「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「蟹工船」で青少年読書感想文全国コンクール優秀賞/愛知

2011-02-05 22:59:16 | 小林多喜二「蟹工船」を読む

「蟹工船」で青少年読書感想文全国コンクール優秀賞 /愛知

 第56回青少年読書感想文全国コンクール(全国学校図書館協議会・毎日新聞社主催、内閣府・文部科学省後援)で、県内から金城学院高3年、小林円加(まどか)さんの作品「今、『蟹工船』を読む」が毎日新聞社賞(優秀賞)に輝いた。

 ◆毎日新聞社賞

 ◇書くうち、希望感じた--小林円加さん=金城学院高3年

 受賞に「わりと冷静でした」と照れ笑い。高校で文化祭委員を務めた時、クラスで舞台発表をする案が出たものの、「忙しい」などの理由で具体案が出ず、結局は不参加に。自宅で「団結なんて信じられない」と母、美幸さんにこぼしていたところ、「蟹工船」を読むよう勧められた。感想文は約2週間かけて何度も推敲(すいこう)し、音読し、最後は母に読んでもらった。

 著者の小林多喜二と時代背景についても調べ、「弾圧を受けた多喜二の時代と違い、私たちは主張できるにもかかわらず、人と人とのつながりが薄くなってしまった」と感じた。感想文には、そんな現代だからこそ「本当の団結や連帯が求められるのではないか」と書いた。書くうち、「また団結できるのではないかと希望を感じた」と話す。

 読み書きが苦手だったという小学校低学年から、美幸さんは絵本を薦め、時には本が書かれた時代背景も解説してくれた。その影響もあり、今では毎日童話を読むように。将来は薬剤師を目指しており、引き続き好きな童話にも親しんでいくつもりだ。

 

読書感想文県コンクール作品紹介:/9 高校の部・知事賞 /愛知

 ◇今、「蟹工船」を読む--金城学院高3年・小林円加さん

 団結は力となり、世界を変革するエネルギーとなると無意識に信じていた。しかし、価値が多様化した現代では団結はもはや幻想に過ぎないのではないかという疑念が私の中に湧いてしまった。クラスや学校で、そのことが如何(いか)に難しいことか思い知らされたからだ。

 文化祭でクラス発表を計画した時、案自体に実現不可能な問題点があったのにもかかわらず、各々の多忙や無関心から代案もなく、結局私のクラスは不参加となった。クラスが団結する機会を放棄した事態に、文化祭委員だった私は強い無力感におそわれた。また、生徒総会にある提案を出したが、あっさり否決されるという経験もした。それは、この提案が現在起きている問題を解決した上、皆の連帯感を高めるのに役立つに違いないと確信し、良い案には自然と賛成が集まると思っていた私にとってかなり辛(つら)い結果だった。自分自身が否定されたかのようにさえ感じた。空回りする自分と動くことのない集団の間に深い溝を感じた私は、団結そのものに冷めた感情を抱くようになった。しかし、約八十年前、小林多喜二によって書かれた「蟹工船」はそうした私の感情を揺さぶるほど団結への希望や信念を熱く語るのだ。団結の難しさを実感した今、私はこの本を通して改めてその意味を探ろうと思った。

 「蟹工船」は群像劇だ。特定の個人が主人公ではない。多喜二は、この船に乗り込む労働者たちの背負う様々(さまざま)な背景を明らかにすることで、搾取する側とされる側の社会構造を顕(あらわ)にしていく。彼らは、東北の貧村から送り込まれた農民、周旋屋の口車に乗って来た苦学生、炭坑の劣悪な労働環境から逃れるためにやってきた元炭坑夫などである。彼らは、巧妙に仕組まれた人集めによって連帯のない状態に置かれている。同じ学舎(まなびや)で学ぶ私たちよりも、遥(はる)かにばらばらの状態なのだ。しかし、多喜二は分断されていた労働者が、生死の境に接することで一致団結していく過程を描いていく。生への渇望が彼らをまとめていく。団結に必要なものは、真摯(しんし)な思いや共通の利害であり、それらが皆に浸透しなくては事は起こせないと気付かされる。確かに、クラス発表や校則の件では切迫した思いに欠け、また思いを伝える熱意も足りなかった。しかし、強い思いだけで集団は動くものだろうか。

 多喜二はそこで敵の存在を提示する。その一つは、全てのものを慈しみ育みながら、時には突き離し、その牙を剥(む)いてくる自然だ。ここでは、北の海の空と波と風に集約してその脅威が描かれる。その描写は明快にして簡潔、読み手を一瞬にして船酔いする波のうねりと体の芯まで凍る冷気の中に放り込む。多喜二を作家としてより、弾圧の歴史のひとこま(・・・・)として理解していた私は、ここでたちまち彼の優れた自然描写の虜(とりこ)となった。そして、その自然が牙を剥く時、労働者たちは死を意識し、生き残るという共通認識を持つ。

 労働者の前に、はっきりと姿を現すもう一つの敵が監督浅川だ。彼は、転覆すれば即死を意味する嵐の海での操業を命じる。それは、労働者の命は消耗品に過ぎないという彼の考えを体現したものだ。浅川は、滑稽(こっけい)なほど暴力的で、権力側におもねり、儲(もう)けや実績のためなら如何なることもできる卑劣な男として描かれる。しかし、そこに多喜二の計算があるように思う。労働者の憎しみを一身に浴びる浅川という人物を創り出すことで、労働者の団結が更に堅固となることを描き、背後にいる資本家・経営者の存在を匂わすのだ。実際、後日談で浅川がストライキを阻止できなかったことにより解雇される哀れなスケープゴートにしか過ぎなかったことがわかる。本当の敵は誰なのか考えさせる展開だ。私たちが、立ち向うべき本当のものは、見えにくいかもしれないという含みを残しているのだ。いずれにせよ、多喜二は、そうした敵の存在が労働者の団結を強め、ひとりの落伍者や裏切り者を出さないことが要求を成就させると力強く訴えた。

 多喜二の時代と異なり、私たちは権利や尊厳を守る法の下にいる。しかし、現実の社会は正規労働者と非正規労働者の格差、不当なリストラや過労死の問題を抱えている。それは、勝ち組負け組、自己責任という個人に原因を転嫁する言葉が流布する経済至上主義の非情な競争社会でもある。更に、個人を優先させる風潮にあって、各々(おのおの)の興味は分散し、関心のないことには冷淡になれる孤立する個人が増える社会でもある。それは、安逸な高校生活をおくる私たちにも言えることだ。そこに共通の思いなどない。立ち向うべき敵の姿も見えてこない、団結しにくい状況下に私たちは置かれている。しかし、社会に閉塞感を感じ、人々の絆が断ち切られ個人が痛めつけられやすい時代だからこそ、本当の団結や連帯が求められるのではないか。多喜二が本編の最後に希望を託した言葉に従い、私ももう一度(・・・・)その可能性を信じてみようと思った。(小林多喜二著「蟹工船・党生活者」)


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3 コメント

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Unknown (るもい (ノーマ・フィールド))
2011-02-03 13:04:03
 ひさしぶりのこうしたニュースですね。高校生が「蟹工船」をとおして連帯の可能性を感じ、それを求めることによって広げられたら、ほんとうにすばらしいことですね。それにしても、弾圧の時代とはちがった現在の難しさをしっかりとつかみ、表現しているのに感心します。
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蟹工船ブームは静かにつづいている (佐藤)
2011-02-03 15:47:19
ノーマさん、コメントありがとうございます。

若い世代が、まっすぐに多喜二の「蟹工船」を読んでの感想に 心をうごかされます。

ぜひ初期の「万歳々々」「テガミ」などに読み進んでいただきたいものです。

そして、そこにある多喜二のまっすぐな心を受け止めてもらえればと思っています。

     
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Unknown (内藤)
2011-02-09 23:20:04
全国の"小林"さん、団結せよ!!

ってか?
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