04月26日 19時46分34秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「わたしが妹だったとき,こども」佐野洋子

北京で過ごした幼い日々を描いた童話と エッセイ。

文庫本あとがきより
P267
子供はその日その日しか生きていない。先のことを心配するにしても、せいぜい、親にばれるまでの時間でしかない。想像する源の経験が絶対的に不足しているからである。だから大人の方が、ずっと思いわずらうことが多く不安も絶望も盛り沢山である。
 にもかかわらず、子供の時の気持ちを思い出すとどっと疲れる。経験の不足はその時その時をそれ一筋にかかり切るのである。それが一瞬のことであってもそれにしか、かかり切る事しかなすすべがないというのはつらいことであった。めいっぱいそのことにいのちがついやされていったのだ。大人になってそんな事は出来ない。あれこれわき道が用意されていて、大人は大人の右往左往があるのだ。

【ネット上の紹介】
わたしとお兄さんは、だれよりも気の合う遊びなかまでした。わたしに弟ができ、また弟ができたのに、いつもお兄さんとばかり遊んでいました。お兄さんが、ある日、遠くへいってしまうまで―。幼くして亡くなった兄と、妹だった「わたし」の日々を絵と文で綴った、珠玉の短篇童話集。北京で過ごした幼い日々を回想したエッセイ「こども」を併録。
わたしが妹だったとき(はしか
きつね
かんらん車
しか
汽車)
こども


「問題があります」佐野洋子

2018年04月17日 21時17分52秒 | 読書(エッセイ&コラム)

「問題があります」佐野洋子

佐野洋子さんと聞いて、すぐピンとくるのは、絵本好きな方でしょう。
「百万回生きたねこ」の著者として有名。
絵本作家としか認識してなかったが、大間違い。
味のある文章で感心した。

それもそのはず、相当な読書家で、様々な経験も積んでいる。
1938年北京に生まれ、その後、引き揚げ。
武蔵野美大に学び、後に谷川俊太郎氏と結婚、その後、離婚。
母とはずっと確執があったが、母が認知症になって、和解。

P34
一昨年の夏、93歳で母が死んだ。
死ぬまでの十年以上、痴呆だった。
正気の母親と私は、実に折り合いが悪く、母を好きだったことはなかった。
死んだ人は皆いい人である。

惚けてからの母と著者の会話
P79
「ねえ、母さん、私もうくたびれたよ。母さんもくたびれたよね。一緒に天国に行こうか。天国はどこにあるんだろ」。
 母は言った。「あら、わりとそのへんにあるみたいよ」。

P47
書籍には、間違いなく人類の知恵がつまっているものであるが、同時に毒も盛られているのである。本から離れられない人間は、その毒に魂を吸われているのである。

P98
芸術と信仰ほど、水と油の様に反発するものはないと私は思っている。芸術とは、捨てるに捨てられない自我が生むものである。信仰とは自我を捨てるものではないか。
 芸術は大きな真実と大きな嘘を含むものである。
 そして表現されたものは残り、人間は死ねばその人間性もほろびる。才能と人格はその才能が大きければ大きい程無関係のような気がする。

枕草子と源氏物語の比較をしている
P114
源氏はあまたの女に情けをかけながら1人として幸せにしていない。若紫も嫉妬に苦しんでみじかい生涯を終えた。

P166
夫婦は中からは容易に破れるが、外からつっついて壊そうとしても決して壊れないものである。
妻子持ちの男と不倫をするお姉ちゃん、やめときなさい。骨折り損です。
多分それは、愛ではなく情だからである。愛は年月とともに消えるが、情は年月と共にしぶとくなるのである。
夫婦とは多分愛が情に変質した時から始まるのである。情とは多分習慣から生まれるもので、生活は習慣である。
離婚した友人夫婦が、何年かして、ある結婚式で、顔を合わせた。式が終わった時、もと亭主が、もと女房に「おい、帰るぞ」とつい言ってしまい、もと女房も「はいはい」とあとをついて行ってしまったそうである。
私は二度目の亭主に、前の亭主の名前で呼びかけてしまうことがあった。


手元にある絵本を読み返した。
やはり良かった。
他の作品も読んでみたくなった。

【ネット上の紹介】
中国で迎えた終戦の記憶から極貧の美大生時代まで、夫婦の恐るべき実像から楽しい本の話、嘘みたいな「或る女」の肖像まで。愛と笑いがたっぷりつまった極上のエッセー集。

1(薬はおいしい
お月さま
「問題があります」まで ほか)
2(大いなる母
いま、ここに居ない良寛
子どもと共に生きる目 ほか)
3(北軽井沢、驚き喜びそしてタダ
幸せまみれ
役に立ちたい ほか)
4 特別附録(或る女)


「歌川広重東海道五拾三次 保永堂版」歌川広重/佐々木守俊/解説

2018年03月23日 20時23分28秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「歌川広重東海道五拾三次 保永堂版」歌川広重/佐々木守俊/解説

「東海道五拾三次」を解説した作品。

右は比丘尼の二人連れです。そもそも比丘尼とは女性の僧侶をいいますが、熊野信仰を広めるために諸国を巡った熊野比丘尼のように、絵解きをしたり歌を歌う者が現れ、芸人としての性格を強めてゆきました。柄杓を持つのは、布施を受け取るためです。

瞽女は豪雪地帯の職業というイメージがあり、特に新潟県では現代もその伝統が受け継がれていますが、江戸時代には全国で活躍していました。諸藩は福祉政策の一環として瞽女を保護し、領内を巡歴させました。瞽女は二、三人で連れ立って歩くのが普通で、広重も三人の瞽女が寄り添って歩くさまを描いています。

【ネット上の紹介】
揃い55図全点の見どころを、原寸を超えるスーパー・クローズアップで紹介する広重の「東海道五拾三次」初めての試み。
日本橋 朝之景―なぜ日本橋は正面を向いているのか?
品川 日之出―大名行列に土下座しなくて大丈夫?
川崎 六郷渡舟―視線をみちびく構図の仕掛けとは?
神奈川 台之景―自然と人物、ほかにどんな対比が?
保土ヶ谷 新町橋―橋の向こうの旅人たちが意味するものは?
戸塚 元町別道―なぜ、ここに「こめや」の看板が?
藤沢 遊行寺―鳥居は何を物語るのか?
平塚 縄手道―主役は行き交う旅人か、それとも?
大礒 虎ヶ雨―その日、大磯はなぜ雨だったのか?
小田原 酒匂川―広重の観察眼の冴えはどこに?〔ほか〕


「大草原のローラに会いに」谷口由美子

2018年03月21日 21時02分27秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「大草原のローラに会いに」谷口由美子

「聖地巡礼」について書かれている。
いつか、私も行ってみたい。(多分10年以上先になる、と思う)

マンスフィールドの家について
P40-41
ローラとアルマンゾと一人娘のローラは、1894年ローラが27歳のときにこの土地にやってきた。「小さな家シリーズ」は、ローラが27歳までの話なので、このマンスフィールドの家は物語には登場しないのである。でも、ローラはこの土地でアルマンゾとロッキー・リッジ農場をひらき、90歳でなくなるまでの63年間を過ごした。

デ・スメットについて
P52
ここは『大草原の小さな町』だけでなく、その前にくる『シルバー・レイクの岸辺で』と『長い冬』と、あとにくる『この楽しき日々』と『はじめの四年間』の舞台であり、ローラが12歳から27歳までを過ごしたところだ。

P103
わたしは『赤毛のアン』が大好きで、子どもの頃は暗記するぐらい何度もよんでいたものだ。(ちなみに、私はどうしても好きになれない…「本屋さんのダイアナ」柚木麻子


【おまけ】
本書の中で、著者が恩地三保子先生に会いに行くところが印象に残った。

【巡礼資料】

【ネット上の紹介】
憧れの気持ちが夢をかなえる…大好きな「ローラ」をもって旅に出よう!子ども時代の感動のままに、会社を辞めてローラのふるさとへ旅立ってから、念願の翻訳、同好会の発足、ついには写真集を実現!家族に見守られながら「ローラ、ローラ」に明け暮れる著者が、6回の“ローラ巡礼”で出会った「素顔のローラ・実物大の大草原」を語ります。
ローラに出会ったこと
『大草原の小さな家』を訳したい
恩地三保子先生
とうさん、かあさん
旅に出ます
ローラ・インガルス・ワイルダー巡礼―一九七四年十月
巡礼のあと
『大草原の小さな家』写真集
「大草原の七人」が行く―一九八七年夏の家族旅行
バッタとポプラの話〔ほか〕


「現代人の論語」呉智英

2018年02月23日 20時56分05秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「現代人の論語」呉智英

かつて普通に存在し、現代に無いもの。
それが「儒教」。
でも、歴史と過去の人物を知るには避けて通れない思想、と思う。

P42
本来、孔子が重んじたのは「恒」である。外部に影響されない価値基準を自分の内に持つことだ。「恒」は「経」とも核。「経」は織物の縦糸である。

P101
朱子学は一言で言えば厳格主義(リゴリズム)である。だが、論語の中には、厳格主義に反するようなユーモラスな孔子像が度々現れている。

P107
69歳で息子の鯉に先立たれ、71歳で顔回を亡くした孔子は、73歳で子路を失い、翌年74歳で世を去る。

「天子南面」「北面の武士」について
P148
天子や諸侯は南を向いて座し、それに仕える武士は当然北面してこれを拝した。

P174
博打はもともと神意を知る行為だったのである。

【ネット上の紹介】
あなたは本当に論語を知っていますか?真の孔子の思想には、今を生きる智恵があふれている。

変革者孔子
文化を継承する者
目覚めた者
徳治という難問
詩と人性
文化の出発点としての詩
「淫」と恋歌
現実的な選択
節操と現実感覚
妖艶なる謁見〔ほか〕


「ひょっこ茶人、茶会へまいる。」松村栄子

2018年01月27日 21時20分47秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「ひょっこ茶人、茶会へまいる。」松村栄子

松村栄子さんのお茶エッセイ。

最初にお茶の先生を訪ねるときの作法
P47
〈束脩〉と書いた奉書の封筒にこれこれの金額と自分の連絡先を書いた紙を入れて、これくらいの大きさの菓子折に載せて風呂敷に包んで持っていきましょうと指示してもらったその具体性が、わたしにはどれほどありがたかったかしれない。(そんなこと、今でもしてるの?!)

着付けについて
P201
女性はウェストで帯を巻くが、男性はおへその下に巻く。

上賀茂神社の〈神馬堂〉の〈やきもち〉について
P208
噛みつく場所によってお餅が柔らかかったり焼けてパリパリしていたり、その素朴さが粒餡の味をいっそう引き立てるのだ。

【ネット上の紹介】
京都で紛れ込んだ正式なお茶会。そこには、当然のように作法をこなす小学生の男の子がいた。一方、自分の手には、ティッシュまみれになったお茶菓子が…。このままじゃいけない。一念発起して茶道の門を叩いた著者が、素人ゆえの無邪気さで描く、茶道ほのぼのエッセイ。
第1章 茶の湯はこわくない!?(お茶は気取ったおばさまたちのものか?
たかがお辞儀、されど… ほか)
第2章 ひよっこ茶人、茶会へまいる。(お茶会というもの
初めてのお茶会 ほか)
第3章 ひよっこ茶人、ちょっと開眼。(利休の茶の湯、理系な茶の湯。
男の茶の湯 ほか)
第4章 ML茶の湯ワンダーランド(男の着物教室
お菓子の世界は甘くない。 ほか)
外伝 ひよっこ茶人のお茶会十番勝負(1K茶会―異空間創造
追い出し茶会―道具はなくても ほか)
付録 ひよっこの茶道流派調査


「怖い絵のひみつ 「怖い絵」スペシャルブック」中野京子

2018年01月16日 20時21分31秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「怖い絵のひみつ 「怖い絵」スペシャルブック」中野京子

「怖い絵」展に行こうと思いながら、時間の都合がつかなかった。(後悔している)
代わりに、オフィシャルブックともいうべき本作品を読んだ。
「怖い絵」展の主要14作品が解説されている。


「レディー・ジェーン・グレイの処刑」
20世紀初頭、ロンドン留学中の夏目漱石が観、後に短編小説『倫敦塔』にも結実させました。


「スザンナと長老たち」
「スザンナ」という名前は、ヘブライ語で「ユリ」を意味します。ユリといえば、西洋美術では「純潔」の象徴で、処女懐胎したマリアや、肉体の愛を知らない童貞(処女)聖人とともに描かれます。

P41
本来セイレーンは、3人ないし7人姉妹で、胸までが人間の女性、その下は鳥の姿をしていると言われてきました。しかし、中世以降、その複数形の表記が人魚と同じであることから、下半身を魚で表現することが増えてゆきます。

P69
当時、エレベーターもないパリのアパルトマンは、まず1階に管理人が、バルコニーのある2階は金持ちが、3階が中産階級、4階が小市民、そして屋根裏部屋は貧乏人や芸術家が住むようになっていました。

【ネット上の紹介】
「怖い絵」展の主要14作品を中野京子が徹底解説!「怖い絵」を楽しむために知っておきたい5つのこと。あの「怖い絵」はここにある。世界「怖い絵」MAP。「怖い絵」展オリジナルグッズ。汗と涙と苦労の連続!?「怖い絵」展ができるまで。
中野京子が解説!(ダモクレスの剣
神罰
裁判
海の怪物
殺人
ラ・トラヴィアータ)
「怖い絵」展開催記念!対談 宮部みゆき×中野京子


「名画で読み解くロマノフ家12の物語 」中野京子

2018年01月05日 20時52分07秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「名画で読み解くロマノフ家12の物語 」中野京子

P18
またマリヤの子ドミトリーは――ギリシャ正教が妻は四人までと定めていたので――庶子とされ田舎へ追放された。(同じキリスト教系でも、4人もOKとは…いろいろあるなぁ)


ワシーリー・スリコフ/歴史画「フョードシヤ・モロゾワ

ロシア正教の宗教改革…ルターのそれとは大違い
P31
たとえば、二度のハレルヤ斉唱を三度にする、祈禱の間ずっと起立していたのを座ってよいことにする、神への礼はわざわざ跪く必要はなく、腰を曲げるだけ…と、ここまで書けば、スリコフの絵の二本指のわけも明らかであろう。大昔から延々古儀式を守ってきた人々にとっては、十字を切るやり方は指二本こそが絶対的に正当であるのに、ニコンは指三本で行えと強制する。(上絵・右下の男が指二本を立てている。見える?…このことである。それにしても、「お茶」の作法の違い程度に感じるが、裏千家と表千家の違い?)
P29
そんなことをして逮捕されないのだろうか?
 されない。
 なぜならこの男は単なる浮浪者ではなく、ユロージヴィ(=聖愚者)だからだ。苦行用の重い首輪をぶら下げているのが証である。ユロージヴィとは、いっさいの財産を放棄し、痴愚として狂人として生きることを選んだ苦行者で(後略)。


ピョートルはモスクワからペテルブルクへの首都移転を考える
P61
ネヴァ川河口の三角州、バルト海への出口に位置する湿地帯だった。「ネヴァ」とはフィンランド語で「泥」の意。

P63
「サンクト」は「聖」、「ペテル」は「使徒ペテロ」、「ブルク」はドイツ語の「城市」。「聖ペテロの町」という意味だ。ちなみにペテロは英語でピーター、ロシア語でピョートル。(後に、ペトログラード→レニングラード→サンクト・ペテルブルグに戻って現在に至る)

P70
マルタにとってエカテリーナ一世の生涯は、本人にとって夢のようなものであったろう。もし親が若死にしなければ、もしロシア兵たちといっしょに戦地から戦地をめぐっていなければ、チャンスもまためぐってこなかった。陽気な娼婦時代、いったい誰が想像できたろうか、ロシアの君主になる運命が待っているなどと。

P204
しかしアレクセイは、ニコライの母マリアの心配したとおり、曾祖母ヴィクトリア女王の遺伝子を受け継いで、重い血友病を発症する。アレクサンドラの神経はささくれだち、優しい夫はいっそう妻子第一となり、そこへ――まるでロマン主義の小説みたいに――「怪僧」ラスプーチンが登場するのだった。
Grigori Rasputin 1916.jpg 

アレクサンドラ、アレクセイ、四皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とラスプーチン(1908年)

P216
後年、「第一次世界大戦」と名づけられたこの国家総力戦は、ハプスブルク、ロマノフ、ホーエンツォレルン、オスマンという四王朝に幕を引いたことでも知られる。

P225
つくづく人間は歴史に学ばない(学べない)のだなあということ。学んでいるつもりでも、いざ己のこととなると、身近に迫る変化の気配すら感じなくなるのかもしれません(巨大恐竜が足元に目がゆかないように)。絶対君主制はおそらく滅びるべくして滅んだ。そんな中、どこよりもロマノフ王朝の終わり方が衝撃的なのは、連綿と続いてきた不気味な秘密主義に根ざしているからでしょう。水面下で密やかに物事が処理されるため、人々はもはや公式発表も通達も信用しなくなる。飽きもせず語られてきた、「実はまだ生きている」貴人伝説の源もここにあると思われます。

【ネット上の紹介】
全点オールカラー。ロマノフ家、愛と憎しみの300年史。
ワシーリー・スリコフ『フョードシヤ・モロゾワ』
シャルル・フォン・ステュイベン『ピョートル大帝の少年時代の逸話』
ニコライ・ゲー『ピョートルと息子』
カルル・ヴァン・ロー『エリザヴェータ女帝』
コンスタンチン・フラヴィツキー『皇女タラカーノヴァ』
ウィギリウス・エリクセン『エカテリーナ二世肖像』
ニコラ=トゥサン・シャルレ『ロシアからの撤退』
ジョージ・ドウ『アレクサンドル一世』
イリヤ・レーピン『ヴォルガの舟曳き』
山下りん『ハリストス復活』
ボリス・クストーディエフ『皇帝ニコライ二世』
クロカーチェヴァ・エレーナ・ニカンドロヴナ『ラスプーチン』


「残酷な王と悲しみの王妃」(2)中野京子

2018年01月01日 20時48分47秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「残酷な王と悲しみの王妃」(2)中野京子

美術絵画に詳しい方は多い。
歴史に詳しい方も多い。
しかし、両者とも詳しくて、文章力、表現力がある方は少ない。
当時の状況とそこで生きた人びとが生き生きと再現される。

ルートヴィッヒを生んだヴィッテルスバッハ家について
P11
今で言うなら、力はあるのにコングロマリット化せず、格式ある暖簾を守り続けた老舗、といったところ。大きすぎれば政治的ストレスに押し潰され、小さすぎれば生き残りが大変なので、君主としてはこのくらいの規模が一番気楽なのかもしれない。(分かりやすい表現だ)

エリザベートとルートヴィッヒについて
P17
どちらも途轍もない浪費家だった。貧民を顧みない散財に腹立たしさを覚える者も少なくなかろうが、歴史の面白みというべきか、結果的にふたりは浪費額以上に国を潤した。今に至る彼らの世界的人気が、ウィーンやミュンヘンにどれほど観光客を運んでいるかを考えれば明らかであろう。

父が暗殺され、アレクサンドル三世が皇位継承する(妃はマリア)
P100-101
また暗殺者の中にユダヤ人がいたことから、キエフなどの南部で大々的なポグロム(ユダヤ人に対する集団迫害行為)が起こっても放置した。ちなみにこの時のポグロムを背景にしたのが、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』である。


『カルロス4世の家族(スペイン語版)』(1800-1801年、プラド美術館所属)
P173
およそ半世紀後の作家ゴーティエは、「富籤にあたったパン屋の一家のようだ」と表現している。

ちなみに、前列左から2人目で目立っているのが、後のフェルナンド七世である。
P158-159
かつてこの王の妃は母親宛の手紙にこう書いていた、「鈍感で、何もせず、嘘つきで、卑しくて、腹黒く、(中略)読まず、書かず、考えず、要するに無です」。

【ネット上の紹介】
彼らには許されなかった。平穏な日々も、愛も、死も…。人気シリーズ『怖い絵』『名画の謎』の著者が、ルートヴィヒ二世ほか、王族たちの壮絶な人生を辿る好評歴史読み物第2弾。図版多数掲載!
第1章 ルートヴィヒ二世
第2章 アレクサンドル三世妃マリア
第3章 カルロス四世
第4章 カロリーネ・マティルデ


「ハーバード日本史教室」佐藤智恵/アンドルー・ゴードン/〔ほか述〕

2017年12月15日 21時07分41秒 | 読書(エッセイ&コラム)



「ハーバード日本史教室」佐藤智恵/アンドルー・ゴードン/〔ほか述〕

ハーバードの教授10人へのインタビュー。
日本史から何を学ぶのか?

山本五十六について書かれている。
ハーバードに在籍していたそうだ。
彼はポーカーの名手であり、夜な夜なずいぶん儲けたそうだ。
p23
そのお金を何に使ったかといえば、夏休みにアメリカ国内を視察するのに使ったのだという。山本はマサチューセッツ州からテキサス州までヒッチハイクで旅をして、アメリカの産業、特に石油産業についての情報を収集した。

P26
1972年に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、国際交流基金を通じ、ハーバード大学、プリンストン大、コロンビア大など、日本研究プログラムを持つ10の大学に総額1000万ドル(当時のレートで約30億円)を提供。この資金は通称「タナカ・テン」と呼ばれているが、これによってアメリカにおける日本研究が大きく進展することとなったという。

P143
この長寿企業が多いという現象は日本独特のものです。私が知る限り「老舗」という言葉があるのは日本語だけではないでしょうか。(中略)英語では、ただ「長く継続している企業」(long-lasting firm)というだけです。

トルーマンはどのように原爆投下を正当化したのか
P162
授業では、『正しい戦争と不正な戦争』に書かれてある正戦論をベースに、トルーマンの決断が人道的に正しかったのかどうかを議論します。


日本は核武装すべきか?
P216
日本が核武装したからといって日本の安全がより保障されるでしょうか。少なくとも北朝鮮に対する抑止力にはならないと思います。逆に近隣諸国、特に中国を脅かすこととなり、そうなると日本の安全は今より揺らぐこととなるでしょう。

【ネット上の紹介】
世界最高の学び舎、ハーバード大学の教員や学生は日本史から何を学んでいるのか。『源氏物語』『忠臣蔵』から、城山三郎まで取り上げる一方、玉音放送を読み上げて日本の天皇制について考えたり、和食の奥深さを噛み締めたり…。授業には日本人も知らない日本の魅力が溢れていた。ハーバード大の教授10人のインタビューを通して、世界から見た日本の価値を再発見する一冊。

【目次】
序 ハーバード大学と日本人
第1講義 教養としての『源氏物語』と城山三郎―日本通史 アンドルー・ゴードン
第2講義 『忠臣蔵』に共感する学生たち―江戸時代 デビッド・ハウエル
第3講義 龍馬、西郷は「脇役」、木戸、大久保こそ「主役」―明治維新 アルバート・クレイグ
第4講義 ハーバードの教授が涙する被災地の物語―環境史 イアン・ジャレッド・ミラー
第5講義 格差を広げないサムライ資本主義―アジア研究 エズラ・ヴォーゲル
第6講義 渋沢栄一ならトランプにこう忠告する―経営史 ジェフリー・ジョーンズ
第7講義 昭和天皇のモラルリーダーシップ―リーダー論 サンドラ・サッチャー
第8講義 築地市場から見えてくる日本の強みと弱み―和食の歴史 テオドル・ベスター
第9講義 日本は核武装すべきか―日米関係史 ジョセフ・ナイ
第10講義 世界に日本という国があってよかった―経済学 アマルティア・セン