「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

小林多喜二「蟹工船」伏字研究(黄奉模)紹介

2010-03-06 06:12:37 | 多喜二研究の手引き
この論文は, 戰前出阪された小林多喜二「蟹工船」版本の伏せ字について調べたものである. 「蟹工船」は, 小林多喜二の代表作として, 日本プロレタリア文學だけでなく, 日本の近代文學史上における劃期的な作品である. 葉山嘉樹の「海に生くる人人」が, 日本のプロレタリア文學をはじめて藝術的水準に引き上げた作品だとするなら, 「蟹工船」の歷史的意議は, 日本プロレタリア文學を思想の領域にまで廣げて, その新しぃ地平を切り開いたところにある. この作品では勞動者の具體的な行動が, 政治的な意圖をもって描き出されている. 「蟹工船」によって, 日本プロレタリア文學運動はその揚期を作り出すことになった. 小林多喜二の「蟹工船」は, 一言でいえぱ, 資本家の殘酷な搾取に對する勞動者たちの抵抗を描いた作品である. 多喜二は「蟹工船」の中に, 今まで屈從しか知らなかった漁夫たちが, 知らずにいた自分たちの力に目覺め, 自分たちの手で資本家の搾取に立ち向かって行く一連の過程を見事に描き出している. この作品の中には, 漁夫たちの現實を認識して行く過程が客觀的で, 自然な形として描き出されている. 「蟹工船」は, 一九二九年五月號と六月號の『戰旗』に, 前編と後編に二回に分けて發表された.「蟹工船」は, 雜誌『戰旗』に發表されたのち, 戰前, 次の單行本に收錄された. 卽ち, 『蟹工船』<日本プロレタリア作家叢書第二篇>)』(一九二九年九月二十五日發行, 戰旗社), 『蟹工船 改訂版 <定本日本プロレタリア作家叢書>』(一九二九年十一月八日發行, 戰旗社), 『蟹工船 改訂普及版 <定本日本プロレタリア作家叢書>』(一九三0年三月十八日發行, 戰旗社), 『プロレタリア文學集<現代日本文學全集 第六十二篇>』(一九三一年二月十五日發行, 改造社), 『蟹工船太陽のない街 鐵の話』(一九三一年五月五日發行, 改造社), 『小林多喜二全集 第二卷』(一九三三年四月五日發行, 日本プロレタリア作家同盟出版部發行, 國際書院發賣), 『蟹工船不在地主』(一九三三年四月十日發行, 新潮文庫 第八編, 新潮社), 『蟹工船 工場細胞』(一九三三年五月三十日發行, 改造文庫 第二部 第二二五篇, 改造社), 『小林多喜二全集 第一卷』(一九三五年三月三十一日發行, ナウカ社), 『太陽のない街 蟹工船 <現代長編小說全集 第十一卷>』(一九三七年一月十日發行, 三笠書房) 等である. これらの單行本はいずれも, 多くの伏せ字をもって發行されたにもかかわらず, ほとんどの版本が安寧の理由により, 發賣禁止に處せられた. 小林多喜二の作品は, 一九三七年六月十八日に書物展望社から發行された 『小林多喜二 隨筆集』が, 六月二十二日に共産主義の支持宣傳の理由により, 安寧禁止處分された以後には, 發行ができなくなった. 「蟹工船」がはじめて完全な形に刊行され, 讀まれるには, 戰後まで待たなけければならなかった. この作品は, 一九四九年二月發行の新日本文學會編集の日本評論社版『小林多喜二集 第三卷』(貢一∼貢一四一)の中で, 『戰旗』の初出を底本にし, ノ-ト稿とそのほかの版本を參照して, 主として手塚英孝の手で完全に復元された. 實に, 小林多喜二が「蟹工船」を書さ上げた, 一九二九年三月三十日から二十年後のことであった. この論文は, 「蟹工船」の伏せ字について考察している. ここでは, これらの「蟹工船」版本が發行の後期になるほど, 伏せ字がどのようにえていったかを調べた. 商業出版社の「蟹工船」版本は, 戰旗社の版本より伏せ字と削除の部分が多い. これらの版本も發行の後期になるほど, 伏せ字のどんどんえていったことが分かる. これは, 當時の檢閱が嚴しさをしていったことを物語っているのであろう.

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詳細は以下のサイトで

http://www.jisikworld.com/paper/view.html?no=150984&link=review

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