多喜二研究文献は、今日までかなりの数に
なっているが、まだほとんど論究されない部
分ものこされているし、総じて作品論に乏し
く、百合子研究にくらべ、かなりおくれてい
る状態にある。一九二八年から四七年までの
ものは、小田切進編「主要参考資料」(解放
社版「小林多喜二研究」)に収められている
し、一九四六年から五五年までは、横山浩士
編「小林多喜二参考文献」(「新日本文学」五
六年二月号)に集められている。「多喜二と
百合子」は、五三年十二月の創刊号から毎号
参考文献紹介をけいさいしているから、これ
を綜合すると、多喜二文献をかなりくわしく
知ることができる。また、多喜二百合子研
究会で編集した百合子読本についで、多喜二
読本も出版を予定されているから多喜二研究
にはより便利になることだろう。小稿は、お
もに終戦後十年間に発表された主要な研究、
文献を紹介したものにすぎないが、多喜二の
作品をこれから研究されようとするかたがた
にいくらか参考になれば幸いである。
多喜二全集には二、三の版があるが、青木
文庫版、小林多喜二全集、全十二巻(東京千
代田区神田神保町一の六〇 青木書店)が完本
である。日本評論社版(全八巻)、富士出版社
版(全九巻)の未刊分は、それぞれ青木文庫
版で補完すれば全巻を揃えることができる。
各巻の文献解題は資料として必要である。年
譜は、全集十二巻末のものがもっとも新しく
て、くわしい。
周知のように小林多喜二は、一九二八年二十
四才のときに書いた「一九二八年三月十五日」
と、翌年の「蟹工船」によってひろく世にみ
とめられたのであったが、彼はこれら以前に
四十数篇の作品を書き、一九二〇年、十七
八才の頃から創作の筆をたたなかった。
初期の作風について、「学生生活をロマン
ティックに扱ったものもあるが、貧しく不幸
な生活を扱ったものが多く、人間主義的共感
をもって怒りをもって描かれている」「高度
の芸術的達成はみとめられなくても、批判的
リアリズムの作品として独立した評価をうけ
ることができる。日本近代文学の停滞と頽廃
が目立ちはじめた時期に、彼自身志賀直哉の
手法の影響をうけて出発しつつも、志賀をふ
くむ近代文学の停滞に同調しないで、社会的
苦悩への関心をもちつつ、批判的現実主義を
追求する方向に進んだ」と、宮本顕治は「小
林多喜二と宮本百合子」(「多喜二と百合子」
五五年二月号)のなかで特徴づけているが、
この時期の作品の研究にはつぎのような文献
がある。
窪川鶴次郎「小林多喜二」河出書房版日本
文学講座第六拳
窪川鶴次郎「ある改札係」解説八雲書店
発行「芸術」一九四八年八月号
須川康夫「プロレタリア作家としての自覚」
(多喜二の成長過程について)「多喜二と百
合子」一九五五年十、十一号
須川康夫「批判的リアズムについて」
(「健」の場合)「多喜二と百合子」一九五六
年七月号
小林茂夫「多喜二初期の作風」(その出発と
習作時代)「多喜二と百合子」一九五四年五号
窪川は一九二一年から二六年頃までのいく
つかの作品を分析し、「自身の文学に対する
態度・要求、方法について常に明確な自覚を
もち、その自覚を実践せずにはおかぬ努力に
つらぬかれていた」ことを多喜二の生涯と文
学とを支配した重要な特色としてあげてい
る。須川は評論、小説、日記に即してかなり
綿密な分析をおこないながら、「マルクス主
義を或る程度身につけ、その上で文学の間藤
を反省するという思想的立場でとり上げられ
たのではなく、むしろ彼の自然発生的な問題
意識をバネにして展開し、文学自体の課題を
追求する形で提起されている点」に注目して
いる。
武田暹「回想の小林多喜二」(解放社版「小
林多喜二研究」収)、伊藤整「小林多喜二の思
い出」(「風雪」四七年一巻十号)は、小樽商
業や高商持代の回想だが、伊藤の思い出は時
代の雰囲気をいきいきとつたえている。また
「クラルテ」の仲間だった武田はプロレタリア
文学の熱心な読者だった多喜二の面影を描
いている。
一九二六年五月二十六日から二八年一月一
日までの日記(全集第十巻)は「師走」から
「防雪林」への発展過程を知るために必読の
文献である。中津川俊六(武田暹)「小林多
二の恋」(「婦人公論」四六年一、二月号)
も、この時期の作品、たとえば、「師走」と
か、「滝子其他」など不幸な婦人を主題にし
た一連の作品の理解に副次的な参考になるこ
とだろう。
初期の作品には、遂行と改作をかさねてい
るが、とくに二七年前後になると、自己変革
の過程であきたらなくなったいくつかの作品
の改作がある。小原元「初期改作過程に示唆
されるもの」(「多喜二百合子研究」第二集)
は「曖昧屋」(二五年十一月)と、その改
作「酌婦」(二七年九月)、「滝子其他」(二
八年三月)について「思想的な発展に即応し
ては作品内容の深化があらわれていない」こ
とが分析されているが、このような過程をふ
くむ不断の努力をつうじて「防雪林」や「一
九二八年三月十五日」の展開をみることが
できる。
転換期の力作「防雪林」は周知のように未
定稿のまま作者は発表しようとしなかった
作品である。「防雪林」の文献には、
小田切秀雄「『防雪林』の発見とその意義」
裏選書「小林多喜二」収
「防雪林」解題四八年、日本民主主義文
化連盟版
窪川鶴次郎解説五三年、角川版「昭和文学
全集「小林・中野・徳永直集」
横山浩士「防雪林」「多喜二と百合子」五
四年六号
などがある。「農民の生活と追いつめられた
反抗とが北海道の自然を生き生きと再現し」
(窪川)「すぐれた描写力をしめLし」(小田
切)「過去の農民小説とは比較にならぬ明瞭
さで、農民の貧困、悲惨の根源が土地関係に
あり、しかも日本資本主義がその農民の貧困
上に成立し、権力がまさにそのような日本
の体制、直接的には地主のまもり手であり、
農民の抑圧者であることをつき出し」(横山)
てはいるが、「小作料軽減の交渉がはじめら
れる経過や闘争に作者のプロレタリア的思
想、経験の浅さからの概念的な弱きと素朴さ
を放し」(窪川)ていることなどが大体の論
点である。「防雪林」解説にはノート稿の資
料の紹介がある。
「一九二八年三月十五日」にはつぎのよう
な文献がある。
蔵原惟人「『一九二八年三月十五日』『蟹工船』
『不在地主』」、「『一九二八・三・一五』と
『蟹工船』について」河出書房版「小林多喜
二と宮本百合子」収
瀬沼茂樹「『一九二八年三月十五日』と『東
倶知安行』」解放社版「小林多喜二研究」収
水野明善「『一九二八年三月十五日」の
文学的位置」「新日本文学」五二年二月号
金達寿「『一九二八年三月十五日』の描写に
ついて」「多喜二・百合子研究」第二集
蔵原は、「革命家の典型を造形」し、「新
しい日本文学としてプロレタリア文学その
ものの方向をしめした」作品として高く評価
しながら、「全体としての無産者解放運動と
の聯関の中に描きえなかった」点を指摘して
いる。瀬沼は「小樽市の検挙において、全国
事件を象徴するように描くために、作者は卓
抜した技倆を発揮している」点に注目し、水
野は「日本文学史における社会主義リアリズ
ムの確立」と評している。また、金達寿は
「間接法と直接法とを用いたリアリティあ
る適確な描写」に注目している。
「蟹工船」はもっともひろく読まれている
作品でもあるし、論評も比較的多い。
蔵原惟人 前掲、「小林多喜二と宮本百合
子」収
小原元「『蟹工船」価値評価の問題」 「文学
前衛」四八年(1)
岩上順「蟹工船」「小林多喜二研究」収
小田切秀雄「蟹工船」解説 四九年、新興
出版社版小林多喜二文庫
蔵原惟人「蟹工船」「党生活者」解説 五
三年、新潮文庫
窪川鶴次郎 前掲、昭和文学全集解説
壷井繁治「『蟹工船』における集団と個人の
描写について」河出書房版「多喜二・百合子
研究」第一集
小原元「『蟹工船』群集の個性問題」五四年
「文学研究」五四年三号
鹿島保夫「撃工船」五四年、岩波書店版「文
学の鑑賞と創造」(1)
蔵原は「社会的な問題を客観的な芸術的形
象のうちに描きえた典型的な作品であり、現
実にたいする作者の態度も前作『三・一五』
に優っている」が、「集団を描こうとする余
り個人がそのうちに埋没する危険」を指摘し
「各階級層の代表としての個人の性格や心理
をも描くことができたらもっとすばらしい作
品になり得た」といっている。窪川もまた」特
異の題材を、特殊な世界としてではなしに現
代社会の基本的な情景として眼前に描き出
し」「多喜二文学のもっとも代表的なさいし
ょの作品」であるが、「集団を人間的な、動
的な関連においてではなく量的な総計として
とらえる考えにおちいって」をり「芸術大衆
化の問題とも関連してプロレタリア文学の創
作方法にとっての重要な問題が提出されてい
る」点に注目している。小田切は以上のよう
な欠陥が「『不在地主』『工場細胞』『オルグ』
等に屈折してゆく可能性」を指摘し、岩上は
葉山嘉樹の「海に生くる人々」と比較してこ
の作品を論じ、壷井ままた前田河の「三等客
客船」「海に生くる人々」との連関と発展にお
いて論じながら、個々の人間の性格や心理の
特徴を十分に描きだすことの困難さから作者
が集団の描写に重点をおいたという岩上の論
点を反駁している。小田切進「海に生くる人
々」(「文学前衛」四八年二号)も「蟹工船」
に言及している。
小原は形象性の分析と批判とおこない、鹿
島はオストロフスキーと比較しながら研究の
諸成果を総括し、鹿島光代「『蟹工船』評価の
変遷」(「多喜二と百合子」五三年創刊号)は
一九二九年から五二年頃までの論評と時代に
よるその変化を紹介している。また、伊東岱
吉「『蟹工船』と日本資本主義研究」(岩波「文
庫」五三年七月号)などがある。
最近「不在地主」は「防雪林」との比較研
究で、創作方法と世界観との関係、プロレタ
リア文学におけるリアリズムの問題として論
議されているがつぎのような文献がある。
蔵原惟人「『一九二八・三・一五』『蟹工船』
『不在地主』」河出書房版「小林多喜二と宮本
百合子」収
小原元「不在地主」「沼尻村」「小林多喜二
研究」収
窪川鶴次郎前掲・角川版昭和文学全集解
説
蔵原、宮本、窪川「日本近代文学の諸問題」
(座談会)「早稲田大学新聞」五十四年四月
二十一日号
野間宏「典型について」 「新日本文学」五
五年八、九月号
小原元「『不在地主』と『防雪林』そのリア
リズム」「文学」五六年四月号
須川康夫「リアリズム論の混乱」(「防雪林」
と「不在地主」)「多喜二と百合子」五六年
十月号
蔵原の批評は「不在地主」が発表された直
後のものだが「困難な仕事に最初に手をつけ
た意義」を認め「農村の生活を描いている範
囲ではよいが、都市の資本家と農民、農民と
労働者、大資本家と農村ブルジョアとの関係
などは具象的に示されてなく」「完成を急い
で、見るべきものを見ず、研究すべきものを
研究し尽さなかったのではないか」と、いっ
ている。小原も「それまでの農民文学の到達
しえなかった高い主題に達しているが、芸術
形象としての彫りふかい感動をきざみこみえ
なかった」といい、「思想内容と創作方法の
関係の困難さを表白」していることを指摘し
ている。
野間は主として創作方法の問題から論じ、
「『不在地主』のなかで行った文学上の冒険を
評価しながら、「実際に現実から得たさま
ざまの像を分析、綜合することによって、造
型的形象をつくりだすという方法ではなく、
世界観によって現実を理解し、そこから得た
現実の知識に像をあたえて形象化するという
方法によった」ものであり、冒険の失敗は「革
命的なテーマを展開しきることのできる創作
方法をみいだすことができなかったことにも
とづく」といい、小原は「『不在地主』の、
リアリズムの失敗は、批判的リアリズムの深化、
そこからの展開という観点をもってする日本
近代の文学的基盤への十分な検討におよびえ
なかったプロレタリア文学運動の歴史的段階
を反映するもの」といっている。
須川の「リアリズム論の混乱」は、「防雪
林」から「不在地主」の改作にみられる思想
的発展と創作方法の不統一のあらわれをリア
リオムの後退とみる野間や小原のリアリズム
論を反駁しているがなお、発展的な討論と究
明がのぞましい。
窪川は前記の解説でつぎのようにいってい
る。「源吉が火つけの行為に出ずにはいられ
なかったところにこそ、「貧困とは如何に惨
めな生活をしているか」というなまなましい
現実がある。けれどもまた「如何にして」(惨
めか)の正しい現実認識に立つことなしには
「如何に」の形象に真実性を与えることはで
きないであろう。火つけの行為があたかもこ
の貧農の惨めな現実に解決をもたらすかのご
とく主張され、肯定されるならば、それは貪
農が「如何にして惨めか」を誤って理解させ
ることになる。ここにプロレタリア文学の創
作方法としてのリアリズムの中心的な問題が
横たわっている。「防雪林」から「不在地主」
への発展は、プロレタリア文学の現実に対す
る基本的な態度の前進を示すものではあるが
それと同時に「如何に」と「如何にして」と
の、分裂と芸術的統一との交錯が、この二つ
の作品に見られるように多喜二の文学におい
てもっとも積極的な形で現れている。」
早稲田大学新聞にけいさいした蔵原、宮本
窪川の「日本近代文学の諸問題」という座談
会の「『防雪林』、『不在地主』評価の問題」
はかなりふかく二つの作品について論じてい
る。また、「『不在地主』の背景」(「多喜二・
百合子」十二、十三号、五六年六月号)は、取
材されたといわれている磯野小作争議と当時
の農民運動を紹介し、作者が「蟹工船」のと
きのような十分な調査をなしえなかったので
はないかという疑問を提出している。
「不在地主」からのちの作品には「党生活
者」以外には論議も比較的少なく、作品研究
もあまりおこなわれていないが、「工場細胞」
「オルグ」にはつぎの二つの文献がある。
窪川鶴次郎「小林多喜二の歴史的意義」「文
学時評」四八年二号
菊池章-「『工場細胞』『オルグ』」解放杜版
「小林多喜二研究」収
窪川はプロレタリア運動の新たな活動形態
や斗争の経験についての豊かな知識にみちて
いる点に注意し、工場の機械や労働過程を単
なる描写としてでなく資本家的生産の本質を
表示するものとしてリアルに描き、不十分で
はあるが、河田、石川、森本、鈴木「髷の源
ちゃん」などの造型に注目しながら「作品の
概念性やイデオロぎー的生硬と形式的完成の
未熟な点は、作者の意図の強烈が、主題の芸
術的形象化を暴力的に交配するところにもた
されたものではなく、プロレタリア文学運動
の客観的主体的条件のなかで、マルクス主義
的世界観の本質的な要求にたいして忠実であ
ろうとしたすぐれた作家の全努力の結果とし
てあらわれた不十分と欠陥にほかならない」
といっている。菊池は「『筋の変化』やその他
の興味のために題材の客観的なとりあつかい
が犠牲にされている」点を主要な欠陥として
「あげている。
「独房」には蔵原惟人「『独房』と『党生活
者』」について(岩波文庫解説、河出書房版
「小林多喜二と宮本官合子」収)がある。
「安子」には佐多稲子「『安子』について」
(「小林多喜二研究」収)がある。「労働婦人
の本質的な新しさとは何であるかを、現実の
追求において描こうとしているが、作者と作
品と現実との、重なり合った関係が多いため
に、作品の中に読者を引き入れるよりは、この
作品を引っさげて外へ立ち向っている作者の
気構えを感じさせることに強くなっている」
といっている。大森寿恵子「『乳房』にあらわ
れた新しい婦人像」(「多喜二と官合子」七号)
も「安子」に言及している。
「転形期の人々」の研究も、豊かとはいえ
ない。
小田切秀雄「『載形期の人々』について」要
選書「小林多喜二」収
壷井繁治「『転形期の人々』についての断片
的感想」 「多喜二・百合子研究」二集などが
ある。小田切は「従来の日本文学にはとり上
げられることのなかった社会的に虐げられた
ひとびとのさまざまな形象、、時代の革命的な
運動を下からつくり上げて行くひとびとのめ
ざめ情熱、くるしみ、新しい智慧、自主的
な組織、たたかい――これらのものが全く新
しく包括的なスケールの中でとりあげられは
じめている」といい、蔵原の「芸術的方法に就
いての感想」との関係に注目している。蔵原は
「小林多喜二の現代的意義」(「小林多喜二
と宮本百合子」収)のななかで、この作品の欠
陥として「大衆の生活と前衛の生活とが並行
的に描かれていて、全体の有機的な部分とし
て描かれておらず、その芸術的方法のうえに
も統一が欠けているような印象をあたえる」
ことを指摘している。また、中学二年生に最
初の二、三章をよませ、その感想を出身層別
に分類考察した加藤喜代治「『転形期の人々』
第二三章を考えさせる」などの特殊研究も
ある。
「沼尻村」は、新たな境地をしめす注目さ
れる作品だが、作品研究はきわめて少なく、
小原元「不在地主」「沼尻村」(「小林多喜二
研究」収)がある程度である。
「党生活者」は代表作でもあるし、
終戦後評価をめぐって論争の的になった関係から、
文献も比較的多い。
宮本百合子「同志小林の業績の評価に寄せ
て」――誤れる評価との斗争を通じて――全
集第七巻収
宮本百合子「小説の読みどころ」全集七巻
収
宮本顕治「新しい政治と文学」岩崎書店版
「人民の文学」収
中野重治「『党生活者』について」「小林多
喜二研究」収
小田切秀雄「小林多喜二問題」「小林多喜
二」収
蔵原惟人「『独房』『党生活者』について」
岩波文庫解説「小林多喜二と宮本百合子」収
蔵原惟人「『蟹工船』、『党生活者』」解説
新潮文庫
窪川鶴次郎解説 前掲。昭和文学全集
宮本顕治「プロレタリア文学の歴史にてら
して」新科学社版「批判者の批判」下
佐藤静夫「「党生活者」の評価をめぐって」
「多喜二と百合子」五五年八号
西野辰吉「「党生活者」をめぐっての感想」
「多喜二・官百合子研究」二集
宮本顕治「「党生活者」の中から」「多喜二
と百合子」五六年十月号
周知のように、「党生活者」をめぐる戦後
の論争は荒や平野の懐疑的な否定的評価から
はじまっているが、佐藤は四七年頃までの論
争点を紹介し、中野の反論、宮本百合子、宮
本顕治、窪川、小田切などの論述が「広く深
い戦後の文学運動の本質にかかわる問題とし
て発展」したことを指摘している。蔵原も解
説(岩波文庫)で刻明に論点を紹介し、荒、
平野の見解を反駁しながら、「さまざまな欠
陥をもちながら、日本ではまったく新しい社
会主義レアリズムの文学の建設のための一つ
の重要な礎石をおいたものとして」評価して
いる。
宮本百合子の文章は、この作品が発表され
た直後のものだが、「『蟹工船』を頂点とす
る」見解に反対し、「レーニン的世界観の統
一、政治的鍛錬によって、自らそなわってき
た独特の簡明さ、迫真さ、革命的気宇の大き
さが、作品の深い光沢となってかがやき出そ
うとしている」といっている。
また、蔵原は十分知らない工場労働者を描
くべきではなかったのではないかという小田
切の主張に反対し、「新しい社会主義的な入
間を革命運動のもっとも典型約な場において
もっとも典型的な姿でとらえようとした」こ
とに新しい文学としてのこの作品の意蓑をみ
とめている。西野は、佐々木が細胞の再編成
をやるところは小説全体にとってもっとも重
要な部分だが、十分に描かれていないと指摘
し、窪川は「わずかの期間にかかる共産主義
的人間への変革成長が作者をとらえた驚き、
感動はあまりに生々しく、これを『私』のう
えに普遍的なもの上して客観化することがい
かに容易なものでないか」に注目している。
宮本の「『党生活者』の中から」はわかり易
く、包括的なすぐれた論評だが、かっての論
争にも言及して、反論の方には笠原のはり下
げが不足していたことも指摘している。また
私の「非合法時代の小林多喜二(「多喜二
百合子研究」一集)はこの頃の作者の生活を
知るうえで参考になるだろう。
絶筆となった「地区の人々」を論じたもの
は宮本百合子の「同志小林の業槙の評価に寄
せて――四月の二三の作品」「小説の読みど
ころ」以外にはほとんどない。「終りになれ
ばなるほど小説としての具象性を描写の上に
失っているが、初めてポルシェヴィキ作家ら
しい着実さ、人絹的艶のぬけた真の気宇の堂
堂さで、主題の中に腰を据え書き始めたこと
を印象させ、その点で感動を与える」といい
「よいプロレリブ文芸の働き手はいつも必ず
斗争においてひるむことを知らぬ卓抜周密な
同志である」といっている。宮本百合子は小
林の生涯と業績を高く評価し、もっとも積極
的な発言者の一人だが、前記三つの文章の他
に、「同志小林多喜二の業績」(全集八巻)
「小林多喜二の今日における意義」、「討論に
即しての感想」(全集十二巻)などがあり今日
もなお、するどい示唆をうしなっていない。
近藤宏子「多喜二・百合子の平和のための
戦い(1)」 (「多喜二と百合子」十一号)は反
戦的見地から「不在地主」「沼尻村」「党生
活者」を論じ、「地区の人々」にも言及し、
平田次三郎「「地区の人々」その他」を反駁し
ている。
「評論」を論じたものはほとんどなく、宮本
顕治「小林多喜二の評価その他」 全集月報
(3)があるだけである。日和見主義との斗争
で小林の果した基本的意義を評価しながら」
前衛的、あるいは革命的立場が基準的特徴と
なっていた当時と、民主々義が最小限の基準
である今日との情勢の推移と相違を、評論の
読者への注意としてあげている。そしてまた
「彼の骨格と彼の芸術的精進力を今日の段階
で正しく摂取するには、人類文化の集大成と
してのマルクス・レーニン主義のひろい光に
ょって今日の段階を包括的に把凄する必要」
を要請している。
前掲の蔵原惟人「小林多喜二と宮本百合子」
(河出書房版「小林多喜二・宮本百合子」収)
宮本顕治「小林多喜二と宮本百合子」「多喜
二と百合子」八号)は、一九五〇年いごの
二、三年間、宮本百合子を不当に誹謗し、小
林多喜二と対比する一部の混乱した論調を批
判し、二人の業績と時代的な特徴をあきらか
にしたものである。
また、同じく蔵原惟人「小林多喜二の現代
的意義」は多くの示唆をふくむすぐれた研究
である。
なっているが、まだほとんど論究されない部
分ものこされているし、総じて作品論に乏し
く、百合子研究にくらべ、かなりおくれてい
る状態にある。一九二八年から四七年までの
ものは、小田切進編「主要参考資料」(解放
社版「小林多喜二研究」)に収められている
し、一九四六年から五五年までは、横山浩士
編「小林多喜二参考文献」(「新日本文学」五
六年二月号)に集められている。「多喜二と
百合子」は、五三年十二月の創刊号から毎号
参考文献紹介をけいさいしているから、これ
を綜合すると、多喜二文献をかなりくわしく
知ることができる。また、多喜二百合子研
究会で編集した百合子読本についで、多喜二
読本も出版を予定されているから多喜二研究
にはより便利になることだろう。小稿は、お
もに終戦後十年間に発表された主要な研究、
文献を紹介したものにすぎないが、多喜二の
作品をこれから研究されようとするかたがた
にいくらか参考になれば幸いである。
多喜二全集には二、三の版があるが、青木
文庫版、小林多喜二全集、全十二巻(東京千
代田区神田神保町一の六〇 青木書店)が完本
である。日本評論社版(全八巻)、富士出版社
版(全九巻)の未刊分は、それぞれ青木文庫
版で補完すれば全巻を揃えることができる。
各巻の文献解題は資料として必要である。年
譜は、全集十二巻末のものがもっとも新しく
て、くわしい。
周知のように小林多喜二は、一九二八年二十
四才のときに書いた「一九二八年三月十五日」
と、翌年の「蟹工船」によってひろく世にみ
とめられたのであったが、彼はこれら以前に
四十数篇の作品を書き、一九二〇年、十七
八才の頃から創作の筆をたたなかった。
初期の作風について、「学生生活をロマン
ティックに扱ったものもあるが、貧しく不幸
な生活を扱ったものが多く、人間主義的共感
をもって怒りをもって描かれている」「高度
の芸術的達成はみとめられなくても、批判的
リアリズムの作品として独立した評価をうけ
ることができる。日本近代文学の停滞と頽廃
が目立ちはじめた時期に、彼自身志賀直哉の
手法の影響をうけて出発しつつも、志賀をふ
くむ近代文学の停滞に同調しないで、社会的
苦悩への関心をもちつつ、批判的現実主義を
追求する方向に進んだ」と、宮本顕治は「小
林多喜二と宮本百合子」(「多喜二と百合子」
五五年二月号)のなかで特徴づけているが、
この時期の作品の研究にはつぎのような文献
がある。
窪川鶴次郎「小林多喜二」河出書房版日本
文学講座第六拳
窪川鶴次郎「ある改札係」解説八雲書店
発行「芸術」一九四八年八月号
須川康夫「プロレタリア作家としての自覚」
(多喜二の成長過程について)「多喜二と百
合子」一九五五年十、十一号
須川康夫「批判的リアズムについて」
(「健」の場合)「多喜二と百合子」一九五六
年七月号
小林茂夫「多喜二初期の作風」(その出発と
習作時代)「多喜二と百合子」一九五四年五号
窪川は一九二一年から二六年頃までのいく
つかの作品を分析し、「自身の文学に対する
態度・要求、方法について常に明確な自覚を
もち、その自覚を実践せずにはおかぬ努力に
つらぬかれていた」ことを多喜二の生涯と文
学とを支配した重要な特色としてあげてい
る。須川は評論、小説、日記に即してかなり
綿密な分析をおこないながら、「マルクス主
義を或る程度身につけ、その上で文学の間藤
を反省するという思想的立場でとり上げられ
たのではなく、むしろ彼の自然発生的な問題
意識をバネにして展開し、文学自体の課題を
追求する形で提起されている点」に注目して
いる。
武田暹「回想の小林多喜二」(解放社版「小
林多喜二研究」収)、伊藤整「小林多喜二の思
い出」(「風雪」四七年一巻十号)は、小樽商
業や高商持代の回想だが、伊藤の思い出は時
代の雰囲気をいきいきとつたえている。また
「クラルテ」の仲間だった武田はプロレタリア
文学の熱心な読者だった多喜二の面影を描
いている。
一九二六年五月二十六日から二八年一月一
日までの日記(全集第十巻)は「師走」から
「防雪林」への発展過程を知るために必読の
文献である。中津川俊六(武田暹)「小林多
二の恋」(「婦人公論」四六年一、二月号)
も、この時期の作品、たとえば、「師走」と
か、「滝子其他」など不幸な婦人を主題にし
た一連の作品の理解に副次的な参考になるこ
とだろう。
初期の作品には、遂行と改作をかさねてい
るが、とくに二七年前後になると、自己変革
の過程であきたらなくなったいくつかの作品
の改作がある。小原元「初期改作過程に示唆
されるもの」(「多喜二百合子研究」第二集)
は「曖昧屋」(二五年十一月)と、その改
作「酌婦」(二七年九月)、「滝子其他」(二
八年三月)について「思想的な発展に即応し
ては作品内容の深化があらわれていない」こ
とが分析されているが、このような過程をふ
くむ不断の努力をつうじて「防雪林」や「一
九二八年三月十五日」の展開をみることが
できる。
転換期の力作「防雪林」は周知のように未
定稿のまま作者は発表しようとしなかった
作品である。「防雪林」の文献には、
小田切秀雄「『防雪林』の発見とその意義」
裏選書「小林多喜二」収
「防雪林」解題四八年、日本民主主義文
化連盟版
窪川鶴次郎解説五三年、角川版「昭和文学
全集「小林・中野・徳永直集」
横山浩士「防雪林」「多喜二と百合子」五
四年六号
などがある。「農民の生活と追いつめられた
反抗とが北海道の自然を生き生きと再現し」
(窪川)「すぐれた描写力をしめLし」(小田
切)「過去の農民小説とは比較にならぬ明瞭
さで、農民の貧困、悲惨の根源が土地関係に
あり、しかも日本資本主義がその農民の貧困
上に成立し、権力がまさにそのような日本
の体制、直接的には地主のまもり手であり、
農民の抑圧者であることをつき出し」(横山)
てはいるが、「小作料軽減の交渉がはじめら
れる経過や闘争に作者のプロレタリア的思
想、経験の浅さからの概念的な弱きと素朴さ
を放し」(窪川)ていることなどが大体の論
点である。「防雪林」解説にはノート稿の資
料の紹介がある。
「一九二八年三月十五日」にはつぎのよう
な文献がある。
蔵原惟人「『一九二八年三月十五日』『蟹工船』
『不在地主』」、「『一九二八・三・一五』と
『蟹工船』について」河出書房版「小林多喜
二と宮本百合子」収
瀬沼茂樹「『一九二八年三月十五日』と『東
倶知安行』」解放社版「小林多喜二研究」収
水野明善「『一九二八年三月十五日」の
文学的位置」「新日本文学」五二年二月号
金達寿「『一九二八年三月十五日』の描写に
ついて」「多喜二・百合子研究」第二集
蔵原は、「革命家の典型を造形」し、「新
しい日本文学としてプロレタリア文学その
ものの方向をしめした」作品として高く評価
しながら、「全体としての無産者解放運動と
の聯関の中に描きえなかった」点を指摘して
いる。瀬沼は「小樽市の検挙において、全国
事件を象徴するように描くために、作者は卓
抜した技倆を発揮している」点に注目し、水
野は「日本文学史における社会主義リアリズ
ムの確立」と評している。また、金達寿は
「間接法と直接法とを用いたリアリティあ
る適確な描写」に注目している。
「蟹工船」はもっともひろく読まれている
作品でもあるし、論評も比較的多い。
蔵原惟人 前掲、「小林多喜二と宮本百合
子」収
小原元「『蟹工船」価値評価の問題」 「文学
前衛」四八年(1)
岩上順「蟹工船」「小林多喜二研究」収
小田切秀雄「蟹工船」解説 四九年、新興
出版社版小林多喜二文庫
蔵原惟人「蟹工船」「党生活者」解説 五
三年、新潮文庫
窪川鶴次郎 前掲、昭和文学全集解説
壷井繁治「『蟹工船』における集団と個人の
描写について」河出書房版「多喜二・百合子
研究」第一集
小原元「『蟹工船』群集の個性問題」五四年
「文学研究」五四年三号
鹿島保夫「撃工船」五四年、岩波書店版「文
学の鑑賞と創造」(1)
蔵原は「社会的な問題を客観的な芸術的形
象のうちに描きえた典型的な作品であり、現
実にたいする作者の態度も前作『三・一五』
に優っている」が、「集団を描こうとする余
り個人がそのうちに埋没する危険」を指摘し
「各階級層の代表としての個人の性格や心理
をも描くことができたらもっとすばらしい作
品になり得た」といっている。窪川もまた」特
異の題材を、特殊な世界としてではなしに現
代社会の基本的な情景として眼前に描き出
し」「多喜二文学のもっとも代表的なさいし
ょの作品」であるが、「集団を人間的な、動
的な関連においてではなく量的な総計として
とらえる考えにおちいって」をり「芸術大衆
化の問題とも関連してプロレタリア文学の創
作方法にとっての重要な問題が提出されてい
る」点に注目している。小田切は以上のよう
な欠陥が「『不在地主』『工場細胞』『オルグ』
等に屈折してゆく可能性」を指摘し、岩上は
葉山嘉樹の「海に生くる人々」と比較してこ
の作品を論じ、壷井ままた前田河の「三等客
客船」「海に生くる人々」との連関と発展にお
いて論じながら、個々の人間の性格や心理の
特徴を十分に描きだすことの困難さから作者
が集団の描写に重点をおいたという岩上の論
点を反駁している。小田切進「海に生くる人
々」(「文学前衛」四八年二号)も「蟹工船」
に言及している。
小原は形象性の分析と批判とおこない、鹿
島はオストロフスキーと比較しながら研究の
諸成果を総括し、鹿島光代「『蟹工船』評価の
変遷」(「多喜二と百合子」五三年創刊号)は
一九二九年から五二年頃までの論評と時代に
よるその変化を紹介している。また、伊東岱
吉「『蟹工船』と日本資本主義研究」(岩波「文
庫」五三年七月号)などがある。
最近「不在地主」は「防雪林」との比較研
究で、創作方法と世界観との関係、プロレタ
リア文学におけるリアリズムの問題として論
議されているがつぎのような文献がある。
蔵原惟人「『一九二八・三・一五』『蟹工船』
『不在地主』」河出書房版「小林多喜二と宮本
百合子」収
小原元「不在地主」「沼尻村」「小林多喜二
研究」収
窪川鶴次郎前掲・角川版昭和文学全集解
説
蔵原、宮本、窪川「日本近代文学の諸問題」
(座談会)「早稲田大学新聞」五十四年四月
二十一日号
野間宏「典型について」 「新日本文学」五
五年八、九月号
小原元「『不在地主』と『防雪林』そのリア
リズム」「文学」五六年四月号
須川康夫「リアリズム論の混乱」(「防雪林」
と「不在地主」)「多喜二と百合子」五六年
十月号
蔵原の批評は「不在地主」が発表された直
後のものだが「困難な仕事に最初に手をつけ
た意義」を認め「農村の生活を描いている範
囲ではよいが、都市の資本家と農民、農民と
労働者、大資本家と農村ブルジョアとの関係
などは具象的に示されてなく」「完成を急い
で、見るべきものを見ず、研究すべきものを
研究し尽さなかったのではないか」と、いっ
ている。小原も「それまでの農民文学の到達
しえなかった高い主題に達しているが、芸術
形象としての彫りふかい感動をきざみこみえ
なかった」といい、「思想内容と創作方法の
関係の困難さを表白」していることを指摘し
ている。
野間は主として創作方法の問題から論じ、
「『不在地主』のなかで行った文学上の冒険を
評価しながら、「実際に現実から得たさま
ざまの像を分析、綜合することによって、造
型的形象をつくりだすという方法ではなく、
世界観によって現実を理解し、そこから得た
現実の知識に像をあたえて形象化するという
方法によった」ものであり、冒険の失敗は「革
命的なテーマを展開しきることのできる創作
方法をみいだすことができなかったことにも
とづく」といい、小原は「『不在地主』の、
リアリズムの失敗は、批判的リアリズムの深化、
そこからの展開という観点をもってする日本
近代の文学的基盤への十分な検討におよびえ
なかったプロレタリア文学運動の歴史的段階
を反映するもの」といっている。
須川の「リアリズム論の混乱」は、「防雪
林」から「不在地主」の改作にみられる思想
的発展と創作方法の不統一のあらわれをリア
リオムの後退とみる野間や小原のリアリズム
論を反駁しているがなお、発展的な討論と究
明がのぞましい。
窪川は前記の解説でつぎのようにいってい
る。「源吉が火つけの行為に出ずにはいられ
なかったところにこそ、「貧困とは如何に惨
めな生活をしているか」というなまなましい
現実がある。けれどもまた「如何にして」(惨
めか)の正しい現実認識に立つことなしには
「如何に」の形象に真実性を与えることはで
きないであろう。火つけの行為があたかもこ
の貧農の惨めな現実に解決をもたらすかのご
とく主張され、肯定されるならば、それは貪
農が「如何にして惨めか」を誤って理解させ
ることになる。ここにプロレタリア文学の創
作方法としてのリアリズムの中心的な問題が
横たわっている。「防雪林」から「不在地主」
への発展は、プロレタリア文学の現実に対す
る基本的な態度の前進を示すものではあるが
それと同時に「如何に」と「如何にして」と
の、分裂と芸術的統一との交錯が、この二つ
の作品に見られるように多喜二の文学におい
てもっとも積極的な形で現れている。」
早稲田大学新聞にけいさいした蔵原、宮本
窪川の「日本近代文学の諸問題」という座談
会の「『防雪林』、『不在地主』評価の問題」
はかなりふかく二つの作品について論じてい
る。また、「『不在地主』の背景」(「多喜二・
百合子」十二、十三号、五六年六月号)は、取
材されたといわれている磯野小作争議と当時
の農民運動を紹介し、作者が「蟹工船」のと
きのような十分な調査をなしえなかったので
はないかという疑問を提出している。
「不在地主」からのちの作品には「党生活
者」以外には論議も比較的少なく、作品研究
もあまりおこなわれていないが、「工場細胞」
「オルグ」にはつぎの二つの文献がある。
窪川鶴次郎「小林多喜二の歴史的意義」「文
学時評」四八年二号
菊池章-「『工場細胞』『オルグ』」解放杜版
「小林多喜二研究」収
窪川はプロレタリア運動の新たな活動形態
や斗争の経験についての豊かな知識にみちて
いる点に注意し、工場の機械や労働過程を単
なる描写としてでなく資本家的生産の本質を
表示するものとしてリアルに描き、不十分で
はあるが、河田、石川、森本、鈴木「髷の源
ちゃん」などの造型に注目しながら「作品の
概念性やイデオロぎー的生硬と形式的完成の
未熟な点は、作者の意図の強烈が、主題の芸
術的形象化を暴力的に交配するところにもた
されたものではなく、プロレタリア文学運動
の客観的主体的条件のなかで、マルクス主義
的世界観の本質的な要求にたいして忠実であ
ろうとしたすぐれた作家の全努力の結果とし
てあらわれた不十分と欠陥にほかならない」
といっている。菊池は「『筋の変化』やその他
の興味のために題材の客観的なとりあつかい
が犠牲にされている」点を主要な欠陥として
「あげている。
「独房」には蔵原惟人「『独房』と『党生活
者』」について(岩波文庫解説、河出書房版
「小林多喜二と宮本官合子」収)がある。
「安子」には佐多稲子「『安子』について」
(「小林多喜二研究」収)がある。「労働婦人
の本質的な新しさとは何であるかを、現実の
追求において描こうとしているが、作者と作
品と現実との、重なり合った関係が多いため
に、作品の中に読者を引き入れるよりは、この
作品を引っさげて外へ立ち向っている作者の
気構えを感じさせることに強くなっている」
といっている。大森寿恵子「『乳房』にあらわ
れた新しい婦人像」(「多喜二と官合子」七号)
も「安子」に言及している。
「転形期の人々」の研究も、豊かとはいえ
ない。
小田切秀雄「『載形期の人々』について」要
選書「小林多喜二」収
壷井繁治「『転形期の人々』についての断片
的感想」 「多喜二・百合子研究」二集などが
ある。小田切は「従来の日本文学にはとり上
げられることのなかった社会的に虐げられた
ひとびとのさまざまな形象、、時代の革命的な
運動を下からつくり上げて行くひとびとのめ
ざめ情熱、くるしみ、新しい智慧、自主的
な組織、たたかい――これらのものが全く新
しく包括的なスケールの中でとりあげられは
じめている」といい、蔵原の「芸術的方法に就
いての感想」との関係に注目している。蔵原は
「小林多喜二の現代的意義」(「小林多喜二
と宮本百合子」収)のななかで、この作品の欠
陥として「大衆の生活と前衛の生活とが並行
的に描かれていて、全体の有機的な部分とし
て描かれておらず、その芸術的方法のうえに
も統一が欠けているような印象をあたえる」
ことを指摘している。また、中学二年生に最
初の二、三章をよませ、その感想を出身層別
に分類考察した加藤喜代治「『転形期の人々』
第二三章を考えさせる」などの特殊研究も
ある。
「沼尻村」は、新たな境地をしめす注目さ
れる作品だが、作品研究はきわめて少なく、
小原元「不在地主」「沼尻村」(「小林多喜二
研究」収)がある程度である。
「党生活者」は代表作でもあるし、
終戦後評価をめぐって論争の的になった関係から、
文献も比較的多い。
宮本百合子「同志小林の業績の評価に寄せ
て」――誤れる評価との斗争を通じて――全
集第七巻収
宮本百合子「小説の読みどころ」全集七巻
収
宮本顕治「新しい政治と文学」岩崎書店版
「人民の文学」収
中野重治「『党生活者』について」「小林多
喜二研究」収
小田切秀雄「小林多喜二問題」「小林多喜
二」収
蔵原惟人「『独房』『党生活者』について」
岩波文庫解説「小林多喜二と宮本百合子」収
蔵原惟人「『蟹工船』、『党生活者』」解説
新潮文庫
窪川鶴次郎解説 前掲。昭和文学全集
宮本顕治「プロレタリア文学の歴史にてら
して」新科学社版「批判者の批判」下
佐藤静夫「「党生活者」の評価をめぐって」
「多喜二と百合子」五五年八号
西野辰吉「「党生活者」をめぐっての感想」
「多喜二・官百合子研究」二集
宮本顕治「「党生活者」の中から」「多喜二
と百合子」五六年十月号
周知のように、「党生活者」をめぐる戦後
の論争は荒や平野の懐疑的な否定的評価から
はじまっているが、佐藤は四七年頃までの論
争点を紹介し、中野の反論、宮本百合子、宮
本顕治、窪川、小田切などの論述が「広く深
い戦後の文学運動の本質にかかわる問題とし
て発展」したことを指摘している。蔵原も解
説(岩波文庫)で刻明に論点を紹介し、荒、
平野の見解を反駁しながら、「さまざまな欠
陥をもちながら、日本ではまったく新しい社
会主義レアリズムの文学の建設のための一つ
の重要な礎石をおいたものとして」評価して
いる。
宮本百合子の文章は、この作品が発表され
た直後のものだが、「『蟹工船』を頂点とす
る」見解に反対し、「レーニン的世界観の統
一、政治的鍛錬によって、自らそなわってき
た独特の簡明さ、迫真さ、革命的気宇の大き
さが、作品の深い光沢となってかがやき出そ
うとしている」といっている。
また、蔵原は十分知らない工場労働者を描
くべきではなかったのではないかという小田
切の主張に反対し、「新しい社会主義的な入
間を革命運動のもっとも典型約な場において
もっとも典型的な姿でとらえようとした」こ
とに新しい文学としてのこの作品の意蓑をみ
とめている。西野は、佐々木が細胞の再編成
をやるところは小説全体にとってもっとも重
要な部分だが、十分に描かれていないと指摘
し、窪川は「わずかの期間にかかる共産主義
的人間への変革成長が作者をとらえた驚き、
感動はあまりに生々しく、これを『私』のう
えに普遍的なもの上して客観化することがい
かに容易なものでないか」に注目している。
宮本の「『党生活者』の中から」はわかり易
く、包括的なすぐれた論評だが、かっての論
争にも言及して、反論の方には笠原のはり下
げが不足していたことも指摘している。また
私の「非合法時代の小林多喜二(「多喜二
百合子研究」一集)はこの頃の作者の生活を
知るうえで参考になるだろう。
絶筆となった「地区の人々」を論じたもの
は宮本百合子の「同志小林の業槙の評価に寄
せて――四月の二三の作品」「小説の読みど
ころ」以外にはほとんどない。「終りになれ
ばなるほど小説としての具象性を描写の上に
失っているが、初めてポルシェヴィキ作家ら
しい着実さ、人絹的艶のぬけた真の気宇の堂
堂さで、主題の中に腰を据え書き始めたこと
を印象させ、その点で感動を与える」といい
「よいプロレリブ文芸の働き手はいつも必ず
斗争においてひるむことを知らぬ卓抜周密な
同志である」といっている。宮本百合子は小
林の生涯と業績を高く評価し、もっとも積極
的な発言者の一人だが、前記三つの文章の他
に、「同志小林多喜二の業績」(全集八巻)
「小林多喜二の今日における意義」、「討論に
即しての感想」(全集十二巻)などがあり今日
もなお、するどい示唆をうしなっていない。
近藤宏子「多喜二・百合子の平和のための
戦い(1)」 (「多喜二と百合子」十一号)は反
戦的見地から「不在地主」「沼尻村」「党生
活者」を論じ、「地区の人々」にも言及し、
平田次三郎「「地区の人々」その他」を反駁し
ている。
「評論」を論じたものはほとんどなく、宮本
顕治「小林多喜二の評価その他」 全集月報
(3)があるだけである。日和見主義との斗争
で小林の果した基本的意義を評価しながら」
前衛的、あるいは革命的立場が基準的特徴と
なっていた当時と、民主々義が最小限の基準
である今日との情勢の推移と相違を、評論の
読者への注意としてあげている。そしてまた
「彼の骨格と彼の芸術的精進力を今日の段階
で正しく摂取するには、人類文化の集大成と
してのマルクス・レーニン主義のひろい光に
ょって今日の段階を包括的に把凄する必要」
を要請している。
前掲の蔵原惟人「小林多喜二と宮本百合子」
(河出書房版「小林多喜二・宮本百合子」収)
宮本顕治「小林多喜二と宮本百合子」「多喜
二と百合子」八号)は、一九五〇年いごの
二、三年間、宮本百合子を不当に誹謗し、小
林多喜二と対比する一部の混乱した論調を批
判し、二人の業績と時代的な特徴をあきらか
にしたものである。
また、同じく蔵原惟人「小林多喜二の現代
的意義」は多くの示唆をふくむすぐれた研究
である。
突然で申し訳ありません。
多喜二の思想やその推移について、扱った文献、論文などはありませか?
いま大学で歴史学の分野で研究しています。もし、知っておられましたら教えて頂けませんか?
文学評というよりは、歴史としての視点を盛り込んだ内容のものを探しています。
お忙しいところ、申し訳ありません。
荻野富士夫『多喜二の時代から見えてくるもの』(新日本出版社2009)、
浜林正夫『「蟹工船」の社会史』(学習の友
社2009) 、
井本三夫『蟹工船から見た日本近代史』(新日本出版社 2010/02)などが注目されます。
参考にさせて頂きます。