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「私の息子はサルだった 」佐野洋子

2018年05月17日 21時08分24秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「私の息子はサルだった 」佐野洋子

佐野洋子さんの死後、発表された作品。
著者の観察眼が冴える一冊だ。
あとがきは息子さんが書かれている。
書く側と書かれる側、どちらも言い分がある。

P122
息子が六歳の時、クラスに好きな女の子がいた。幼い息子は女の子が遊びに来ても、興奮してはしゃぎ回って、そうぞうしくとび回るだけだった。女の子は、大人っぽく「いやーあね」とまゆをひそめて笑っていた。彼は、彼女をよろこばせるすべを何も持っていなかった。興奮のひとときが過ぎて、気の抜けたような夕食の時、彼は私に言った。
「ママ知っている、さっき××ちゃん、ベランダからじっと外を見ていたんだよ。ずっとだよ。××ちゃん、何を考えていたのかなあ」
 サルのようにおたけびを上げていた彼は、彼女をずっと見守り続けていたのだ。自分でないものが、何を考えているのかと自分に問うていたことを知って、私は彼を一人の人間として信頼したいと思った。
 もし彼が大人になった時、彼が愛する者を理解しようと努めるだろうと信じたかった。

【蛇足】
以前、他に1冊だけ子育てエッセイを読んだことがある。
田丸公美子さんの「シモネッタのドラゴン姥桜」だ。
開成→東大→弁護士と歩んだ息子の話。
こういう優秀さ、ってどうなんだろう?
遺伝+それなりの環境があればOKのように感じる。
努力でなんとかなるという「神話」にすがりたい思いもあるが、
いかんともしがたいものがあるのも事実だ。
文春文庫<br> シモネッタのドラゴン姥桜 
「シモネッタのドラゴン姥桜」田丸公美子

【ネット上の紹介】
何でもやってくれ。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい―。本を読んで、お話をして、とせがんだ幼い息子。好きな女の子が「何考えていたのかなあ」と想像する小学生の息子。中学生になり、父親を亡くした親友に接する息子…。著者は自らの子を不思議な生き物のように観察し、成長していく姿に驚きつつ慈しむ。没後発見された原稿を集めた、心あたたまる物語エッセイ。

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